皆さま高齢者外出介助の会のサロンに来られませんか?
取り留めなくお年寄りと話すと気がつかなった裏表が見えます。
昨日もブログに書きましたが「洗面器と下着を洗うバケツをお嫁さんから与えられた」と言う話です。
やはり私の経験からしか見えないのですね。その話をサロンに来られたボランティアさんに話しました。
友人の家庭の話をされ、認知症の姑が大の付いた下着を洗面器で洗い、それはその友人の洗面器でもあるものだそうです。ここでもバケツが登場です。
この家族は嫁、姑とのなかは悪くなくむしろ健康を案じ介護されているのです。(昨日ブログに書いた方も関係はいいのです。誤解のありませんように心から願っています)
一方的にお嫁さんが意地が悪いのでもなく話はよくきかないとと改めて思いました。(偏りがちですね。ただ、個別に内容は違い大をつけるというのも今日の話です。)
ただ、私は経験的に高齢者の肩を持ち「あの人がゆうたはった。私が正しいことを言っている」と思われるようなことは避けていますが。
哀しいですが、世代が違い、立場が違えば皆正しく、良し悪しは神様だけがご存知と思っています。
いつも思うのですが「生きるだけでなく、よく生ききる」難しさを思います。
与えられた命をいかに最後までまっとうし「よく生きた」と思えるのでしょうか?
サロンに色々な方が来られます。その中で自分の命を思わせられ、素晴らしい人生の道場だと思っています。
一度おいで下さいませんか。
今日Aさんに出したメールですが読んでくださっている皆様にも出したくなりました。
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