漫画「はだしのゲン」は、広島で被爆しほとんど奇跡に近い状況で命を取り留めた、中沢啓二の作品である。中沢は戦後自らが被爆者であることを隠しながら、漫画家として活動していた。
同じ被爆者の母の死をきっかけに、原爆を描くようになった。自らの被爆体験で書かれる絵は、切迫感があり写実的である。被爆した人たちに表現は、真に迫るものがあるが、中沢自身はこれでも十分でなくもどかしく思っていた。
自らの体験を通じて次世代へと継ぐために、中沢が将来のライフワークとして、漫画を描き続けた。全国の小中学校で教材に使われている。
ところが、松江市教育委員会が、「はだしのゲン」を市内の小中学校の図書室での子供たちに閲覧を禁止する処置を行った。閉架というそうである。図書館にある
が、自由に見ることができないようにしたのである。
理由は描写が過激であるというのである。文章表現が過激というのは、あるいは思想的にはあるかもしれない。被爆体験者が、その体験に基づいた描写をして、漫画にすることで幅広く次世代に伝え理解を求めた絵が、過激というのは納得がいかない。
性や暴力漫画でも過激という表現はあまりない。過剰でモラルを逸していることや、青少年に悪影響を与えるというのは、巷に氾濫している。書店に行っても、どの世代を対象にしているのか判らないが、性描写や暴力漫画で目に余るものは、数限りなくある。
「はだしのゲン」はどのように過激だったのか良く解らない。戦争の悲惨さを訴えるために、中沢が描いたものであるが、明らかに松江の教育委員会は、中沢の意図を拒否したことになる。
戦争が悲惨であるのは当然である。過激と教育委員会のお偉方が判断したのは、ある意味中沢の意図するところが伝わっているのであろう。この教育委員会は、戦
争の悲惨さを伝えたくはなかったのである。人が死んでゆくさまや、肉体が千切れて行く場面を生理的に嫌ったのかもしれない。そうした意味では中沢の思い通りともいえる。
しかしそれでは、戦争体験をついて行く意味を否定することになる。教育委員会としてはもっての外である。
それよりむしろ、中沢は天皇制の否定など、右翼が最も敵愾心を持つことのも触れていた。日教組からも高く評価されている中沢の言動は、右翼に狙われた排斥と思える。このレベルの感覚しかない教育委員会は、全国たくさんあるのであろう。最近の世相の右傾化によって、露わになった一現象に思える。