お宿&かふぇ 布屋 《主人のひとりごと》

120年経った京町家を改修した民宿『布屋』

思い出の地 北海道その7(襟裳岬編)

2013年07月10日 20時30分17秒 | 旅先で
前夜の暴飲暴食がたたってあまり体調がよろしくないが、本日は一番の思い出の地を訪ねる日です。札幌を7時にでる特急で苫小牧へ向かいます。こんな朝早い列車なのに満席です。通勤、通学にも利用されてるみたいです。40分ほどで苫小牧着。ここから日高本線で終点の様似を目指します。



朝8時発の様似行きです。その昔襟裳に行くときに京都駅で「様似まで1枚」と切符を求めて窓口に言うと「?」となり、思わず時刻表を出して「ここです」なんて教えてあげたことがあります。その当時の時刻表を出してきてちょっと見てみると(そんな時代の時刻表を保存している自分がスゴイ)ちなみに京都を午前10時42分発の青森行き特急「白鳥」で青森着が23時50分、0時10分の青函連絡船11便に乗り函館着が午前4時、函館を午前4時45分発の釧路行「おおぞら1号」で苫小牧に7時58分着、苫小牧を8時42分発の急行「えりも1号」で様似に11時31分着、11時40分の国鉄バスで襟裳岬に12時53分に着くという方法がその当時もっとも効率が良かった。しかし京都から24時間以上かけて何回襟裳に行ったことやら。今思うと10回ではきかないくらい魅力があった場所です。そんな思い出の地に向かう列車は



1両のディーゼルカーです。キハ40というなつかしい窓が開くタイプです。何人かの地元の人と何組かの僕らのような旅人を乗せて列車は動き出します。8時に出て終点様似には11時19分着という長い旅です。新幹線なら東京から岡山位まで行けそうです。ボックスシートに陣取って車窓を愉しみます。日高線は進行右手側に席を確保です。なぜなら苫小牧を出て原野の中を暫く走ると車窓に海が広がります。生憎今日のお天気は雨ですが、お天気がいいと青い太平洋がずっと続きます。JRの沿線でこれだけ長く海と並走するのは日高線くらいでは。真ん中あたりを過ぎると左手には



牧場が見えます。ちょうど仔馬が生まれたばかりの時期なのか草原を仲良く親子で草を食んでいます。かなり乗りごたえがあった列車も終着様似に到着します。ここからはバスで岬に向かいます。バス停で待っていたら現れたバスは



昔と同じツバメマークのバスです。あまりの懐かしい光景に感激します。当時は国鉄バスでしたが、今は「JR北海道バス」です。ここからフルムーン切符は使えないのでバス代がかかります。様似から岬までと岬から十勝の帯広まで一人¥4640もかかります。ふたりで1万円近い。そりゃみなさんレンタカーを利用するでしょう。やはり地元の人、数人と我々物好きの観光客3組をのせて出発です。やはり右手に海を眺めながらえりも本町をすぎるといよいよ襟裳岬に到着します。バスを降りた瞬間、あまりの強風で飛ばされそうになります。



懐かしい灯台です。岬までくるとあの頃と同じ風景に思わず涙がでます。もう来ることが無いだろうと思っていたので感激もひとしおです。



襟裳の春は何もない春です。と唄われた岬ですが、僕たちに思い出がたくさんあります。



しかしすごい風。気温が11度。あまりの寒さにコートの襟を立てフードをしますが風で飛ばされます。何も無かった岬に「襟裳岬・風の館」なるあたりの景観や灯台の明かりを遮らないように配慮された地下2階建ての岬を眺める展望施設があります。望遠鏡で岬の岩礁に生息する「ゼニタカアザラシ」が見られます。本当は岬の真下まで降りたかったんですが強風(ホンマにスゴイ)と雨で断念します。



もうこれで最後かもしれない岬を眺めてからユースのある市街のほうにむかいます。市街といつても漁師の家や旅館やら通り沿いに並んでいるだけです。むかしちょっとした買い物にきていた「鈴木商店」は健在でしたが襟裳岬郵便局の跡にはポストだけあります。



えりも岬小学校も建て替えられてキレイになっています。そして小学校のグランドのむこうに「旧えりも岬ユースホステル」が見えます。



懐かしくてここでも涙が出そうになります。十数年前に父さんが亡くなってからは父さんの2番目の奥さんが独りで宿を切り盛りしてきたらしいです。ユースはやめて今は「民宿・仙庭」という屋号で営業しています。初対面でしたが快く中に招き入れてくれて帰りのバスの時間まで昔話をしてきました。なつかしい館内も一通り見てきました。





2階の廊下なんか殆ど変っていません。父さんの若い頃の写真もあちこちにあります。今では我々は同業者なのでいろいろ似たような苦労話もあります。名残惜しいですが帰りのバスの時間になります。昔のように見送りは旗を振ってるようです。



やってきた広尾駅行きのバスは我々だけを乗せて襟裳岬を後にします。





帯広へ抜けるこの道は「黄金道路」と呼ばれています。険しい海岸線を膨大な費用をかけて開通した道です。右手にはずっと太平洋の荒波が広がります。そんな道を我々だけ乗せたバスはひた走ります。えりも岬を14時54分に出発したバスは広尾に15時50分に着きます。結局始発から終点まで我々だけの貸切でした。広尾から帯広までは今度は「十勝バス」です。旧国鉄広尾線の終着駅がそそままバス乗り場になっています。駅で帯広までの切符を購入します。



これが驚きの「硬券」です。マニア垂涎!いまどきバスの切符に硬券の会社なんてあるのかしらん。帯広までの十勝バスは通学の高校生とかが乗ってきます。広尾線には1970年代に一世を風靡した「愛国」から「幸福」行の列車が走っていました。このバスも昔の広尾線をたどるように十勝の北海道らしい風景の中をはしります。帯広い着いたら18時34分。3時間半のバスの旅です。帯広駅で名物「豚丼」の駅弁を手にした我々は札幌行の特急に乗り込みます。



「スーパーとかち」です。帯広を19時35分発です。ここは前もって手に入れておいたグリーン車です。あー快適。



石勝線が出来て昔は考えられなかった時間で札幌に戻れます。22時12分に予定通り札幌着。あー遠かった。無事「襟裳岬」も訪れてこれで今回の旅の目的が達せられます。まだまだつづく。