そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

民主主義と無縁の安倍政治

2018-06-22 | 民主主義
3日前の19日の本ブログにアクセスが多く、コメントも怒りと嘆きが多く考えさせられる内容であった。加計孝太郎が多額の国税を腹心の友を通じて入手したことは覆い難い事実であるが、許認可などのルールを悪用したのである。そこには国民が認めた制度があって、誰もが確認できるシステムになっている、それこそが「民主主義」を掲げて作成されたものである。
ところがこの民主主義こそが曲者である。それぞれが、民主主義の名の元に勝手な解釈をしている。我が国の国会には、”民主党”と名乗る政党が4つもある。自由民主党、立憲民主党、国民民主党、社会民主党である。ほとんど共通項のない、民主党という言葉である。我こそは民主主義をというのであろうか。
憲法には民主主義という言葉はない。憲法は主権在民を掲げている。民主主義は主権在民という基本の元で遂行される制度である。主権在民であるなら、時の政権は国民の意見を汲み上げ公開された情報の元で、平等に行われる政治でなければならない。
安倍晋三は全くこの民主主義の基本から外れたことをやり続けている。近親者と思想的同調者を近辺に並べて、特異な政策を執り行っている。森友加計問題がいい例で、主犯者は配偶者と腹心の友である。安倍晋三の近親者の犯行を隠蔽するために、嘘に嘘を重ね更に嘘をつく羽目に堕ちいっている。思想的同調者のいい例が、ウルトラ右翼の稲田朋美である。政治的手腕も裁量も品格もなく、恥じの上塗りを繰り返した。それでいて、防衛産業の株で家族が数億の蓄財をするおまけまでつきである。
これはまさしく、「首相主権国家」というしかない。「人民の人民による人民のための政治」といったのは、アメリカ16代大統領リンカーンの言葉である。これこそ民主主義の原点、主権在民を端的に言い表した言葉と言える。
安倍の政治は少し前までは、リンカーンの言葉から”ン”を抜いた、「自民の自民による自民のための政治」であったが今や、「自分の自分による自分のための政治」となっている。
安倍晋三が、民主主義を凌辱するだけではない。戦前の国粋主義国家へと向かわせようという、基本的思想が根底にある。それは、「国家の国家による国家のための政治」なのである。自民党憲法草案は、天皇を元首に擁き、国家に奉仕することを国民を求めている。安倍晋三の自由民主党は、民主主義と無縁の近親者政治であるといえる。
コメント (1)
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