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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

戦闘による死者数を自殺者数が上回った

2012-06-13 | イスラエル

今日もっとも気になった、北海道新聞の記事である。現役米兵の今年の自殺者が、6月3日現在で154人に達し、アフガニス120314タンでの同時期の戦死者124人を上回った。
戦闘による死者数よりも、自殺する兵士のほうが多いとは信じられないことであるが、これがこの戦争の本当の意味を語っていると言える。

オバマは、「責任ある終戦」とよく判らない言葉で、アフガンからの撤退をスケジュールにいれている。

アメリカがアフガニスタンに軍事介入して、この国が少しでも良くなったのだろうか? あるいは、アメリカが唱えるテロは減少したのか、その原因は除去されたのだろうか?

答えはすべてノーである。この戦争が意味ないことは、自殺する現役の米兵の数が物語っている。自殺者は、2005年ころから増え始めた。侵攻当初は、戦争の意味を何とか見出そうとしていたのであろうが、その根拠を兵士が見失ったのである。

前線派遣によって生じる、心的外傷ストレス障害(PTSD)が、自殺兵の主な原因と言える。ぱねった国防長官は「緊急の問題である」述べているが、休戦以外に解決策もない。Smile_for_the_camera

同じことはイラクにも言える。

アメリカが軍事介入することで、国内は一層不安定になり、宗派間対立や政治対立が一層過激になり、週に一度は数十人単位の死者が発生する事件が起きている。

9.11の同時多発テロを、ブッシュは軍事的に解釈しただけである。アフガニスタンそして念願のイラクに侵攻した。しかも無根拠の理由によってである。

アルカイダのような、暴力団体がどうして発生したのか、アメリカに何をどうして要求するのかを、今こそ真摯に考える時なのではないか。

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水が運び拡散し集積する放射能物質

2012-06-12 | マスコミ報道

放射能は、水で集められ泥に集積するようである。NHKが震災直後から追い続けている「ネットワークでつくる放射能汚染地図」も、6回目になった。

考えてみればその通り、当然の結果であるが、時間が経つと放射能は水で洗われ、川の汚泥などに留まってる。

人々は盛んに”除染”をするが、目の前から放射性物質を、動かすだけである。小出氏は、移染と呼ぶに相応しい行為で、場所を変えるだけであると断じている。水で洗い流された放射性物質は、川に流れ込む。

福島原発がまき散らした放射能であるが、均等に周辺に降り注ぐものではない。ましてや同心円状に広がることはない。風や雨などの天候や地形の影響で、まだら模様に広がる。ホットスポット(すでに懐かしい言葉となっている)は、川辺にできている。

しかも上流の緩やかな流れのところや、下流の汚泥にたくさん含まれている。国は当然のように地表ばかりを検査し、”ジョセン”する。NHKの質問には、今後の対応と素っ気にない返事が返ってきている。

深刻なのは、阿賀野川や阿武隈川の魚で生業をしている人たちである。さらには山奥の池でも同じことが起きている。山に降り注がれたセシュウムは、雨によって移染されて、湖に留まる。チップ漁ができず、生計が成り立たない。

阿賀野川はかつて、水俣病(水銀中毒)の経験を持つ地域である。水銀同様に、セシュウムも汚泥に付着しているのである。

日本の7割は山地である。ましてや地方ではそれ以上の森林面積になる。そしてそれらは、川の源流域となるところである。山地のセシュウムは、川に集まり池や川底に集まる。

国はこうした点在する汚染と、水により運搬され蓄積された、もしくはこれからもされることになる、放射性汚染物質をどのように処理するつもりなのであろう。

そして、このような単純で基本的で、最も住民とかかわりのある汚染すら、目途が立っていない状態での原発再稼働は、決して、ドジョウ氏の言う「国民のため」になるとは思えないのである。

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危険なオスプレイの配備

2012-06-11 | 政治と金

アメリカの垂直離着陸機、オスプレイの普天間基地への配備を巡って、憲法に抵触しながらも任命された森本防衛大臣は、「できれば、配備前にすべての事故調査の結果が提供されるのが望ましいが、必ずしもそうならないことはあり得る」と発言した。

この手の事前の通告は、過去ほとんど空手形に終わっている。要するに、森本大Photo臣はフリーパスで、これほど事故を繰り返す危険な戦闘機の、世界で最も危険な普天間基地な基地への配備を認めたことになる。

オスプレイはミサゴ(鶚)という、魚専門の猛禽類の名前である。平和の象徴である野鳥の名前を、戦闘機に付けないで欲しいものである。

オスプレイは、垂直離着陸機であるが、極めて不自然な動きを強いる戦闘機である。一般の有翼戦闘機でありながら、ヘリコプターのような大きなプロペラを付けている。そのプロペラが水平翼に付けられて、前に上にと90度回転するのである。

民家すれすれに飛ばなければならない、普天間基地という世界で最も危険な基地に最も相応しくない戦闘機である。対米従属、中国危機論、集団的自衛権行使、憲法改悪を唱える森本が、アメリカに事前通告を本気で要請するとは思えない。

先日の沖縄県議会議員選挙で、わずか1議席しか取れなかった民主党沖縄県連ではあるが、さっそく森本に辞任要求の抗議を出している。ここは民主党を評価してもいいだろう。

翁長那覇市長もオスプレイの配備について、「今までになく沖縄に対する政府の配慮がない。沖縄負担軽減の方針はどこに行った」と批判している。

これを受けてかどうか定かではないが、期間限定とはいえ早速岩国市が、オスプレイの受け入れを容認する発表をしている。

どこの自治体も、金が欲しいのである。政府の言う「ご理解」や「負担軽減」は、金であって決して、住民の意に沿ったものではない。ましてや、安全保障のため自らの自治体を捨て石にしようと、崇高な理念を持っているわけではなく、懸命に米軍に”ご理解”しているのである。そこにつけ込む国家権力である。

鳩山は就任早々、沖縄の意に沿おうと思ったようであるが、結局防衛官僚に押し切られてしまった。民主党瓦解の原点である。

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根拠薄弱な野田の原発再稼働の理屈

2012-06-08 | 政治と金

こうするとは分かっていたが、ついに野田首相が大飯原発の再稼働を容認した。西Photo川福井県知事の要請を受けての、ゴーサインである。

野田は記者会見で、安全が確保されたと発言している。よくも言えたものだと思うが、福島の原発関連自治体の長たちは、「何度も聞き飽きたセリフである。すっかり騙されていた」と口をそろえて発言している。
これで福井県は、県の安全専門委員会が容認することになり再稼働が始まる。

安全についてのことは言葉しかなく、大飯原発が何らかの手直しを受けているわけではない。それでいて、安全は暫定的なものと説明する。

だいたいが、補助金をたっぷりもらっている地元の県や町が、原発の安全性に冷静で客観的な見解を持てるはずがない。更に、それがわかっていながら、関西を支えていたと野田は持ち上げる。彼らが喜ぶ顔が見える。

地元の県や町がが再稼働を望んでいるのは、関西を支えている自負でもなければ安全を確信しているからでもない。原発依存産業が育成されていて、地元経済が動くからに他ならない。野田の褒め言葉はそれらを、覆い隠すものである。

原発電力が安いとまで、野田は発言している。このことはすっかり嘘であることがばれている。原発につぎ込んでいる税金を計算に入れれば、それほど安くはないことがわかっている。更に、福島のような事故が起きれば、さらなる経費が必要になる。国民の多くは、様々なアンケートで明らかなように、安価な電力より安全な電力を望んでいる。

更に、大阪がギリギリ容認していた、夏だけの期間限定も否定した。野田は関西電力の言い分を、丸呑みしたことになる。関電には、節電と停電計画キャンペーンを発表させている。

野田は、言葉だけの安全と、安価というすでに否定されている原発の電力価格と、原発扶養産量を抱える地元の意見と、産業が立ちいかなくなるとする無根拠の理由で再稼働を容認した。

何より原発の将来的な見通しもないままの野田の原発容認である。消費税も同様にして再稼働されるのではないか。

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亡命者の有津

2012-06-07 | マスコミ報道

先日NHK教育テレビで放送された「亡命詩人の憂鬱」は、中国Photoの詩人を8年間追い続けた秀作であった。廖亦武という小説家・詩人であるが、天安門事件に関する怒りの詩を書いて収監され他人物である。

廖亦武は何度も投獄され、拷問を受け生活もできずに中国をついに昨年7月にベトナム経由で脱出した。中国国内では「六四証言」と天安門事件を追求する小説を書いている。

収監されながら、歯磨きなどで文章を書きとめ「銃弾とアヘン」を、出所後まとめた。アヘンとは経済成長のことを指す。中国では発行されない。

亡命先のドイツで「私たちの世代は中国を変られない」との、亡命者の嘆きを口にする。

天安門事件では、前半のデモなどの報道はなされているが、後半の軍による大量虐殺は全く報道されていない。3千人から5万人まで殺された人数も幅がある。解放軍は一人も殺していないと報道する。

その後の中国政府の隠ぺい工作と、弾圧は徹底している。参加者は「暴徒」と呼ばれ社会から隔絶され、職にもろくにつけない。

いまだ獄中にいる者、殺された者、処刑された者たちに負い目を感じている、廖亦武たち亡命者たちの心情である。その亡命者はごく僅かである。国内の不当こう留者の署名をするのがせいぜいである。

外での発言は自由であるが、国には届かない。廖亦武は「亡命者は孤独である。胎児のように小さく小さく縮こまる」との述べる。

廖亦武は先月、ポーランドのカプチンスキー、ノンフィクション賞を受賞した。彼の憂鬱は消えることがない。

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マニフェストを否定する副総理

2012-06-06 | 政治と金

岡田克也副総理が、衆議院社会保障・税一体改革特別委員会で、平成12年の総選挙で民主党はマニフェストを掲げて勝ったのではないと発言した。国民が政権交代を望んだからだというのである。

国民が投票した一票を民主党は評価しなかったことになる。事実評価していはいないが、この発言はいかにも国民・選挙民を愚弄したものであると言える。

自民党の、民主党が掲げたマニフェストが間違いだったことを認め撤回しろという攻撃に、思わず出た本音の言葉であろう。

かつては、マニフェスト原理主義者であった、岡田氏の言葉とは思えない。民主党内からも当然反論が出ることであろう。民主党の政策を否定して、自民党の意向を取り入れ協議するのである。

かたや自民党は、子ども手当や埋蔵金を充てにした予算組は攻撃するが、自らの主張する方向へと舵を切ったことには黙っている。ダム建設がいい例である。ダム建設の再開を認めたことは、マニフェスト違反であるが、だんまりである。

当選さえしてしまえば何をやっても許されるのは、民主主義の成熟していないこの国の象徴的出来事と言える。国民には選択肢がなくなってしまった。

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村木さんの講演会を聞く

2012-06-05 | 政治と金

120603_7trim本ブログでも早くから取り上げていた、村木厚子さんの逮捕事件である。検察のでっち上げシナリオに果敢に抵抗した、女性官僚の星である。彼女が当地に講演に来られた。(クリックすると彼女の笑顔が見られます)

直接彼女の顔を見て声と発言を聞いて、女性としてのしなやかさと逞しさを実感した。障碍者を抱える方々が多く集まった。障碍者を抱える同席した友人夫婦は、何度も質問した。

自著「あきらめない」にサインを戴いた。本書を読んで、いまさら検察の抱える権力の横暴を感じ入った。村木さんは同じ国家公務員であるからと、多くの場面で彼らに理解を示している。

彼女の緻密さと粘りが、自白調書のフロッピーの日付が、事件以前になっていることを発見した。これが決定的になって、無罪を獲得した。

しかし、彼女が見つけることができなければ、少なくとも相当公判は伸びたであろう。もっと優秀な検察官が上手く改ざんしていれば、彼女は有罪になったかも知れない。

彼女を支える家族のきずなが弱ければ、くじけて犯罪を認めたかもしれない。支援者の輪が広がらなければ、検察側はもっと活気づいたであろう。村木さんは無罪を勝ち得て当然としているが、極めて危ういものであったと思われなくもない。

この辺りは前向きな彼女の性格の中に、納めてもらいたくはない。賠償請求をすんなり認めたために、事件ねつ造の争点はもちろんのこと、意味合いも明かされることがなくなってしまった。

陽の当たるところばかりが真実ではない。検察は悪を取り締まるのではなく、起訴されたものが悪なのであるとする思想が底辺にある。戦前の特高からレッドパージを経て、今日までその伝統は受け継がれている。

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防衛大臣は憲法違反である

2012-06-04 | 政治と金

野田首相が内閣改造をした。というより、自民党に問い詰められていた問責大臣などをすげ替えた。自らが党首である、民主党の内部を切り捨てて、野党の言い分を聞こうと、内閣改造までしたのである。Photo_3
このこと自体が異様である。どう考えてみても筋が通らない。2月ごろ極秘会談した、元財務大臣同士の増税への意思確認が生かされたことになる。多数がほしいために、野党の言いなりになる。これは異様である。

この内閣でさらに大きな問題なのは、防衛大臣になった森本敏である。この男はれっきとした軍人である。防衛大学を卒業し、長年自衛隊員として勤めた人間である。

憲法66条では、「国務大臣は、文民でなければならない」と規定されている。退職して時間が経っているから、文民であるというのは当たらない。

第一森本は、自ら防衛省に通じていると自認している。多くの発言もしている。とりわけ集団的自衛権は行使すべきであり、そのためには憲法改正までしなければならない、とまで発言している。安倍、麻生内閣で、防衛庁の防衛指揮者として重要なポストを任されてもいた。自民党のタカ派よりも、突っ込んだ発言を繰り返している。

さらに野田の森本指名の理由に、安全保障に精通していることを挙げている。民主党は、安全保障について明確な視点を示していない。自民党が最も突くところである。

つまり野田は、森本の安全保障思想(対米追従路線である)に賛同するというのである。党内論議はなされていない。

さらに、防衛長官も含め大臣に民間からの登用は、森本が初めてである。政策的には森本を突っ込めない自民党であっても、民間人登用は問題視するであろう。国防の要に民間人を置く鈍感さを突くことになる。

何はともあれ、国務大臣に森本を選んだことは、明確な憲法違反である。

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広瀬隆後援会を聞く

2012-06-03 | 原発と再生可能エネルギー

釧路に広瀬隆がやってきた。彼は「新宿に原発を」という本で、最初に知ったのである。北海道泊原発に反対するため、購入しPhoto
た。事務所においていたがすぐになくなった。2冊目もなくなった。誰もが興味持つ名著であると言える。

この時の道民の声を無視して、横路が泊原発にゴーサインを出した。原発反対者に世間は冷たかった。

そうした長い歴史の中で、広瀬隆はより一層研ぎ澄まされてきた。

今回の講演は舌鋒鋭く、忘れていた情熱を強く感じさせるものであった。国策に反対する人たちへは相当の締め付けがあったはずである。広瀬隆はそのため、さらに先鋭化してきたのである。

今でも原発は放射能を出し続けている。地下水の汚染は計り知れないものがある。これから水の汚染が始まる。がれきをどこかに持って行けと地元は言っていない。

電力不足の根拠は、一昨年の、歴史的な猛暑が根拠になっているが、現実には十分足りていること。原発の2倍分の能力を持つ、コンバインドサイクル発電を直ちに設置せよ。既に稼働している地域もあり、電力は不足しない。サハリンから天然ガスを輸入せよ。

とにかく、報道されていないこと、それに隠されている真実教えていただいた。原発の開発そのものが、多様な発電の開発を妨げてきている。

原発は中程度の地震があるだけで、停止するしかけになっている。極めて不安定な発電方式である。自然エネルギーも、気候に左右される不安定な電力である。

彼は訴える。すべての原発を直ちに全廃することしか日本人の生きる道はない。彼は時折涙声でないかと思われるほど、絞った声で訴えていた。長年かかわってきた人の真実の声である。

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読みの浅い野田

2012-06-01 | 政治と金

どうやら野田ドジョウ首相は、小沢を切って自民党と手を組むようである。野田が小沢に会ったのは、決裂を見越したアリバイ工作である。俺はやることはやったというのであろう。もう一度会うかもしれないが、たぶんこれっきりだろう。

その一方で、野田は自民党の条件をひとつずつ応えていこうとしている。問責決議の2大臣を罷免しない代わりに、内閣改造をするようである。メンツのために何でもやる。姑息である。

その次が小沢切りである。どのように切るかは不明であるが、これで自民党が公明党を連れて、テーブルにつかせるつもりかもしれないが、必ず自民党はもっと大きな条件を出すに決まっている。

解散総選挙は、自民党にとっても先の見えないことである。選挙で、民主党が勝利できないような条件、あるいはお互いの敵になる、維新の会を意識した民主党に不利な条件を出してくる。

もっとも考えられるのが、小沢グループの除名であるが、そのための下地づくりは、自民党の方がよっぽどい上手である。これまでの経験に加え、彼らには論功行賞のシステム(派閥)が残っているからである。

小沢に焦りがでると思われるが、自滅するか党を出ることになる。野田は自民党に政権を明け渡すことになり、誰かに消費税の功績をとられてしまう。民主党は少数野党に転落する。

野田には駅前演説のレベルを超えた手練手管はない。今のまま、愚直に消費税を言い続けた結果は、このようになってしまう。

私の予測ははずれるかもしれない。しかし、我々国民は政権交代の意味をもう一度考える必要がある。

ダムでも高速道路でも、自民党の時代と同じように作らせて、官僚の言いなりになって、金がないから増税をします、公約違反ですが党内で論議しましたとする論理は、政権交代の結果としてはあまりにもお粗末である。

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羅臼港

春誓い羅臼港