そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

ロシアは今日9月3日をロシア「軍国主義日本への勝利と第二次大戦終結の日」と、法律で決めた

2023-09-03 | プーチン

今日ロシアは、サハリンであるいは北方領土で、日ソ戦争勝利の日の祝典行事を大々的に行っている。メドジェーエフ元大統領をはじめとする、プーチン政権の側近が顔を並べてた式典は初めてのことである。
プーチンは、今年6月21日に、9月3日をロシアの「軍国主義日本への勝利と第二次大戦終結の日」の法案可決を可決している。メドベージェフは、ネオナチのウクライナと手を結んだ日本は、再びヒトラーと同盟を組んだことになると述べている。論理の飛躍は政治家の常套手段であるが、政治が歴史を自在に変更するのは許し難い。
これは経済制裁を強める日本への対抗措置といえる。メドベージェフが日本が領土と主張する国後島に降り立っただけでも、強く抗議していた日本の姿は今はどこにもない。
東京湾で戦艦ミズーリー号上で連合国と日本が、ポツダム宣言を受け入れると調印した日は、9月2日のことである。ソビエトは日本に宣戦布告したのは、8月9日である。この僅か25日戦いは、日ソ戦争あるいは日ソ八月戦争と呼ばれている。
ロシアは9月3日が終戦の日としたのは、時差の関係と主張していた。確かにソヴィエト連邦第35軍参謀長のクズマ・ヂェレヴィヤンコ中将は最後に調印しているが、9時から始まっているので9時半になるだろう。モスクワ時間に照らし合わせても、9月2日の午前3時半ということになる。
結局モスクワ(スターリン)が承認した日ということで通しているが、千島侵攻を終え行政区が北海道の一部である色丹島と歯舞群島に侵攻した日が、9月1日、5日であるから恣意的に遅らせたのであろう。
スターリンは本気で、北海道上陸を命じていた。時間が欲しかったのである。ソビエトはは初めから日本敗北状態である所に攻め入ってきたが、満州と朝鮮とサハリンと千島では、状況が可成り異なっている。満州は停戦協定を結んでいたが殺戮略奪など蛮行を繰り返し、サハリンでは敗戦した日本軍と交戦しているし、千島では領土拡大の侵攻をしている。
満州からの35万人ものシベリア地方への抑留は、ジュネーブ協定の国際法違反であるし、千島の占領もカイロ宣言に反している。
シベリア抑留は、KGBの命令9898号によって、「満州、朝鮮、サハリン、クルリーの日本人捕虜50万人を労働奉仕させる」ことに基づいて抑留したが、来日していたエリチンが酒臭い声で、シベリア抑留を謝罪している。これで終わりである。
日本は第二次世界大戦で、戦争の悪事を繰り返してきたが、それを巧みに利用したスターリンの奸計、術策にまんまと日本は嵌められたのは、単に外交能力がなかったのである。初歩的な外交の知識も技術もなく、大和魂で突っ込み玉砕、散華を繰り返し、神風を待ち勝利する戦争、外交はお笑いでしかない。
今また外交音痴の岸田文雄は同じ過ちを切り返し、戦争へと突き進んでいる。


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