安倍晋三が最も根に持っているのが、戦後レジームからの脱却である。戦後レジ-ムの最大の難物は憲法である。安倍は前の戦争は、アメリカ等によって落とし込められたものであって、負けたからアメリカの従属国になったと思っている。
彼ら国粋主義者にとって、侵略された国家の存在もなければ、徴兵させられて死んでいった国民の悲しさも、人権も奪われた人々の無念さもないのである。国家が、権威をもって生き延びることこそが、彼らのとって重要な理念なのである。
安倍は第1次内閣で立ち上げた、日本版NSC(国家安全保障会議)は、国粋主義者の主張そのものである。アメリカのNSCを倣ったものであるが、国家に貢献するためにはあらゆる情報管理をするというものである。
スノーデンがアメリカを内部告発をしたように、国家のためなら個人情報の機密も保全も何もない。彼の指摘する違法性の本質は、国家はいとも簡単にその気になれば犯罪者を作り上げることができることである。
国家は戦争によって何を学んだか? 安倍たち国粋主義者は、国家の安全保障を学び、国民の権利を拘束することを学んだのである。再び戦争をするために備えるのである。そのためにh、軍隊を持ち、航空母艦を持ちアメリカの望む戦場に派兵し、銃を持って支援するというのである。
真に戦争で学ぶべきことは、再び戦争を起こさないためには何をしたらいいかである。その一つの容が日本国憲法の前文であり9条である。国民の権利と人権を、国家がどのようにして守るかを、学ぶべきなのである。日本国憲法には、9条以下の人々の権利やあり方をも明確に示している。
国家を守るのは良い戦争で、侵略するのは悪い戦争というようなまやかしの主張がある。近代になって、自らを侵略者として戦争をした国家は存在しない。あらゆる戦争が、自衛のために行われている。自衛の理由がなければ、盧溝橋事件やトンキン湾事件やフセインの大量破壊兵器など、虚偽の事実を作り上げて「自衛」の戦争をするのである。NSCは恰好の機関である。
良い戦争は存在しない。そして、悪い平和もない。
日本版NSCの創設や、集団的自衛権を容認することや、航空母艦を持つなど軍事力を高めることは、戦争への門戸を開く危険な行為である。
日本版NSCの創設は、敗戦から勝つための戦争はどうすべきかを学ぼうとする、安倍たちの愚かな行為の一つである。