脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

アマチュアの語源

2018-03-08 | Weblog

私はだいぶ前から体育会のシステムに対して思い切りおかしいと言っていた。不思議なことに日本人にはそういう理不尽なことに対して何も感じない人が多く、むしろ先輩にいじめられたことを喜んで思い出にしているメンタリティを私は理解できない。レスリングの問題にも見られるように実際に自分が大きな被害にあってからはじめてその異常性に気づくことが多い。私が言いたいことは日本人の競技者は受け身すぎる。上意下達のヒエラルキーで、強くなるためには異常だとわかっていてもそこにすりよるしかないから仕方がないことであろうが、しかしもう少し理不尽なことに関してはおかしいという感覚を持つこと。そのためにハラスメントとはどういうことかと言うことを欧米のように文章化して公布する必要があるだろう。

私はハワイでボクシングの試合にエントリーしていたのだが、ハワイのジムはたいへんのんびりしていた。のんびりしているといってもそれは決して、そうだからレベルが低いと言うことではなく(むしろ私の時代は全米ランカーが何人かいたが)悲壮感があまり感じられない、それぞれが持っている目標を尊重して楽しく競技していたと思う。それに比べて日本人のトレーニングはあまり楽しさを感じられなし、表現できていない。スポーツを修行と思っている。よく日本人が試合前に体重をおとすためにサウナスーツを着ているが、しかし私の競技したところでは試合前に減量気を着た人間は見たこともないし、逆に減量気を着て練習していたら「お前何やってんねん脱げ」とコーチにいましめられたぐらいだ。減量もおとせば有利で、ボクサーが通って行かなくてはならない道だというような大きな勘違いしている人間も少なくはないが、減量しすぎると体が衰弱するので逆に不利だ。しかし長い間間違ったことがすりこまれているから客観的にそれを受け入れることができないから、成長期に10キロ減量などと言う医学的にも無謀とも思えることをするのだろうと思う。

我々はアマチュアであるが、アマチュアという根本的な言葉の意味はそのスポーツを愛しているかいないかである。ラテン語でアマチュアということばは「~を愛する者」という意味であるのだが、アマチュアとはその競技を愛する愛好者の集まりである。しかしきつい減量ストイックな無理な練習でそのスポーツを本当に愛せるだろうか。やっていて楽しいのだろうか不思議である。私自身HIでボクシングを競技していたが、すごく楽しかった。ハワイと言うのは人種のるつぼで独特の文化や言葉を持った人間たちが集まっているのだが、そういうすべてをつつみこむ懐の深いスポーツを競技することで、私は勝ち負けよりもこのスポーツを競技することの意義と楽しさを知ったと思う。確かに競技するからには勝つ気持ちがすごく強かったが、しかし勝っても負けてもそこで経験できることは私にとって大きなことであったし、私を大きく成長させてくれた。それゆえにこのスポーツを愛することができると思う。

試合後には必ずと言っていいほど友達とハンバーガーを食べに行った。車を走らせながら潮風にあたって食べるハンバーガーは格別においしかったことをよくおぼえている。See you later hamburgerは試合前の合言葉、本当に楽しかった。


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