高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

分かってください

2010-10-05 21:05:39 | からほりさろん

からほりさろんに来られるNさんはやるきまんまんです。人形作りに挑戦しその上布ぞうり作りも。

数年前にご主人を亡くされ今は一人暮らしです。偶然、近所の方がさろんに用事で来られ近くに住んでられることが分かったのです。近所の方もからほりさろんに興味と共感をされ会員になた方です。

でも、認知症と言うのに理解が無いようで今日は遅くまで私と認知症につき話し合いました。

というのは、前出のNさんを認知症と決め付けるような話し振りで家族が気をつけないとと言われたのです。また「娘さん解らないのかしら」と。

何故認知症と言うのか聞くと、私達の名前を忘れてしまわれた。

そんなことがどうしたの?私の言い分です。日々の暮らしにご近所の方々の名前が必要ですか?暮らしに問題ないことは忘れてもかまわないではないですか。炊飯器の扱いを忘れ食事が作れなかったり、清潔にするのを忘れたりおっくがったり、明らかに問題行動があればともかく攻める気は有りませんがその程度で近所から阻害するような言動はいかがなものでしょう。

私の姑の例で話しました。姑は幸いにこんなことで騒ぐ近所が街中でビルばかりに囲まれていたのでありませんでした。もし、この方たちが姑に出会っていたら大騒ぎになっていたでしょう。

たとえば、お風呂介助のために家に行くと下半身ナイロンストッキングだけをはいている時がありました。夏なのに冬の服装であったり。

最後まで自宅にいたかった姑にはありがたい環境だったと思うのです。近所の方に会い「永井さんの家の電気が点いていたら元気だと安心する」話され、誰?聞くと「誰か知らない。」それでも、一人で倒れるまで暮らせたのです。

私は姑が一人で暮らすのに自信をなくさないようにサポートしていました。間違っていると怒ってばかりいたら自信はなえていくでしょう。私が何度も足を運べば良いのだからと思っていました。

そのようなことをわずらわしいと思えばいらだってきますが、私にはまだ先がある。そのままを受け入れて付き合っていけば良いと考えればたやすいことでした。

とにかくゆっくり見守ってあげて欲しい。私達の付き合い方が自分が認知症になった時帰ってくると私は信じていると話しました。解って欲しいのです。認知症でも安心してして住めるような温かい目と手を。