「戦没者をどう扱うかは純粋に国内問題である」あるいは「尖閣列島に領土問題は存在しない」という表現は、問題している他者(国)が存在する以上は、こうした突き放した論調は、問題を解決する糸口すら見失うことになる。
戦没者は戦争をした当事者である以上相手国が存在する。純粋に国内問題とするのは、その戦争が正しかった時にだけに許されるかもしれない。銃口の先には相手国がいるからである。
戦争は人殺しである。人を殺し領土を拡大し権益を奪い合うためには、互いの国家に異なる論理が存在する。小説の世界やゲームの中では、勝者は正義であり敗者は悪で、立ち上がる理由はない。
現実の世界では、水戸黄門の助さん格さんに殺される悪代官の手下は、上司に忠実な善良な人間であろう。家には女房子供がいるかもしれない。殺害した助さんも格さんも、奥さんや子供にして見ると悪人となる。
武力が国家を守る最大の有効手段だと唱えた、若い学者がいた。昨日のNHKの討論番組である。武力は最も非効率的な手段である。武力の行使は必ず被害者を伴う。恒常的に配備しなければならないし、武器技術の向上は新たな開発などが求められる。金銭的にも技術的にも、さらに行使の後にも極めて効率の悪い手段である。
戦死者の扱いは、とりわけ侵略国にとっては被侵略国の感情を配慮しなければならない。自国の論理が普遍的であるはずもない。武力が正義であるのは、非現実の世界でしかない。
領土問題にしても、問題視する相手国が存在する以上、「存在しない」などと言うわけにはいかない。
外交実績も理念もない石原慎太郎が仕掛けて、ほとんど中国に無知な野田が、尖閣列島の国有化で火をつけた。国粋主義者たちの、外交音痴が中国と韓国を見下した結果の今日の問題である。
外交は交渉である。自らの主張を見直す勇気もなく、暴力的思考方法では何も解決しない。