お宿&かふぇ 布屋 《主人のひとりごと》

120年経った京町家を改修した民宿『布屋』

みたらし祭り 2013

2013年07月25日 18時39分20秒 | 京都観光
下鴨神社で7月19日から22日に行われている「みたらし祭」にはじめて出かけてきました。最終日の22日の夕方のことです。その前にお昼ごはんは



串くらです。御池の高倉上がるにある町家を利用した先駆け的なお店です。お昼のランチタイムは何種類かあり写真のからあげ定食は¥840です。いつも混んでますが、多少時間をはずすとゆったりとしたお昼ご飯をリーズナブルに町家でいただけます。4台だけ駐車もできます。一旦家に戻って僕だけ下鴨神社に自転車で向かいます。例によって御所を斜めに?横断して出町のタネゲン(種と植木の店)の横を抜けて糺の森の入口に駐輪します。糺の森に入ると



屋台(夜店)が出ています。



鳥居の前には「みたらし団子」の出店がでていて長蛇の列です。手水で手を清め本殿にお参りしたあと受付で参拝料¥200を支払うと「ろうそく」が1本いただけます。靴を目皿で脱いでビニール袋にいれ、Gパンの裾をめくります。ここで膝より少し上までめくらないと後でえらいことになります。そのまま進むと御手洗池にざぶざぶ入ります。ここで半端に裾をめくると、ドボドボになる訳です。スカートや半ズボンがいいですが、浴衣の女の子たちはちょっと困っています。



外は35度近い気温ですが不思議に池の水は痺れるほど冷たいです。ホント。子供たちは「ひえーーつ」と叫んでいます。頭の芯まで冷たくなりそうなくらいです。土用の丑の日に神池に足を浸すことで穢れを祓い、無病息災を願います。ほんと冷たい。穢れが払われる感じです。思わず急いでろうそくに火を灯します。







丁度17時ころ神事が行われています。このあと御手洗社にお参りして、鳥居のところに来たら「みたらし団子」の行列が来た時より3倍位になっていました。その場で焼いているので果たしてどれくらい待たないといけないのかな。本当はもう少し暗くなってからの方がろうそくの灯りで幻想的になるようです。下鴨神社は8月の古本市の時にまた訪れる予定です。


土用の丑とあんみつ

2013年07月24日 16時18分16秒 | 京都で食べること飲むこと
ウナギの高騰でここ2年位食べていないと僕がぶつぶつ言うので、土用の丑の日くらいは・・・ということで南座のすぐ隣にある鰻屋さんへ出かけてきました。



さすが土用の日の前日とはいえお店はかなり混み合っています。入口には只今満席の表示。午後2時近くなのにやはり混んでいるんだと頷く我々。やっとお店の人が案内してくれます。が、順番に焼いてますので1時間くらいかかりますよ。



折角なのでここは待ちます。そして出てきたのが





お箸で切れる鰻を食べたのは本当久しぶりです。京都では関西風ではなく、蒸すスタイルの江戸風のお店の方が多いように思います。大層満足しましたが、次に「あんみつ」を食べるそうで、大和大路を越えて直ぐにある甘味屋さんに入ります。





以前は河原町にあった「月ヶ瀬」です。ここも3時過ぎでお店は一杯の人です。ここでは



「白玉入りクリームあんみつ」をいただきます。廻りの女性客はみなさん抹茶がかかった氷を召し上がってる方が圧倒的です。



あんこと黒蜜と寒天と白玉の絶妙なハーモニーです。僕的にはかなり甘いですが・・。次に向かうのが花見小路を反対側に渡った「鍵善」です。まさかここで「くず切り」は食べません。お買い物です。



さすがに祇園祭の設えです。反対側の歩道には「ぎおん辻利」さんの長蛇の列が見えます。



日曜日なのに宿泊予約が無いのでお出かけしました。我々がめったに見ない日曜日の祇園風景です。うちのおばあちゃんのお付き合いで美味しいものをいただきました。「感謝」! しかしよく食べて元気でなによりと実感した半日でした。


祇園祭 2013

2013年07月23日 19時50分36秒 | 京都観光
北海道の思い出があまりにも長くなり祇園祭の巡行が今頃になり申し訳ございません。今年の祇園祭の巡行はお天気に恵まれ雨の心配がなかったので鉾や山のあでやかな懸装品に雨除けのビニールがかけられなくて、とても美しい姿で巡行していました。毎年7月17日の巡行は、いつもうちの奥さんに先を越されて毎回留守番の憂き目にあっていますが、今年は北海道で列車に乗りすぎたようで、腰痛が再発?!しまして「私は出かけないし、たまには巡行見てきて」とのお言葉がでまして、久しぶりに巡行を見てきました。と言っても例によって清掃作業を済ませて、急いで新町御池の辻廻しに駆けつけます。



既に人で一杯です。なんとか人の隙間に入り込んで見ます。



丁度 菊水鉾の辻廻し中です。今頃駆けつけても御池通りのカンカン照りの場所しか空いてません。うちにお泊りの松戸のTさんチームは、朝ごはん食べたらすぐに出発!御池通りの陽が当たらない緑地帯で早めの待機で、ばっちり辻廻し等巡行を満喫したそうです。なんとか僕も人波の間から



舩鉾の辻廻しを見ます。そして次に



放下鉾の辻廻し。後ろには南観音山と北観音山が続きます。来年から祇園祭の巡行を昔通りに「先の祭り」と「後の祭り」の2本立てにする動きがあります。大舩鉾の巡行復帰を来年に控え、本来の祭りの姿に戻そうと山鉾連合会が打ち出しており、そうなると後の祭りの北観音山以降の山鉾は1週間後の24日に巡行するかもしれません。今年でこの姿も見納めになるかもしれません。(一説には今の巡行路の逆向けで来年は巡行するかもしれません)





西向けで進む「南観音山」と「北観音山」は見納めになるかも。そして急いで新町通りへ向かいます。



舞妓さんが来ている「紫織庵」の前はアマチュアカメラマンがたくさん集まっています。



新町を南下する南観音山と



北観音山です。巡行の最後はこの新町通りで見ることをお奨めします。なにしろすごい迫力でこの狭い路を進んでゆきます。そしてそれぞれの町内に戻ったらすぐ解体です。



重要文化財で覆われている「鯉山」も解体の時は無防備に目の前で胴懸や見送りが見れます。舩鉾の解体も見てきました。









車輪も外され、あっという間に骨組みになります。巡行は後ろのほうしか見れませんでしたが、今年最後になるかもしれない後の祭りの17日の巡行も見られて満足した僕は、暑い中とぼとぼと家路につきます。


思い出の地 北海道その11(函館の朝・はやぶさ編)最終回

2013年07月20日 16時08分23秒 | 旅先で
函館のホテルで朝目覚めると目の前に青函連絡船が見えます。今日もとてもいいお天気ですが、7日間の旅もあっけなく最終日を迎えました。さて朝ごはんです。歩いて5分くらいに有名な函館朝市があります。函館もいろんなホテルがありますがやはり直ぐ朝市に突入できるという点でこのホテルを選びました。爽やかな朝の空気の中を歩いてゆくと





朝8時前でこの活況です。カニやイカやホッケや雲丹だのが並べられて盛大な掛け声がかかります。しかし我々はまづ朝ごはんです。目指すは



函館朝市ではかなり有名な「きくよ食堂」です。ホントは駅前の津軽屋食堂に行くべきところをあまり時間が無いので掛け声のもと店に突入です。メニューは「海鮮丼」各種、紅鮭ハラス、銀だら、ほっけ定食とかお造り各種とかありとあらゆるメニューがあり悩むところです。がミニ海鮮丼とホッケ焼の欲張り定食なるものを発見。¥1780です。これだ!出てきたのが





朝からこんなに食べていいの?という気持ちも吹っ飛び完食です。お腹も落ち着いたし、いよいよ買い物です。娘と息子からは何か必ず買ってきてときつく注文が来ています。基本的にお土産類を一切買わない主義の僕のことを重々知ってるので、うちの奥さんに行く前から念入りに頼んでいます。いつものことながら朝市のお店の中をあっちふらふら、こっちふらふらと見て回るうちの奥さんのいつもの癖を帰りの電車に乗り遅れたら大変だとせかします。





やっと1軒のお店でイクラ、塩水雲丹(昨晩食べたやつ)、ホッケ、ししゃもを送ってもらいお買いもの完了です。電車まであと1時間半というところで昨日行きそびれた甘味屋に行きたいと提案されます。えーーっ。後でまたブツクサ言われるので市電に飛び乗り宝来町へ。



さっきあんなに食べたばかりなのにもう「あんみつ」です!ほんとよく食べますね!。



蔵を改装してかなり昔からある「ひし伊」です。どうしても行きたかったらしい、とても落ち着いたお店で、アンティークの着物とかもあります。でも帰りの電車があるのでトンボ帰りでまた市電に飛び乗り函館駅へ



函館発12時4分の「スーパー白鳥」で北海道に別れを告げます。青函トンネルを見なくっちゃと言いつつ、あまりの長さとお腹が一杯なのでいつの間にか居眠り状態です。昔はあれだけ時間をかけて青函連絡船で海を越えていたのに函館~新青森を2時間10分程で結んでいます。スゴイトンネルですね。これで新幹線が走るようになったら東京~函館は何時間で来れるのかな。さて新青森からは東北新幹線です。電車男はここは前もって「はやぶさ12号」のグリーン席をキープしています。うちの奥さんに「これだから楽でいいわ」とこの時ばかりは褒められます。



初めてみる「はやぶさ」(E5系)は写真で見るよりスマートです。しかし東北新幹線も盛岡あたりまではほとんどトンネルなので車窓の景色は楽しめません。でもJR東も珈琲サービスがあります。



運んできたキャビンアテンダントのお姉さんがお代わりもできますので・・と言ってくれます。(またまたと思っていたら仙台を過ぎたあたりでお代わりを持ってきてくれた)そして盛岡の手前でいよいよ電車男がそわそわします。盛岡で秋田からくる「スーパーこまち」と連結するシーンを見なくては・・・・。一番後ろのドアで待機。何しろ停車時間は5分。しかも「こまち」と連結したら1分で発車です。プシューとドアが開き最後部へ。ここで叫びます「えーーーーっ」



想定外のすごい人。男性だけでなく若い女性やら子供やらでホームは人で一杯です。



秋田からの「スーパーこまち」E6系が近づいてきて、わが「はやぶさ」E5系と連結です。あまりの人に写真なんかちゃんと撮れずに発車!このシーンがこんなに人気があるなんて。みんな鉄ちゃん化してるの?車内に戻るとまた呆れ顔のうちの奥さんです。「はやぶさ」は300キロ運転であっという間に大宮に着きます。なにしろ仙台の次が大宮なのです。大宮からは大都会の中を走り、定刻18時8分東京着。折角なので東京駅ナカで最後の乾杯をして(直ぐに帰らない我々です)最終の「ひかり」で帰途につきます。もちろんグリーン車です。JR東海では珈琲なんて出ません。サービス悪るーといううちの奥さんに、グリーン車が4両もあるのにそんなことしてたら京都へ着いてしまうと変に納得させているうちに京都タワーが見えて、無事帰ってきました。京都には定刻23時21分着です。大きな怪我や病気もなく(ちょっと食べ過ぎはありましたが)元気に帰ってきました。旅をして改めて人の暖かさや、やさしさ、こだわりとか大切なことを学んだ気がします。ながながとご愛読ありがとうございました。合掌。








思い出の地 北海道その10(函館編)

2013年07月16日 20時59分14秒 | 旅先で
落部駅まで銀婚湯温泉のご主人に送っていただき八雲まで普通列車で戻ります。八雲からすぐの連絡で特急スパー北斗で函館を目指します。札幌駅で事前にグリーン車をキープしてあります。窓の外は噴火湾の海が広がります。



短時間でもJR北海道のグリーン席へは珈琲がサービスされます。ゆったりした気分で函館到着です。



隣のホームには明日乗る予定のスーパー白鳥が止まっています。



久しぶりに函館駅に降り立ちます。青函連絡船時代の駅舎は今はなく、新しい駅舎に変わっています。少し歩いて今回最後の宿泊ホテルに荷物を預けにゆきます。身軽になったので観光の前にお昼ごはんにします。僕的には居酒屋の伝道師?太田和彦が函館で必ず入るという駅前食堂の「津軽屋」を考えていましたが、温泉で和食だったのでお昼は洋食!とうちの奥さんに指示されます。函館で洋食ということはここしかありません。十字街の市電停留所の近くにあるお店に向かいます。



創業明治12年という老舗「五島軒」です。フランス料理のフルコースから気軽なお昼の定食まであります。古めかしい建物のドアを開けて中に入るとなんと満席です。旅をしていると曜日の感覚がなくなりますが今日は土曜日だった。暫く待つと、恭しく黒服を着たかなり年配のボーイさん(おじいさんと呼べるくらい・きっとずっと働いてらっしゃったんだろうな)が席へ案内してくれます。メニューを開くと、なんか懐かしい内容に思わず悩んでしまいます。でもここは最後のランチなのでちょっと奮発。



創業当時と同じレシピで作られるカレーと海老フライ、おまけにビーフシチューもついたこれでもかの「明治の洋食&カレー」セット¥2100と決定。するとうちの奥さんも食べれるかなーとか言いつつ同じものをオーダーします。ホンマに食いしんぼですね。食後のデザートが



また懐かしい器に入ったアイスクリーム。添えられたウエハースが最高に懐かしい。満足満足。お店を出ると函館観光と行きます。



聖ヨハネ教会、ハリスト正教会と坂道に寄り添うように函館名所が並んでいます。小樽同様ここも中国系の観光客がたくさんいます。



重要文化財の旧函館区公会堂です。テラスからは函館港が臨めます。ゆっくり館内を見ていると「ハイカラ衣裳館」とあり、いにしえの明治の洋装になり記念写真をいかがですか?なんてポスターが貼られています。まさかこんなところでそんなことする人いるの?という我々の前をドレスに着かえたカメラマンを連れた女性が現れます。へーっ。テラスで記念撮影。階下に降りると件の衣裳コーナーには衣裳合わせ真っ最中の女性がチラホラ。清水寺近くで舞妓さんになる女性たちと同じなんだと納得して、一旦ホテルへ戻ります。函館駅に近いホテルの部屋からは



懐かしい青函連絡船(メモリアルシップ)が真正面に見えます。最初にも書いたように学生時代に何度も青森~函館を行き来した船です。大阪発の「白鳥」の他に上野からの急行「八甲田」や「十和田」たまに特急「はつかり」とかでも渡道していました。大学4年の時と、余計に行った5年の時は京都にいるより北海道にいる方が多かったという今の就活に追われる学生には考えられない時代ですね。昔話はさておき夕暮れが近づいてきました。函館といえば「夜景」です。それだけ北海道に来ていたのに夜景を見た記憶がない我々は今回初めて函館山に登ります。市電で宝来町まで行き、ロープーウエイの「山麓駅」まで歩きます。ロープーウエイの駅には結構人が並んでいます。でもすぐ搭乗。往復で一人¥1160もします。たぶん貧乏学生の頃は高いから敬遠していたかもしれません。超近代的なロープーウエイは3分で標高322メートルの山頂へ。



まだ夕暮れの状態ですが既に前の方は人で一杯です。風が強くてかなり寒い。襟裳ほどではないがウインドブレーカーがないと相当寒い。徐々に函館の街が日暮れて、ポツポツ照明がつきだすと、どんどん人が増えてゆきます。観光バスは直接上まで上がれるみたいであっという間に中国系の観光客でいっぱいになります。



さすが「世界三大夜景」です。でも寒いのと予想以上の人出に圧倒され、帰りのロープーウエイが混む前に退散です。下に降りてきたら山麓駅は団体さんの長蛇の列です。どこにこんなに人が泊まってるの?というくらいの外国人の集団です。我々はあきれ顔で今夜の居酒屋に向かいます。予てから函館では居酒屋に絶対に行く!と宣言しているうちの奥さんが満足できるか解りませんが太田和彦の本に出てくる「松風町」にある海鮮処「函館山」に向かいます。また函館山です。市電で松風町で降りるとなんか昔はもっと賑わっていたであろう繁華街が更地があちこちにあり寂れた感じです。目指す「函館山」はそこだけ明るい光を放ってます。



昼間のボリュームあるごはんのおかげでうちの奥さんのテンションもちょっと低めですが夜8時というまずまずの時間なのでお店に突入です。ガラガラ・・こんばんは。ところが3組も待っている。ここは待つしかありません。2階では盛大な宴会の声がします。少し待ってカウンター席へ。カウンターの下は生簀になっていて魚やイカが泳いでいる。ここで刺身盛り合わせ(ボリューム満点)函館に来たからには「塩水雲丹」それとホタテの焼いたのと名物グリーンアスパラの天ぷら(1本まるまる)地魚の煮つけ、ほかほかジャガイモ、〆に寿司盛り合わせと満腹。頭に白手拭の女将さんの溌剌とした接客ぶりも特筆モノです。本当は隣で食べていた「マイカの刺身」(「はい」って女将さんが持ってきたらまだ足がぴくぴく動いている)や「トロほっけ」を頼もうとしたが「二人ではちょっと大きすぎるわね」と言われて諦めたことを今でも覚えているうちの奥さんでした。(ホンマ食いしんぼですね)満足してぶらぶら歩いてホテルへ戻ります。あっという間の7日間も明日が最終日です。いよいよ最終回です。つづく。


思い出の地 北海道その9(秘湯銀婚湯編)

2013年07月14日 19時37分09秒 | 旅先で
今回の旅でどこか温泉に1泊したいと考えていました。北海道は温泉だらけでかなり迷いましたが登別や洞爺とか巨大温泉地ではないところがよいとの意見がめずらしく一致し、あれこれ考えましたがなかなか決まらず、ここは独断と偏見の雑誌「自遊人」のバックナンバーを引っ張りだし2009年版温泉宿大賞で第10位に輝いた「銀婚湯温泉」と決定します。この雑誌は一つのテーマを絞って総力で取り組んでいるところが気に入り宿特集は必ず見ています。ただ記事にもあるように「コストパフォーマンス抜群ですが遠いのが玉に瑕ですが」・・とあるようにスゴイ不便な所にあります。函館行きの特急で札幌から2時間20分で「八雲」に着きます。ここから3つ先の普通しか止まらない「落部」が最寄駅ですが連絡が最悪で次の列車まで2時間待ちです。なんとか30分待ちくらいの路線バスを見つけてバスで落部駅前まで行きます。この駅で宿からのお迎えが来てもらえます。バスを降りてもあたりには送迎用のマイクロバスなんか止まってません。するとホンダフィットの前に年配の女性が佇んでいて「布澤さんですか?」いいですね。お買いもの帰りのフィットに乗せてもらって10キロほど山に入ると目指す「銀婚湯温泉」に到着です。車内でお話ししていたらなんとこのおばさんが「女将さん」です。いいですね。かなり期待できますね。





日本秘湯の会のこの宿は自家源泉が4本もあり敷地は1万坪もある広大な土地に全21室しかなく本当にのんびり温泉につかれる宿です。チェックインというか宿帳に記帳して部屋に案内されます。廊下等歩くときのスリッパがありません。拭き込まれた廊下を裸足で歩くのが気持ちいいです。早速宿泊者専用の貸切露天風呂へ。(自遊人に夕方までに入るべしとあった)帳場で鍵をもらいいざ裏山にある風呂へ向かいます。



庭を通り抜け宿の裏手の雑木林をすすむと「吊り橋」があります。



吊り橋を渡って対岸に。すると案内の看板が立ってます。





熊でも出てきそうな雑木林の先に



どんぐりの湯です。下を流れる川をみながら野趣あふれる温泉です。宿では「野天風呂」とあります。こんな風呂が六ヶ所作ってありますがシーズン中は混んでいて一か所も入れない場合もあるそうです。いちど帳場にもどりどこか空いてますか?と尋ねると「もみじの湯」が空いてます。広大な庭は草刈りや手入れが大変です。草刈りのおじさんに道案内されて、また吊り橋を渡って別のお風呂に向かいます。(ただし自然の真っ只中なので「蚊取り線香」は必携です)



ホント大自然の中によくぞ作られたという野天風呂です。ぜんぶ自分たちで作ったそうです。極楽極楽。野天の後は、本館の露天風呂付き大浴場にも入ります。これがまた広いし、誰もいないし、源泉かけ流しやし、日ごろのスーパー銭湯と雲泥の差です。あたりまえ。温泉を満喫すると夕食です。こんな山の中の秘湯なので夕食は期待していませんでしたが、とんでもない。



先付から始まり、前菜、刺身、焼き物、煮物、冷鉢、揚げ物、中鉢、ごはん(ふきごはんでした)果物と盛りだくさんで、シンプルですが滋味深いものばかりです。





温泉に入り、お部屋で夜ごはん。ごはんの後は もう一度源泉かけ流しの大浴場へ。夜9時を過ぎると廊下の電気もあまりついてなく、館内はしーんとしています。でも静かなこの夜も宿泊者は15室30名くらいはあるらしい。ホント秘湯はいいです。静かな夜をすごして朝、またお風呂へ。男女が0時で入れ替えになっています。また違う露天に入ってから朝ごはんへ。朝ごはんは食事処です。



朝ごはんの食堂はどこにこれだけ泊まっていたのと思うくらい家族連れやご夫婦や若い女性もいます。ゆっくり朝ごはんを食べて、もう一度お風呂へ。ここで面白いものをドアノブにかけます。



お布団を上げてほしくない場合は「布団 そのまま」をぶらさげておきます。(裏は 布団 あげるです)結構皆さん連泊されています。羨ましい。名残惜しいですが再び落部駅へ送ってもらいます。



帰りは3組のご夫婦と一緒なので宿のステップワゴンです。あれ?!運転手は昨日の草刈りのおじさんです。助手席に座ったので、駅までの道すがらお話をします。ちょうど「アカシヤ」の花が満開で、養蜂家が仕事の後で夜うちの風呂に入りに来るんですよ とか会話していて、この草刈りのおじさんが、実は宿の「ご主人」と判明!駅で車から降りるとき常連さんが「ご主人 また来ますね」「○×さん またね」だって。女将さんといいご主人といいなんて素朴でいい人たちなんだろう。見習わなければ・・・と名残惜しく最終予定地「函館」に向かう我々です。つづく。







思い出の地 北海道その8(札幌編)

2013年07月12日 17時06分53秒 | 旅先で
ビール園での暴飲暴食がたたった一日でしたが気力で、はるか襟裳岬をめぐる旅を終えた僕たちは、この日が最大の強行軍でしたがなんとか予定通り札幌のホテルに戻ってこられました。こういう時に部屋のお風呂以外に大浴場があるとなんだか今日一日の疲れが取れる気がしますね。このホテルは部屋のカードキーがないと大浴場にも入れません。時間的に混雑してるかなと思いきや、ガラガラでゆっくりお湯につかって寒かった襟裳のことを思います。翌朝、今日の目的地の温泉に向かう列車が12時なのでホテルのチェックアウトの11時まで、ゆっくりしようと思っていたら早朝からうちの奥さんが北大に行ったことがないので散策に出かける!と行動的にでます。8時過ぎにチェックアウトして荷物を預かってもらい、眠い目をこすりながら北大へ。北大の南門までは札幌駅からも歩いてすぐです。



北大のキャンパスは広大で端から端まで歩くと豪語する奥さんを説得します。なにしろ朝から何も食べていないので構内の食堂を探しますが開店は大体10時半くらいです。当たり前です。仕方がないので有名なポプラ並木を目指します。



途中「青年よ大志を抱け」のクラー博士に出会います。



ポプラ並木です。昔のイメージとちょっと違ってます。台風とか寿命とかで木の数がだいぶ減っているようです。でも朝早くから修学旅行生をたくさん見かけます。そうですね、僕だって高校生くらいでこの広大で緑の多いキャンパスを見ていたら「北大」を目指したかも?皆、頑張って入学しろよとエールを送ります。



我々凡人は「ポプラ並木」で記念撮影くらいしか出来ませんが・・・。このあと北大の北部を諦めて(むかし友人が学んでいた獣医学部なんて歩いたら30分くらいかかりそうです)地下鉄で大通り公園あたりで朝ごはんにしようと提案します。食になるとあつさりOKがでます。札幌地下鉄で大通りへ。



まさかの観光コースの王道です。大通り公園も花の季節らしくあちこちで花の展示をしています。屋台では「とうきび」の焼ける香ばしい匂いが漂います。ほかにも牛タンやら豚丼やら干物やら空腹の我々にはよくない誘惑の声がやたらかかります。でもここは朝なので「スタバ」でパンとコーヒとします。このあと





旧道庁とかを散歩して駅へ戻ります。これで時計台をみたら完璧な札幌観光です。早起きは三文の得とはいいえて妙です。リュックを抱えて札幌発12時22分発の函館行き「スーパー北斗」で温泉に向かいます。





その前に車内でお昼ごはんです。



僕は構内駅弁の一番売れ筋の「海鮮弁当」¥1000ですがうちの奥さんは駅の中の大丸で買ってきた



同じく海鮮弁当です。これがなんと¥500。見較べて「私の勝ち!」と のたまいます。
つづく。次はいよいよ秘湯への旅です。






思い出の地 北海道その7(襟裳岬編)

2013年07月10日 20時30分17秒 | 旅先で
前夜の暴飲暴食がたたってあまり体調がよろしくないが、本日は一番の思い出の地を訪ねる日です。札幌を7時にでる特急で苫小牧へ向かいます。こんな朝早い列車なのに満席です。通勤、通学にも利用されてるみたいです。40分ほどで苫小牧着。ここから日高本線で終点の様似を目指します。



朝8時発の様似行きです。その昔襟裳に行くときに京都駅で「様似まで1枚」と切符を求めて窓口に言うと「?」となり、思わず時刻表を出して「ここです」なんて教えてあげたことがあります。その当時の時刻表を出してきてちょっと見てみると(そんな時代の時刻表を保存している自分がスゴイ)ちなみに京都を午前10時42分発の青森行き特急「白鳥」で青森着が23時50分、0時10分の青函連絡船11便に乗り函館着が午前4時、函館を午前4時45分発の釧路行「おおぞら1号」で苫小牧に7時58分着、苫小牧を8時42分発の急行「えりも1号」で様似に11時31分着、11時40分の国鉄バスで襟裳岬に12時53分に着くという方法がその当時もっとも効率が良かった。しかし京都から24時間以上かけて何回襟裳に行ったことやら。今思うと10回ではきかないくらい魅力があった場所です。そんな思い出の地に向かう列車は



1両のディーゼルカーです。キハ40というなつかしい窓が開くタイプです。何人かの地元の人と何組かの僕らのような旅人を乗せて列車は動き出します。8時に出て終点様似には11時19分着という長い旅です。新幹線なら東京から岡山位まで行けそうです。ボックスシートに陣取って車窓を愉しみます。日高線は進行右手側に席を確保です。なぜなら苫小牧を出て原野の中を暫く走ると車窓に海が広がります。生憎今日のお天気は雨ですが、お天気がいいと青い太平洋がずっと続きます。JRの沿線でこれだけ長く海と並走するのは日高線くらいでは。真ん中あたりを過ぎると左手には



牧場が見えます。ちょうど仔馬が生まれたばかりの時期なのか草原を仲良く親子で草を食んでいます。かなり乗りごたえがあった列車も終着様似に到着します。ここからはバスで岬に向かいます。バス停で待っていたら現れたバスは



昔と同じツバメマークのバスです。あまりの懐かしい光景に感激します。当時は国鉄バスでしたが、今は「JR北海道バス」です。ここからフルムーン切符は使えないのでバス代がかかります。様似から岬までと岬から十勝の帯広まで一人¥4640もかかります。ふたりで1万円近い。そりゃみなさんレンタカーを利用するでしょう。やはり地元の人、数人と我々物好きの観光客3組をのせて出発です。やはり右手に海を眺めながらえりも本町をすぎるといよいよ襟裳岬に到着します。バスを降りた瞬間、あまりの強風で飛ばされそうになります。



懐かしい灯台です。岬までくるとあの頃と同じ風景に思わず涙がでます。もう来ることが無いだろうと思っていたので感激もひとしおです。



襟裳の春は何もない春です。と唄われた岬ですが、僕たちに思い出がたくさんあります。



しかしすごい風。気温が11度。あまりの寒さにコートの襟を立てフードをしますが風で飛ばされます。何も無かった岬に「襟裳岬・風の館」なるあたりの景観や灯台の明かりを遮らないように配慮された地下2階建ての岬を眺める展望施設があります。望遠鏡で岬の岩礁に生息する「ゼニタカアザラシ」が見られます。本当は岬の真下まで降りたかったんですが強風(ホンマにスゴイ)と雨で断念します。



もうこれで最後かもしれない岬を眺めてからユースのある市街のほうにむかいます。市街といつても漁師の家や旅館やら通り沿いに並んでいるだけです。むかしちょっとした買い物にきていた「鈴木商店」は健在でしたが襟裳岬郵便局の跡にはポストだけあります。



えりも岬小学校も建て替えられてキレイになっています。そして小学校のグランドのむこうに「旧えりも岬ユースホステル」が見えます。



懐かしくてここでも涙が出そうになります。十数年前に父さんが亡くなってからは父さんの2番目の奥さんが独りで宿を切り盛りしてきたらしいです。ユースはやめて今は「民宿・仙庭」という屋号で営業しています。初対面でしたが快く中に招き入れてくれて帰りのバスの時間まで昔話をしてきました。なつかしい館内も一通り見てきました。





2階の廊下なんか殆ど変っていません。父さんの若い頃の写真もあちこちにあります。今では我々は同業者なのでいろいろ似たような苦労話もあります。名残惜しいですが帰りのバスの時間になります。昔のように見送りは旗を振ってるようです。



やってきた広尾駅行きのバスは我々だけを乗せて襟裳岬を後にします。





帯広へ抜けるこの道は「黄金道路」と呼ばれています。険しい海岸線を膨大な費用をかけて開通した道です。右手にはずっと太平洋の荒波が広がります。そんな道を我々だけ乗せたバスはひた走ります。えりも岬を14時54分に出発したバスは広尾に15時50分に着きます。結局始発から終点まで我々だけの貸切でした。広尾から帯広までは今度は「十勝バス」です。旧国鉄広尾線の終着駅がそそままバス乗り場になっています。駅で帯広までの切符を購入します。



これが驚きの「硬券」です。マニア垂涎!いまどきバスの切符に硬券の会社なんてあるのかしらん。帯広までの十勝バスは通学の高校生とかが乗ってきます。広尾線には1970年代に一世を風靡した「愛国」から「幸福」行の列車が走っていました。このバスも昔の広尾線をたどるように十勝の北海道らしい風景の中をはしります。帯広い着いたら18時34分。3時間半のバスの旅です。帯広駅で名物「豚丼」の駅弁を手にした我々は札幌行の特急に乗り込みます。



「スーパーとかち」です。帯広を19時35分発です。ここは前もって手に入れておいたグリーン車です。あー快適。



石勝線が出来て昔は考えられなかった時間で札幌に戻れます。22時12分に予定通り札幌着。あー遠かった。無事「襟裳岬」も訪れてこれで今回の旅の目的が達せられます。まだまだつづく。












思い出の地 北海道その6(ビール園編)

2013年07月09日 17時05分39秒 | 旅先で
出発地の小樽でレンタカーを返します。ガソリンを満タンにして返します。ガソリンスタンドでなんと10リットル足らずで¥1368です。積丹をぐるっと一周してこんな値段なんだ。そりゃ皆さんレンタカーを利用されるはずだ。列車とバスを乗り継いで旅していた頃はいったい何時間かかっていたのか。ホント北海道はクルマの世界ですね。でも我々はまたまたリュックを背負って電車で札幌に向かいます。札幌までクルマで行くなんて考えもつかなかった。レンタカーはどこででも返せるものだった。小樽から札幌に向かう函館本線は朝里から銭函までは大きな二つの都市を繋ぐ線路にしては珍しくずっと海沿いを走ります。電車男は昔からこの線が好きでした。ところが銭函からは突然住宅街が始まり、新しい駅がたくさん出来ていて、線路も高架になって次々と乗客が増えて満員状態で札幌駅に到着します。翌日の予定が早朝からの行動なので札幌では駅に近いホテルを予約しています。京都もたくさんホテルがありますが、負けず劣らず札幌もハイグレードからビジネスホテルまで目白押しです。ここも一休ビジネスで早割予約をしました。



駅から徒歩4分にある「三井ガーデンホテル」です。京都も2か所ありますがここのウリは「大浴場」です。最近のビジネスホテルでは同じような大浴場を装備したホテルがたくさん出来ましたね。比較的新しい建物で部屋の作りも簡素ですがチープではなく、女性を意識したインテリアです。うちの奥さんが先日大阪で泊まった「ブライトンシティ」とコンセプトが似ているとホテル評論家気取りで申しています。さっそく荷物を置いて、僕的に札幌でのメインイベントである店に急ぎます。札幌駅北口から直通バス(有料¥200)で7分。そうです札幌では絶対はずせない「サッポロビール園」です。



煉瓦の建物、煙突の赤★マーク。夢にまでみた「ビール園」です。貧乏だった学生時代の旅で、唯一の贅沢がこのサッポロビール園でした。ジンギスカン食べ放題、ビール飲み放題が当時の我々の最高レベルの食事でした。そのビール園にはるばるやって来ました。



余市で予定時間をオーバーしたのでもう夜7時を廻っています。バスを降りて中に入ると、あらあら以前のイメージに較べて巨大になっている。総合受付なるところがあって「只今ジンギスカンホールは30分待ち、ライラックホールは1時間待ち」とか出ています。えーーつ予約が必要なんだ。広いガーデンにはお土産コーナーとかもあって、すごい人がいます。平日で甘く考えていた。営業は21時30分までなので、飲み放題100分コースで考えているのに持ち時間がなくなるではないか。昔のビール工場をそのまま使っているホールでジンギスカンとサッポロビールと夢にまで描いていたのに脆くも崩れていきます。その昔のままのホールが「ケッセル・ホール」らしいが、もうどこでもいいから早くビールを!と椎名誠状態になります。禁煙でも喫煙でも何処でもいいからと受付で名前を伝えます。煉瓦の建物を見ながら待っていると、なんと「修学旅行生」の団体様がぞろぞろでてきます。そうなんだ。別にビールを飲まないでもジンギスカン食べ放題は生徒さんにも魅力ですね。時代の違いをまざまざと見せられた我々もやっと名前を呼ばれます。案内されたのは、やはり昔からのホールではなくて、最近出来た?であろうポプラ館です。かなり広いホールで座席数900とあります。ホールの奥には先ほどの修学旅行生が帰ったあとが見えます。とやかく言ってられないのですぐオーダーです。ここはジンギスカン食べ、飲み放題¥3770プラス一人¥380でヱビス、サッポロクラシックも飲み放題プランでいきます。



北海道の形のジンギスカン鍋で最近は生ラムもセットになっています。年配の薦め上手な?女性スタッフが肉がなくなるとすぐ直ぐ近づいてきてお代わりを薦めます。調子に乗ってどんどんお代わりをします。ビールも初めはヱビス生で次に北海道限定のサッポロクラシックを頼み、次にもう一度同じもの、次はハーフ&ハーフ・・勢いづいて六杯も飲んでしまいます。



もう年やし、あまり肉もビールも飲めないし、本当はあまり来たくなかったとか言っていたうちの奥さんもびゅんびゅん飛ばします。そしてもうこれ以上食べられない、飲めないといいつつ帰途につきます。満足!満足!・・・・ここまではよかった。ところが明け方、逆流性食道炎らしい状態に陥り、やはりもう年なんだから若いころのマネは禁物と悟らされます。あーあ。つづく。


思い出の地 北海道その5(積丹編)

2013年07月08日 14時02分56秒 | 旅先で
お墓参りを済ませて我々は積丹半島の先端にある「神威岬」へ向かいます。昔は行き止まりだった道も今は驚くほど長いトンネルをいくつか通り過ぎるとあっという間に整備された神威岬駐車場に着きます。確か昔は反対側からしかこの岬への道は無かった筈です。駐車場の案内に灯台へは徒歩約30分とあります。ここまで来たらと岬に向かいます。整備された遊歩道を歩きます。平日ですが意外と観光客が多いのも、丁度花の時期で岬までにユリの花が断崖にあちこち咲いています。











灯台にたどり着きました。透き通る海と緑と黄色の花を眺めながら岬の先端に来ると



はるか沖に岩が荒波に立ち感動します。結構ご年配の団体も来られてあたりは記念撮影タイムです。頼みもしないのに「写真撮りましょうか」なんて声をかけてもらいます。折角なので



はいチーズ。この写真が今回の唯一二人で写っている写真です。予定外の観光もこなして、さてうちの奥さんがここまで来たら「うに丼」を食べる!と断言します。岬の駐車場にも食堂があり、うに丼の旗が強風の中(岬の突端はすごい風です)はためいています。お店の名前が「レストハウス・ペニンシュラ」とあります。なんでここまで来てこんなネーミングなのか?ここは避けてガイドブックにある少し先の「漁師直営食堂中村屋」に向かいます。名前からして漁師小屋のお店に入るとやはりみなさん召し上がっています。どーん。



「うに丼」です。¥2500が安いのか高いのかわからない間にあっという間に完食。僕は大層満足しましたが、クルマの中でうちの奥さんが「丼ぶりの端にあった大根のケンと大葉が余計や。全部うにでないと・・」とつぶやいています。ホンマ食にはウルサイ。このあとクルマを返しに小樽に戻ります。海沿いの美国や古平を通り過ぎ、余市の市街に入ると「ここまで来たらニッカの工場に行かな」と指示が出ます。時間はまだ4時なので5時の閉場には間に合います。町のどこにあるかわからないので試しにナビを使いますが、設定に手間取ってるうちに案内看板を発見して無事ニッカ余市蒸留所に到着。よくよく見たら余市の駅の正面に位置しています。さっそく中へ。



駅前に位置していますが一歩蒸留所に入ると広大な敷地に圧倒されます。実はウイスキーにもウルサイ僕は、「S」社よりもニッカのほうを好んでいます。工場の雰囲気も山崎よりもなんかウイスキー工場らしいし、受付や案内の女性もS社のようにあか抜けていなくて、なにか好感が持てます。しかし5時閉場なのでゆっくり見ていられません。



ポットスチルにしめ縄が巻いてあるのもニッカらしいし、いまだに石炭を使って蒸留しています。



無防備な状態で樽が眠っています。ホンマ「ニッカ」は何からなにまでおおらかで、なかなかよろしい。もっとゆっくりと訪れたかったんですが、今日はお墓参りが主でその後、岬やうに丼やらで時間切れです。



「ホタルのヒカリ」が流れている試飲コーナーではうちの奥さんが欲張って3種類のモルトを愉しんでいます。運転手は「リンゴジュース」しか試飲できません。グラスをもって動かないうちの奥さんを引っ張って退場します。駅前にあるから今度来るときは列車で来ようということで余市蒸留所を後にします。つづく。