Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

パリーの交響的変奏曲、イギリス音楽のルネサンス、そしてブラームスへの傾倒

2007-11-04 10:54:30 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は、ウォーキングは休みました。
今回とりあげるのは、1848年生まれのパリーの曲。
チャールズ・ヒューバート・パリーは、
ボーンマスで生まれ、グロスターシャーで育ち、
イートン校とオックスフォードのエグゼスター・カレッジで学んだ。
音楽に関してはシュトゥットガルトでイギリス出身の作曲家
ヘンリー・ヒューゴー・ピーアソンに学び、
ロンドンでは作曲家ウィリアム・スタンデール・ベネットと
ピアニストのエドワード・ダンロイターに学んだようだ。

1884年からは王立音楽大学の教員として教え、
1890年代半ばには学長のポストについているが、
とにかくそこでヴォーン・ウィリアムズやバターワース、
そしてホルストなどが生徒として学んだようだ。
ホルストは「私を怖がらせることのない偉人に出会った」と言っている。
「講義というよりも理想」を私たちに与えてくれた気がすると
ホルストはパリーについて語っているようだ。

交響的変奏曲は、1897年に作曲されている。
1897年は、ブラームスが亡くなった年である。
この曲は、彼の死にあたり書かれたものだろう。
初演は1897年6月3日作曲者自身の指揮で行われている。
ブラームスの作品にハイドンの主題による変奏曲があるが、
そのスタイルに影響を受けているようで、
いかにパリーがブラームスの音楽が好きだったかが分かる。
重厚な音楽はブラームス風で、最後は華やかな感じで終わる。

ヨーロッパの当時の音楽界では、
イギリス音楽はもちろん主流ではなく、
ブラームスやワグナーなどドイツ音楽の影響は強かった。
とはいえ、この時期はイギリス音楽のルネサンスにあたり、
その後イギリス音楽を代表する作曲家が登場する。
その意味で作曲家としてはもちろんのこと、教育者として
パリーの存在は重要な意味を持っていたに違いない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フィンジのヴァイオリンと管... | トップ | ブリッジの幻想的スケルツォ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古典~現代音楽イギリス編」カテゴリの最新記事