お宿&かふぇ 布屋 《主人のひとりごと》

120年経った京町家を改修した民宿『布屋』

ご心配おかけしました。元に戻りました。

2012年01月30日 18時05分40秒 | 布屋
昨年来、皆様にご心配おかけしていました京都市からの建築基準法上の問題点について、建築家のS氏と京都市建築指導課との協議の結果、主に防災上の問題点を改善する工事を行うことで、宿としての使用範囲を拡大できることとなり、1月中旬に改修工事を実施いたしました。
そして1月25日に元の姿を取り戻すことが出来ました。

玄関を入ると、近江水屋と飾り棚が前と同じように並びます。

ライブラリーから茶の間(町家ではダイドコと呼びます)がみえます。

そして、そのまま、奥の坪庭まで見通せます。
本来の京町家の姿を取り戻せました。
今回の問題について半年近くにわたり、尽力いただきました建築家のS氏に、この場をお借りして、御礼申し上げます。
また「布屋」を愛してくださっている、ご常連のお客様にも御礼申し上げます。
鈴虫寺のお守りをわざわざお送りいただいた横浜のSさんや、京都市建築指導課に、ご連絡していただいた明石のH氏はじめ、今回の「壁」に対して心痛めて頂いた皆様に、厚く御礼申し上げます。
これからも、京町家の宿「布屋」を、よりみなさまにご愛顧頂けるように、努力してまいりますので、引き続き応援をよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

電車男 今度は松山へ。その5

2012年01月17日 10時17分50秒 | 旅先で
旅先でいわゆるお土産類を買うことは今までほとんどありませんでした。荷物が増えるのと、手がふさがりカメラを自由に使えないからです。先日の新潟でも何も買わなかったけれど、今回伊丹十三記念館では「十三饅頭」「オリジナル手ぬぐい」2本と、ここでしか売ってない伊丹十三のDVDを購入しました。「伊丹十三記念館公式ガイドブック」は、暮れの12月31日に「恵文社」に行ったときに偶然見つけて買って、今回行きの電車で読んできました。(「恵文社」はやはりホンマにすごい本屋だと再確認した次第)そして帰ってから娘に「珍しい!お土産を買ってくるなんて」と言われてしまいます。帰りもまた鈍行に揺られて京都まで帰ります。13時4分松山発伊予西条行き。またまた2両連結の電車は海側の車窓を独り占めできるくらいの乗車率です。

そして海を眺めながらお昼ごはんに松山駅で仕入れた駅弁「醤油めし」をほうばります。発売以来50年というこの駅弁は、松山を代表する駅弁で「うまいぞなもし」です。18きっぷの旅は経済的には最高ですが、国鉄時代に比べて、近頃の鈍行列車は合理化で連結両数が短く、しかも通勤に便利なようにロングシートの車両が多く、車窓を見ながらのんびりと駅弁を食べるということが不可能に近くなってきています。その点、この予讃線の鈍行は旅情たっぷりです。ワンマン運転の電車の、とある風景ですが、年老いたご婦人が下車するときに運賃の支払いで運転手さんに相談しています。会話から、なにか乗り越し料金が足りないらしいです。しばらく老婦人と話していた運転手さんが「おばあちゃん、今回は追加はいいですし、勉強しときますわ」だって。世知辛い都会の電車の風景とちがい、停車時間が多少長くなっても乗客は皆なにも言わないで、なんだかほのぼのとした風景ですね。そして電車は香川県に入ります。「次は観音寺終点です。16時37分到着です。この先、高松方面へは、17時31分までお待ちください」だって。なんと1時間も連絡がない。仕方なくまた改札を出て駅前を散策します。

18きっぷで旅している人、数人が同じように駅前をぶらぶらします。でも夕方近くなり外は結構寒くなり、早々と駅に戻ります。ホームではすでに高松行きが発車が30分以上前なのに待っています。ほんまに18きっぷの旅は「忍耐です」この後、坂出で瀬戸大橋線に乗り、岡山から姫路行き、途中網干で新快速に乗り継ぎ京都駅には定刻の22時29分に到着しました。今回も一人だったからか、全列車座ることが出来て大変満足のうちに松山への旅が終わりました。

電車男 今度は松山へ。その4

2012年01月16日 15時06分58秒 | 旅先で
ホテルの前を走る市内電車の音で目覚めた僕は、無料朝食へ。1階のロビー兼用のスペースにオニギリ、味噌汁、煮物などが盛られていて自由に朝ごはんがたべれます。珈琲もあり、忙しいビジネスマンにはなかなか良いサービスですね。ホテルをチェックアウトして、大街道という名の繁華街を抜けて松山市駅までぶらぶら歩きます。途中ちょっといい感じのパン屋さんなんかも見てバス停へ。

いよいよ今回の最大の目的地へ市内バスで向かいます。砥部行のバスで20分ほどで

伊丹十三記念館につきます。
1996年暮に突然亡くなった伊丹十三の新聞記事をみて、ひどく驚いたのは僕だけではないはずです。学生の頃から彼の本を幾冊も買い求め、その好奇心旺盛さに圧倒されてきました。数あるエッセイは、少なからずいろいろ影響されました。スパゲッティの食べ方はいまだに書かれていた通りにしています。1月4日の10時の開館に訪れたのはもちろん僕一人。入口で伊丹十三が「やあ、いらっしゃい」と少しニヤリとして迎えてくれます。13のコーナーに分けられた展示物は、小学生のころの観察日記や作文から、レコード、楽器、イラスト、デザイン画、エッセイの直筆原稿、台所道具(包丁は「有次」だった)、骨董の食器。よくぞこれだけのモノが残してあったと感心しました。僕がいろんなモノを捨てないで残していて、いつもうちの奥さんにブツクサ文句を言われていますが、宮本信子を見習ってほしいものです。(伊丹十三とレベルが違うと言われそうですが)展示コーナーのテレビでは、伊丹十三が出ていた懐かしい「遠くへ行きたい」のVTRがあちこちで流れています。昭和50年代の「遠くへ行きたい」という番組をみて、こんな旅がしてみたいと熱心に見ていた懐かしい映像です。一通り見終わると中庭を挟んでカフェがあります。

ここでゆっくり「十三饅頭」とお茶を飲んでいたら、帰りの電車に乗り遅れそうになります。来館記念の写真も撮ってもらい(記念館のHPにそのうちアップされるそうです)名残惜しく電車男は帰途につきます。13時4分の電車に乗らないと京都へ帰りつけません。18きっぷの旅はとても好きですが、気に入ったところにゆっくりいられないという問題も残ります。うちによく来ていただく「松山のYさん」から松山は暖かくて温泉も、海もあってぜひ一度来てくださいね、と薦められていて、とうとう来ましたが、やはり2,3泊しないといけないですね。今回は道後温泉と伊丹十三記念館だけですからね。松山城も今回諦めた

赤丹本店も次回はぜひ来るぞということで松山を後にします。つづく。

電車男 今度は松山へ。その3

2012年01月15日 15時46分24秒 | 旅先で
松山駅前で伊予鉄道市内電車1日乗車券を購入します。値段はなんと¥400。市内を循環しているのと、かの有名な「道後温泉」へもこの電車が便利です。しかも一乗車が¥150。JR駅前から今夜の宿へはこの電車で向かいます。

市役所前、県庁前など中心街へ向かう電車が、つぎつぎとやってきます。大阪の阪堺電車みたいに車両はかなり古いタイプですがその分、味があります。時折新型のLRT型も走っているし、京都みたいに過去に市電を一掃しておきながら、今また市内電車を見直す動きがある街に比べて、このまま頑張って残して欲しいものです。松山での宿は「東横イン」。正月期間はビジネスホテルも安くなっていて、1泊¥4500で、簡単な朝ごはんもついています。荷物を置いて、タオルをぶら下げて、市内電車で「道後温泉」本館へ。

市内中心部から電車で10分もかからないところにこんな立派な温泉があります。晩御飯を簡単に済ませ(居酒屋に行って酔っぱらって温泉に行けないので)温泉に着いたのが20時ころ。でもあたりは結構賑わっています。入口で入浴券を購入しますすが、普通に入るだけだと¥400、神の湯2階席という畳敷きの休憩所を利用すると¥800、2階の浴室も入ると¥1200、3階個室まで利用すると¥1800と、古い温泉の割に、かなりグレードが分けられています。今回は神の湯2階席で入館。築110年という建物は重厚で、さすがに重要文化財に指定されてるだけはあります。

神の湯は同じ大きさの浴槽が2か所あり、それこそ地元の人や若者から年配者まで、ゆっくり温泉につかってます。そして湯上りに2階の大広間にあがると、サービスのお茶とお煎餅がいただけます。(残念ながら館内にはビールはありません)この時間は道後温泉本館の周りにある旅館に泊まってる人が多く見受けられ、宿の浴衣で来ている人を羨ましく眺めながら、電車男はGパンに履き替えて、市内電車でビジネスホテルへ戻ります。勿論コンビニで缶ビールを調達しました。つづく。

電車男 今度は松山へ。その2

2012年01月14日 13時42分17秒 | 旅先で
予讃線を一路松山に向かいます。1月3日だというのに途中駅から高校生が時折たくさん乗ってきて、小さな駅でパラパラと降りてゆきます。正月からクラブ活動?と訝っていると、話の内容でどうやら受験生のようです。あと2週間くらいで受験が始まるのかな?皆真剣な表情で車内で勉強しています。ぼんやり車窓を眺めて、居眠ってるオジサンを彼らはどう見てるのかな。あ、他人のことまで見てないか。予讃線の車窓は時折、海沿いを走ります。

JR四国の看板特急「しおかぜ」だと岡山~松山間を2時間45分で結んでいます。わが鈍行はやたら途中駅でこの特急に追い抜かれたり、単線なので行き違いのたびに、待たされます。今年は日が悪く、今日が帰省のUターンのピークで、川之江や新居浜等の大きな駅のホームには岡山行きに乗るための長い列が続きます。岡山行きの「しおかぜ」は自由席のドアのところまで立っています。それに比べ、わが鈍行はのんびりガラガラで松山を目指します。新居浜を過ぎて次の伊予西条で車内放送があります。次の伊予西条には14時50分に到着します。発車は15時27分となります。な・なんと37分停車。こんな世の中に途中停車が37分もある電車が残っていたとは・・。

車内に荷物をおいて改札から駅の外にでます。こんな体験は、昔学生の頃北海道を旅していたとき稚内から札幌に向かう途中の「名寄」という駅で確か4,50分停車の際、改札を出て駅前の本屋に行ったことを思い出します。鈍行の旅ならではです。そしてこの駅には「四国鉄道文化館」なるものがあり、新幹線の”0系”や「DF50」とかが展示されています。しばし休憩の後、車内へ戻ります。また海沿いを走り、そろそろ外が暗くなりかけた17時12分に無事松山に電車は到着しました。

松山駅は近頃よくある2階建ての駅ではなくてホームと駅舎が平面な駅で、なぜかホッとします。北陸の「金沢」「福井」東海道の「岐阜」「浜松」山陽の「姫路」や「奈良」駅がみな整備されて利用者は便利になりましたが、旅行者はどこの駅も皆同じような風景で旅情が感じられません。松山駅前は大きなビルもなく、市内電車が発着していて、とてもいい街に感じられます。つづく。

電車男 今度は松山へ。その1

2012年01月11日 19時23分42秒 | 旅先で
青春18きっぷの季節。秋は新潟から正規料金で帰ってきましたが、鈍行列車の旅は、18きっぷに限るということで、新年早々一人で松山へ出かけてきました。(今回はうちの奥さんの親友が京都のお正月を楽しみに来るので、勝手に行ってらっしゃいと、見送られることもなく出かけました。)
1月3日の列車ダイヤは日、祝用です。朝7時29分発「新快速」播州赤穂行に乗ります。乗車率70%。京都駅から坐れます。前夜が遅かったので居眠りの連続でうつらうつらするうちに相生に9時29分着。すぐ岡山行きに接続。いつもはこの区間坐れない場合が多いが、ここも中国人?旅行者ともども坐れます。この時期学生さんやシニア18きっぷ世代が多いですが、外国人も鈍行で旅をしています。岡山からはマリンライナーに乗車。さすがに立ってる人も出ますが、この区間も坐れました。

しかしよくこんな海の上に橋を架けたものですね。あっという間に瀬戸内海を渡り四国、坂出で乗り換え。ここで1時間の待ち合わせを利用して駅にある讃岐うどん店を目指します。ところが誤算発生。さすが正月、並んでいる。名前を書いてしばらく待つも、新潟の回転寿司店みたいに一人でも、すすっと入れてくれず順番は順番。これでは乗り継ぎに間に合わないと判断して駅弁も売ってないので、スーパーでおにぎりを買って松山行になんとか間に合います。高松からきた松山行の電車に乗ります。坂出を12時30分に乗って、終着松山には17時12分着という、なんと5時間弱も乗ります。今時これだけ長時間走る電車はちょっと珍しいです。どんな電車が来るかとホームで待っていると、やってきた松山行は、なんと2両編成。ホンマに昔の国鉄時代の列車がなつかしい。こんな長距離を走る列車は最低でも6両は繋がっていたのに。

しかもこの電車は、片側がクロスシート(4人掛け向かい合わせ)片側がロングシート(通勤電車のように横並びシート)という初めて見るタイプの電車です。でもかなりの混雑を予想していたのに、ガラガラでよかったです。4人掛けクロスシートにひとり坐り一路松山に向かいます。しかも乗客が少なくなる途中駅からは、2両連結のうち、後ろの車両を回送という名目で締め切ってしまいます。

なんということをするのだJR四国。JR西より、せこいではありませんか。2両連結、でも実は1両しか乗れない松山行はひたすら予讃線を進みます。高校生のころから日本国内をふらふら旅をしていましたが、なぜかこの年まで愛媛県、高知県、そして沖縄県の3県だけ足を踏み入れたことがありません。予讃線を走る電車は香川から愛媛に入ります。これで残るは2県となります。つづく。

迎春 2012

2012年01月09日 19時44分32秒 | 布屋
謹賀新年。あちらこちらと出かけたりしたので、もうすでに9日が経ちました。また後日ご報告します。
さて、毎年初詣は

上賀茂神社にお参りしています。
元旦から5日までは、普段入れない本殿前で直接お参りができるので、我が家の恒例としています。

時折冷たい雨が降りましたが、やはりここが一番清々しい気持ちでお参りができます。
今年も我々は健康に気を付けて頑張ってまいります。
本年も何卒よろしくお願いいたします。