J・ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer:1904年 - 1967年)は、アメリカの天才的理論物理学者である。
理論物理学の広範な領域で多くの大きな業績を上げてる。しかし、十分な業績を上げたにもかかわらず、ノーベル物理学賞は授けられることはなかった。
オッペンハイマーは、第二次世界大戦中のロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導し、卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発の責任者として指導者的役割を果たしたため、「原爆の父」と呼ばれていた。
昨年オッペンハイマーの映画が上映され、アカデミー賞作品賞や主演男優賞など受賞するなど、作品としての評価も高い。
これまでアメリカでは、「戦争を終わらせるために必要な正当な行為であった」と原爆を位置付けている。こうした、理由付けが一般に流布されて多くメリカ人のほとんどの人が、一瞬にして数十万人が死亡しあらゆるものが破壊され放射能がふりまかれる原爆投下について、ほとんど論議すらない。
この論理の発信者は、4カ月前に急遽就任し原発のなにかも知ることもなかったが、原爆投下を命じたトルーマン大統領である。
戦後日本人を家畜扱いせよとまで述べたトルーマンは、オッペンハイマーを労うために、ホワイトハウスに招いた。トルーマンの意に反して、オッペンハイマーは大統領に両手を差し出して、私の手は血塗られていると嘆きの言葉を吐いた。これにトルーマンは激怒したというのである。
オッペンハイマーは、ナチスに対抗するために原爆の開発に取り組んだのである。ドイツや日本に原爆の脅威を示すだけで済むと思っていた。例えば東京湾などで、原爆を爆発せるなどしにて、日本に降伏を促せばよいと思っていたようである。
原爆が実際に使われたことで、精神的に不安定なオッペンハイマーは、奇行を重ね健康を害してロスアラモスを去る。その後例えばブラックホールの発見など多くの功績を残したが、ノーベル賞に候補にすらがることもなかった。
オッペンハイマーが、1964年亡くなる3年前になるが、終戦19年後に被爆者とアメリカで面会し、両手を震わせて「涙を流して謝った」と、立ち会った通訳が証言している映像が広島市で見つかった。
この事実は、オッペンハイマーがトルーマンに謁見して、私の手は血塗られていると言ったエピソードが真実であったことを物語っている。
アメリカでも、今回の映画の公開で原爆は本当に必要であったかとか、無差別殺人となる原爆の悲惨さなどを見直す機運が、若干であっても起きてきていることを歓迎したい。