![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/55/7533dea0f2e3baa77f701e81a153116b.jpg)
ところが現実は、不評の増田を担ぎ出した自民党候補をも下回り、小池の半数以下の得票であった。野党は浮かんでは消える候補者を探しあぐね、およそ政治には向いているとは思えない、鳥越を担ぎ出した。第一声が、まだ政策をまとめていませんですから、支持者が集まってもほとんど演説をしなかったことなど、多くの野党支持者の選挙民も離反した。宇都宮健児氏は立候補を直前に止めて、鳥越氏に託するということであったが、政策を出さない鳥越を支持することもなかった。ある調査では、共産党支持者の30%が小池に投票したというのであるから、敵失もいいところであろう。自民党は敗北したわけではない。むしろ二手に分かれて票を掘り起こしたといってもよかろう。小池は思想的には安倍に近い存在である。いずれほとぼりが冷めたら、見せかけ壊れた関係も修復することになる。
小池の選挙手法も効果的だった。鉢巻が受けたので、増田も真似たが二番煎じもいいところである。石原慎太郎の厚化粧発言も女性票を獲得することになった。小池はほとんど政策らしいのを訴えていない。できもしない冒頭解散はともかく、都政の見える化や五輪の適正化や多くの政策は何の特色もなく、政策などと呼べる代物ではない。野党の敵失や自民党が締め付けにかかったことも票を集める結果となっている。
こうした劇場型のパフォーマンスは演技によって作られる。選挙という大きな洗礼を受け止めるためにための、政治技術である。こうして為政者が選ばれるが、例えば東京都民の70%は反原発であるが、小池氏は稼働容認である。憲法についても東京都民の半数以上は改憲敗反対であるが、小池氏は現行憲法を廃棄し5月3日の憲法の日をなくせばいいなどとおっしゃられている。
民主主義を現代の政治家や識者は高く掲げるが、それは多数でもなければ国益優先でもない。民主主義の底流に存在しているのが、憲法に明記されている主権在民である。主権在民の表現形態が民主主義なら、世界各国の民主主義の形態は一様でないのも、おかしな話である。類似に民意という言葉があるが、これは簡単にマスコミに作られてしまう。さらにこれらは恣意的ですらある。
主権在民を実現するためには、情報の公開と絶え間ない為政者の国民への問いかけとその還流が必要であろう。
多くの為政者はいったん得た地位を固執し、まるで王政のように権力をかざし振る舞う。最もみじめな権力者は私腹を肥やすことの奔走する。
未だに政治目的の内容ではなくパフォーマンスが優れたものが勝ち、政治内容ではなく金銭問題やスキャンダルで失脚する政治家がいるのも、こうした質的劣化が政治を貧困にしているのである。小池氏の民意を汲む主権在民政治を望むものである。
なお、今回も「選挙操作」や「不正選挙」の可能性がネット上では飛び交っているが、ちゃんと調べて欲しいものだ。
ある分析を見たのですが、最初鳥越氏が立候補を表明した時点では鳥越氏が一番支持率が高かった。しかし小池氏が急激に支持を伸ばし、増田氏も支持を伸ばしたのに対し、鳥越氏は支持を失っていきああいう結果になったようです。鳥越氏はキャスター、ジャーナリストとして高い知名度がありましたが、しょせん選挙活動では素人、初動のミスが結局最後まで祟り、最後のほうの演説はすばらしかったものの都民の最初のイメージを覆すことはできませんでした。生活小沢代表や民進党東京都連会長松原氏などがもっと細かく選挙について指導していたらと悔やまれてなりません。まあそれだけの時間もなかったのかもしれませんが。また「反安倍、護憲、非核宣言都市、反原発」などというイデオロギーを表に出した演説もかえって都民に引かれる原因だったかもしれません。
でも私は鳥越さんにお礼を言いたい、ありがとうございました、危ないこの国の現状を憂え、高齢を押して出馬してくださったこと、心からお礼申し上げます。