半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

このVOCALOID曲が凄い!

2011年01月17日 | 学習




haruna808*【初音ミクオリジナル】いのちのうた Another Mix【手書きPV付】




こ、これは凄いぞ……!!

ここしばらくまたしてもVOCALOID事情に疎くなっていたので、反省して昨日は【ニコニコ動画】をさまよい歩いていました。でも、1日くらいでは全然最新事情に追いつけない…(ヽ´ω`)なんか久しぶりに来たら、いっそう凄いことになってるし…! あー、私は置いていかれている。でも、いつ見ても新鮮さが失われていなくていいですね、この業界は(^_^)

そういうわけでフラフラと沢山のオリジナルのボカロ曲を聴きまわっていたのですが、その途中で、haruna808氏による、このもの凄い曲と遭遇したのです。これは凄い。マジで凄い。初っ端からもの凄い衝撃。なんだこの曲、すげえぞ、おい!


とにかく、聴くなりものすごくびっくりしました。動画には「伝説のスルメ曲」というタグが付けられていますが、なるほど素晴らしくスルメ曲です。ループ再生を止められません。しかし、この人のミクは独特の歌い方をしますね! すごい声だぜ! それから、どういう感情なのかよく分からないようなこの曲調もツボッた! あー、たまらん!! すごいなぁ! すごいぞ!! そしてよくみると、原曲(←アニメPVが付けられる前のもの。こちらの映像も非常に洗練されている!)が投稿されたのは2007年のことのようです。そんな前からあったのかよ! しまった、全然知らなかった! 不覚!! うーむ、それにしても凄い。

「すごい」の他に言うことはないのかという感じですが、全編に満ちあふれるこの独特に洒落た雰囲気を何と言ってよいのやら私には分かりません。ミクさんが「あああ~~ぃおいあぃあああ~~ああああ~あ~あ~~」と長く声をのばすところがあるのですが、そこが、とにかく、ひたすら「すごい!」としか…もうね……。いやもう凄いなぁ、凄い。このアニメPVも素晴らしいですね。味わいがあるなぁ。私は好きだなぁ、こういうの!! うおーーっ!!


おなじharuna808さんの次の曲もすっげー格好良かったです。
なにこの才能( ´▽`)痺れた!




初音ミク / Melancholoid / haruna808




VOCALOID曲の記事では私は毎回のように書いていますが、こういう素晴らしい才能を持った人がいると分かるのは、実に気分がいいですね! ああ、世の中って本当に素晴らしい!! ありがとう、ありがとう~~!!








『バンデットQ』

2011年01月15日 | 映像

1981年 イギリス

出演:デイヴィット・ラッパポート/ケニー・デイカー/マルコム・ディクソン/マイク・エドモンズ/ショーン・コネリー
監督:テリー・ギリアム
製作総指揮:ジョージ・ハリスン/デニス・オブライエン


《あらすじ》
両親から疎外されている少年が、自分の部屋で6人の小人に出会う。少年は彼らに導かれ、魔法の地図で時空を超えた旅に出かけるのだった。シャーウッドの森からタイタニック号まで目まぐるしく変わる舞台。王やナポレオン、巨大な海坊主、悪魔から神まで登場するSFファンタジーの傑作。

《この一言》
“悪は何のためにあるの? ”




『Dr.パルナサスの鏡』の面白さを、まだ観ていないK氏に熱く語っていたら、この『バンデットQ』(原題は“Time Bandits”。邦題のQってなんです?)の話になりました。K氏はこの映画が好きで何度も観ているため、さすがによく内容を覚えているのが悔しい。というのも、私もやはりこれを何度か観ていて、面白かったという感触は強くあるものの、「えーと、最初の方のクローゼットから馬がバーンッと飛び出してくるところが面白いよね、それで暗黒のお城で鳥籠みたいなところに閉じ込められて、あとは……なんか結末が超ブラックだった記憶が…オーブンレンジが爆発して…みたいな。。。」ときわめて断片的なところしか覚えていないのです。相変わらずすさまじい忘却力に我ながら驚愕。しかしその強力な忘却力のおかげで、私は今回もまたこの映画を存分に楽しむことができたというわけです。だけど、こうもひどく忘れてしまっていちいち見返していたのでは、まだ観ていない映画も沢山あるというのに、少しも先に進めないなぁ……(ヽ´ω`)やれやれ。


さて、久々の『バンデットQ』ですが、やっぱり非常に面白かったです。ちょうど30年前の映画になりますが、映像的な古さは若干あっても、内容は色褪せません。面白い。ほんと、こんなに面白い映画をどうして私は忘れてしまうのかしら;(ま、もういいか)
ちなみにギリアム監督作品としては、うちにはこの『バンデットQ』と『未来世紀ブラジル』のDVDがあります。持ってるとすぐに観られて便利。


少年ケビンは、ある晩自分の部屋に現われた6人の小人とともに、小人たちが神様から盗んで来た不思議な地図をたよりに、時空を超えた冒険に繰り出します。ナポレオンから宝物を奪ったり、ロビン・フッドにその宝物を取上げられたり、タイタニック号が沈没したり、船で暮らす鬼の夫婦に食われそうになったり、アガメムノン王の息子になりそこねたり――。次から次へと舞台が変わるので、とても面白い。

そして、その物語の合間にはとてもイギリスらしいブラック・ジョークが盛り込まれていて愉快です。悪魔は神から世界を奪ってやろうと画策し日頃から神の悪口を言っているのですが、その内容には爆笑しましたね。「神はテクノロジーに疎い。奴はシリコン革命を知らない!」と、コンピュータの力で世界を創り直そうと悪魔は考えているんですね。で、なぜか悪魔はいつも暗黒城の狭い一室で、全面透明ビニールに覆われた椅子に座っている。ケビンの両親もまた、居間では汚れ防止なのか何なのか知りませんがビニールで覆ったソファに座る最新家電マニアとして描かれていました。いつまでもシートを剥がさないのは悪ってことなんでしょうか? あっ、私も時々家電の操作部分のフィルムを貼ったままにしてるわ! これは悪魔的行動だったのか~(/o\;)しまった~~! でも、何故~~??

悪魔がこのようにユーモラスに描かれる一方で、神もまた負けていません。詳しく書くとネタバレになるのでやめておきますが、初登場シーンが笑える! だめだ、面白い!!

このあたりは実にイギリスらしい感じですね。さすがイギリス。ブラック・ユーモアとSFドラマのレベルが高くていいですね~。

あ、あと、ショーン・コネリーがちょい役(アガメムノン王)で出てきました。ちょい役でも格好良い。両親からほとんど関心を持たれずに育ったケビンにとってはこのアガメムノンこそが理想的な親の姿であっただろうに、そこからもやはり引き離され、そしてあの結末というのはどう考えたらいいのでしょうね。この映画で分からないところがあるとすれば、何と言ってもあの結末。あれはどういうことなんだろう? 前回観た時も分からなかったけど、今回も分からないや。だが、この放り出され感が、いい。と思う。



というわけで、久しぶりに観たら、やっぱりすごく面白かったです。こうしてみると、ストーリーもシンプルながらよく出来ていて、終わりまでずっと飽きさせません。また、魅力的なキャラクターも次々に登場、全編を通して不思議で奇妙な雰囲気が満ちていて、本当に素晴らしい映画であると言えましょう(それを何故あんなにも忘れてしまえるのか、私は…うぅ;)。
やっぱ、テリー・ギリアムって面白いなぁ。よし、次は『未来世紀ブラジル』を(久々に)観ちゃうぞ!!







【NESCAFE ホームカフェ】

2011年01月14日 | もやもや日記

色々な種類がある!




実家に帰省した時に、家の人はあまり飲まないというので、いただきものらしいネスカフェの粉末コーヒーセットを丸々貰ってきました。7種類の泡立つインスタントコーヒーの詰め合わせです。

私は普段はブラックコーヒー至上主義で、実はこういうのをあまり飲まないのですが(甘いから)、ちょっと一休みしたいときなんかにはお手軽でいいかもしれません。甘いもの好きなK氏は普段からこういうのをよく買ってきて飲んでいますが、それはあまり泡立たないので、これまでは私もそういうものだと思っていたんですよね。ところが、試しにこのいただきものの【カプチーノ】にお湯を注いでみたら、あまりに泡立つので驚きました。最近のインスタント製品はこんなレベルに到達していたのか! K氏にもすすめてみたところ、あまりに泡立つので「どうせ俺の普段買うやつなんて安物さ…」とブツブツ言いながらも喜んで飲んでいました。良かったな!(´∀`;)でもたしかに君が前に買って来た【低脂肪何とかカフェ】とかいうのは、同じネスカフェの、同じような製品だったのに、正直あまり美味しくなかったよな! たまにはこういう高級っぽいのもいいよな!


【宇治抹茶カフェラッテ】とか【クレームブリュレラッテ】とかいうのがあって楽しい。今度飲み比べてみようっと!!



『Dr.パルナサスの鏡』

2011年01月13日 | 映像

2009年 イギリス/カナダ

出演:クリストファー・プラマー/リリー・コール/ヒース・レジャー/トム・ウェイツ/アンドリュー・ガーフィールド/ヴァーン・J・トロイヤー
監督:テリー・ギリアム



《あらすじ》
2007年、ロンドン。パルナサス博士が率いる旅芸人の一座が街にやって来た。博士の出し物は、人が秘かに心に隠し持つ欲望の世界を、鏡の向こうで形にしてみせる「イマジナリウム」。博士の鏡をくぐりぬけると、そこにはどんな願いも叶う摩訶不思議な迷宮が待っている。
しかし、1000歳になるという博士には、悲しい秘密があった。それは、たった独りの娘が16歳になったときには悪魔に差出す約束をしたこと。タイムリミットは三日後に迫った娘の誕生日。一座に加わった記憶喪失の青年トニーとともに、博士は、鏡の迷宮で最後の賭けに出る。彼らは娘を守ることができるのか――?





パルナサス博士は人里離れた山奥の寺院で、世界を存続させるために、終わらない物語を語り続けている。物語をやめてしまったら、世界が終わってしまうと信じて。そこへ悪魔が現われて、パルナサス博士たちの口を封じるのだが、それで世界が終わることはなかった。博士たちの行為の無意味を証明して勝ち誇ったように嘲笑う悪魔を前に、博士は言う。「そうか、やはり、そうではないかと思っていたが。…我々のほかにも居るのだ! 物語を語りつづけている誰かが……!」。

借りて来たDVDで観たために、そしてその時にメモを取らなかったために、上の引用は正確ではありませんが、私はこの場面でかなり感動したことは書いておきましょう。語られ続ける物語がある。今も、誰かが、どこかで、この世界の為に、物語を語り続けている。そう思うだけで、私の胸は一杯になり、目には涙が溢れるのです。私はこの場面で、むせび泣きたかった!! そのくらいに感激したことをいつまでも覚えておきたい。


そんな感じで当時私は激しく感激したものの、この映画を観てからもう1ヶ月ほど経ちますが、ちょっと感想を書けないでいました。できればもう一度観てから書きたかったけど、私はいまのところこのDVDを持っていないので、とりあえず思い出せるところだけでも書いておきましょうかね。

さて、この作品は、テリー・ギリアム監督作品としては、個人的には久々の衝撃的映画でした。私はこういうのが好きだ。こういうのが大変に好きだ。

映像の美しさはもちろんですが、この映画の中には、観客の心を震わせるような真からのメッセージがあったのではないかと思います。公式サイトによると、ギリアム監督は「なかなか思い通りの映画を作る予算が捻出できずにいた状況を、誰も自分の物語に聞く耳を持たなくなったパルナサス博士に重ね合わせた点で本作を“自伝的な映画”と位置づける」と書かれてありました。なるほど。「誰も自分の物語に聞く耳を持たなくなった」と思ったら、その嘆きを嘆きながら語って欲しい。とにかく諦めずに語りつづけて欲しい。多くの人が耳を貸さなくなったとしても、どこかに必ず居るはずなのです。語られ続ける物語を聞きたいと思っている人々が、語り手の心の底から発される物語を、世界を形作ってくれる物語を探し求めている人々が、どこかに、しかも大勢存在しているはずなのです。

だから諦めずに語りつづけて欲しい。そうすれば、いつか誰かが、私が、必ずそれを見つけますから。この世界のすべてを、美しさと醜さ、豊かな色彩と暗闇を、深さと広さを、幻想と現実の狭間を、この世界のすべてを語り尽くすつもりで、夢と情熱のすべてを語り尽くすつもりで、諦めずに語りつづけて欲しい。その世界を、その本当の言葉で語って欲しい。私はそういう物語を聞きたい! 私は、そういう物語を聞きたいんだ!!

聞きたがっている聞き手のもとへ、物語は必ずや届くようになっているのです。こういった美しい世界の真相への、この映画はひとつの証明になったのではないかと私は思うのでありました。ああ、ちょっと思い出しただけでひどく感情が爆発してしまいますね。面白かったなぁ!


ところで、キャストについてですが、ヒース・レジャーが急逝したために「トニー」の役を別の何人かが代役したことは聞いていましたが、ジュード・ロウには全然気がつかなかった! 不覚! 梯子をのぼっていたあの男か~。うーむ、少しも気がつかなかったぜ…。ジョニー・デップは「あ、なんか急にこの人、ジョニー・デップみたいになった!」とか思っていたら、その通りデップさんだったようです。あともうひとりコリン・ファレルが「トニー」役で出ています。レジャー氏の死は残念ですが、このめまぐるしく変化する「トニー」という役柄は、素晴らしいものでした。

あとは、パルナサス博士が素敵。侘しい、頑固そうなおじいさんなのですが、その存在が全面的にファンタスティックで素晴らしい。さすが主役!(←でも最終盤まではほとんど空気)! 悪魔と契約して、うっかり不死を手に入れてしまうあたりがご愛嬌。結末では、心温まるようでいて少し寂しいような悲しいような感じがしますが、ギリアム作品にしては相当明るい終わり方だったのではないかと思いますが、いかが。私はこの終わり方も非常に気に入りました。素晴らしいエンディングですわ!

あー、面白かったなぁ! 面白かった! やっぱりもう一度観たい。








『カナディアン・エクスプレス』

2011年01月11日 | 映像

1990 アメリカ
出演: ジーン・ハックマン/アン・アーチャー/ジェームズ・シッキング
監督: ピーター・ハイアムズ


《あらすじ》
マフィアの大物が関与した殺人現場を目撃した女性が、カナダの山荘に身を隠していることを突きとめたLAの検察官は、証人の彼女を保護しに行く。だが組織の殺し屋たちに襲撃されたふたりは大陸横断特急列車に逃げ込み…。





最初にこの映画を観たのはたしか中学生の時で、家族と映画を観に行った、2本立てのうちの1本でした。どちらかというともう1本の映画の方がメインで、この『カナディアン・エクスプレス』はおまけの抱き合わせ的なB級映画だったかと記憶しています。ところが、そのわりに『カナディアン・エクスプレス』は面白かった。「意外と面白かったな!」という当時の記憶は今も強く残っています。その後何年か前にもう一度観て、今回はたぶん3度目。物語の大筋は覚えていましたが、細かい部分については私らしくキレイサッパリ忘れてしまっていたので、このたびも楽しく観ることができました。


とにかく、列車に乗ってマフィアの追手と追いかけっこする、という映画です。あまりお金は掛かっていなさそうなところがいいですね。一番派手だったのは、冒頭附近でヘリが墜落するところでしょうか。あとはひたすら列車の通路を行き来している感じです。こう書いてしまうと、地味極まりない映画かと思われるかもしれませんが、まあその通り地味極まりなかったんですけど、でも、なんか面白いんですよねー。

それで、主演のジーン・ハックマンが結構癖のある役柄で、イライラさせられるんだ、これが。あなたがチョロチョロするもんだから、余計ピンチに追い込まれるではないの!! ちっとはじっとしてろよ! とマフィアの手下に追われ今まさに殺されかかっている女(アン・アーチャー)でなくとも言いたくなりますわ。「食堂車へ行って、ちょっと食べ物を取ってくる」とか言いつつ、結局何も取ってこないしね…(ヽ´ω`)おいこら。だが、その間抜けさがいい(たぶんシナリオ的に)。

K氏と一緒に観ていて、「これってさー、最初のところで自動車を乗り捨てて列車に乗り込むふりをして、土壇場で列車から降りて再び自動車に乗って近くの街まで行った方が、よくない?」と、映画の前提をすべて否定するような意見を言い合ったのですが、でも、まあ、自動車で逃げたとしても、どのみちピンチになったんだろうな。スパイがいたのではなー(あ、ネタバレ)。そう考えると意外と穴のない綿密なシナリオだったんですね。あっさりしたエンディングも最高です。


物語はスイスイとテンポ良く進んでいきますし、無意味なロマンスやお色気シーンもなく、地味ながら意外性に満ちた展開もあり、なかなかの良作ではないかと! 10年くらい経ったら、細部を忘れてしまってまた観そうな予感。

今回少し調べてみたところによると、この映画は『その女を殺せ』(1952)という映画のリメイクなんだそうで、元の作品は評判の名作らしいです。なんと、それは一度観てみたいですね。


今年こそ、もうちょっとたくさん映画を観たいな!









おみやげ色々

2011年01月09日 | もやもや日記




お正月、お土産がいろいろあります。
私のお土産は駅前で買った押し寿司と、実家で使っているのをみて、いいなぁ、と欲しくなった木のお椀。



上の写真ではどのくらいの大きさかよく分かりませんが、結構大きめで使いやすい。大晦日に年越し蕎麦が盛られているのを見て欲しくなったわけです。ちょっとした丼ものやシチューなんかを入れても良さそう。木製なので軽いし! これは良いものを貰いました。「これ、いいね」と(物欲しそうに)言ったら、母がくれました。地元で買ったらしいですよ。


K氏のお土産は、地元のお菓子やさんの美味しい和菓子(私はここのお菓子が結構好き)と、以下のふたつ。



一つ目は、ベルギーの猫チョコ。
細長いチョコレートの表面には笑ったような顔の猫が描かれています! まだ箱を開けていませんが、猫とチョコ。私の好きなものの2大競演(´∀`*)あー、かわいい。


もう一つは、『ゼルダの伝説~トワイライト・プリンセス』(Wii)(2006年 任天堂)。



いまごろ!
って感じですが、私はこれを前からちょっとやってみたかったんですよねー。K氏によると、だいぶ値が下がってきていたので思わず買ってしまったとのこと。ちらっとゲーム画面を確認してみましたが、リンクのキャラクターデザインがわりとリアル方向な感じで、ちょっと違和感。まあ、でもすぐ慣れるかな。それにこのゲームでは、コントローラーとヌンチャクを振り回して、弓矢を放ったり、馬に乗ったり出来るらしい。あと、猫っぽい造形のキャラクターも出るようです。
ともかく面白そう! あとで私もやらせてもらうつもりですが、これはぜひ最後まで到達したいなぁ! 実は…私はDSの『ゼルダの伝説~大地の汽笛』はどうにかクリアしましたが、それより以前のGC『ゼルダの伝説~風のタクト』はまだクリアできていないんだぜ(ヽ´ω`)うーむ。またそのうちに……



ほかにも、食品関係を持って帰ったり送ってもらったりして、やたらと充実している大阪のお正月。まだしばらくは肥え太りそうな季節が続きますね(^_^;)






大阪へ帰りました!

2011年01月07日 | もやもや日記

本日の空。




昨日の夜に、大阪へ帰って参りました。特急で北陸から大阪へ運ばれましたが、途中の福井あたりではすごく雪が降っていましたね。それにひきかえ、大阪はこの通り。冬に晴れ間が見えるって良いものですね。

帰宅して夕飯を済ませたあと、真夜中になってから散髪もしました。年末、帰省する前に切っておけばよかったのですが、1週間くらいはもつかなーと思ってたのにもちませんでした。新年は明けてからずっと髪が伸びていて鬱陶しかったので、ゆうべはザックリと思い切り短く切ってスッキリしました。私はいつも真冬になると髪を最短まで切ってしまうのです。うーむ、寒い。耳当てが欲しいわね。



さてさて、そろそろ2011年の生活を本格的に開始せねば。まずは荷物の片付けからだ!





初夢でタイムトラベル

2011年01月05日 | 夢の記録




初夢を、お正月のどの夜に見る夢のことを言うのだか、どうしても覚えられません。2日の夜でしたっけ?

それはともかく、新年になってからは私はまだまともに夢を見ていませんでした。たぶん見てはいたのでしょうが、それを覚えておくことはできなかった。で、5日の今朝、ようやく夢を見ました。しかも、ちょっと良い感じの夢を。

なにが良い感じかと言うと、夢のなかに「私がそのまま」出てきたことです。これは過去の経験に照らし合わせると、すごく良い兆候ですね。私の精神が前を向いているということだという感触がありますね。…しかし、今朝の夢のなかの「私」は、すぐまた別の人に置き換わってしまいました…(^o^;)惜しかったな…!

まあ、「どういう夢を見ているか」を気にかけられるようになるだけでも、私は上向きであるという目安になりそうです。その調子、その調子。



というわけで、今朝の夢の記録。



***************************


私はお友達に連れられて、小さなうどん屋さんに連れて行ってもらう。そのうどん屋さんは、痩せ型の50歳くらいのおじさんが一人で経営していて、お友達が言うには、そのおじさんはとても親切な人であるらしい。昔お世話になったことがあるのだと。

うどんを食べたあと、おじさんがうどんのほかにやっている商売のお手伝いだったか取引だったかで、友達が言うおじさんの親切さを私は確認したのだった。

そしていつの間にか私とそのおじさんは恋愛関係になり(ここから夢のなかの私は、別の女の人になってしまった)一緒に暮らし始め、その生活の中で少しずつお互いを知るようになり、彼女はおじさんにかつて奥さんがいたものの死別したらしいという情報を得る。

おじさんとその彼女の関係は穏やかに続いていくが、彼女のほうは次第に若返っていくように見えた。しまいには高校生まで若返ってしまった彼女は、白地に紺の襟、赤いスカーフを結んだセーラー服で、肩までのまっすぐな髪、前髪は目の上できれいに切りそろえて、高校へと通うのだった。

その高校は全寮制で、古い木造の校舎の一室から彼女が出てくる。クラスメートの女の子は彼女とおじさんとの関係を知っているらしく、「あなた、あの人の恋人なんだってね」とからかうような眼差しで語りかけてくる。彼女はなんとなくムッとした様子である。

(このあたりの詳細は忘れてしまったが)気がつくと彼女の周りには同級生が集まっていて、口々に彼女の恋人のことを噂し、それを聞くと彼女の恋人であるはずのおじさんは、ここではうどん屋ではなく寮を管理していて、しかも、おじさんではなく若者であるらしい。

おじさんまで若返ってしまったのだろうか、そう言えば私はなぜ高校などの通っているのだろうか、と彼女がうろたえて「ここはどこです?」と尋ねると、最初に声を掛けてきたクラスメートが

「何を言っているの? 今は昭和40年よ」

と告げるのであった。

「え?」

彼女は自分では見も知らぬ、昭和40年の木造校舎の廊下で、やはり木製の大きなドアを背にして立ち尽くした。


…………


****************************



という、そこはかとなくSF風味に破綻した、わけのわからぬ夢でした。うどんを食べるところまでしか夢のなかの「私」を維持できないあたりが、なんともはや(^o^)!

クラスメートの女の子も突然「今は昭和40年」とか言い出すし、覚えているところをうまく繋ぎ合わせることができてませんね。夢の論理は一足飛びだのー。私が起きているときの論理も一足飛びであることの影響なのかしら……。
でも、目が覚める直前の、おかっぱの彼女がドアの前で「え?」と言って振り返る場面は、いやに鮮明だったなぁ。


さっぱり意味が不明ですが、ひとつ分かったことは、私は木造校舎が好きらしい。夢のなかの校舎はいつも木造ですわ。実際に木造の校舎に通ったことはほとんどないんだけどな。なんだろ、不思議。。。





そろそろ大人になる

2011年01月04日 | 学習





正月気分もそろそろ終わりでしょうか。私はまだ帰省中ですが(明日まで)、家の者は皆今日からお勤めなどで出払っております。

年に必ず2度、なるだけ長く帰省するように心がけてはいますが、それでも私には1年のうちほんの10日間ほどしか実家の人たちの顔を見る機会がないわけです。その計算で行くと、今後10年間で100日、20年間で200日。仮にお互いあと20年を元気に過ごし、今と同じペースで顔を合わせられたとしても、全部で1年分にもならない。まあ、先のことは分かりませんから、もしかするとまた私はここで暮らすことがあるかもしれない。でも、それが無いと想定すると、私にはあと1年足らずの時間しか、家族孝行するチャンスがないわけだ。

そこで私はそろそろ少し大人になろうかと思う。

実は昨日も正月早々ちょっとしたいさかいがあって、家族は年明けから噛み合わないことになってしまいました。きっかけはささいなことでしたが、たぶん問題の本質はそこになく、もっと深くに根差した大きなものがときどき小出しに噴出するのだと推測します。
私はそれをただ悲しんでいても仕方がないので(←このへんが少し大人になった感じ)落ち着いてよく考えてみるに、この家の人たちにはそれぞれに「よりよい家庭」が与えられるべきなのです。誰もがうらやむような家庭ならなおよろしい。それを誰かにポイっと与えてもらう。そうすれば、もう誰がどう見ても素晴らしい家庭の中にある自分を発見し、不足や不満の苦しみから解放され、安心して穏やかに暮らせるのじゃないかと。

ところが、それを誰も与えてくれないから腹が立つわけだ。自分は家族のために苦労してきたのに、自分は家族のためにずいぶん我慢してきたのに、どうして結果がこんなものでしかないんだ、と。私に素晴らしい家庭とやらをみんなに与える力があればよかったのですが、残念ながら出来そうにないのが悲しいところです。自力ではなかなか望み通りにならない焦燥感は、みんなが自覚しているんだろうとも思われます。だからこそ腹が立つのだろう。

多くを望むなとはとても言えない。私自身の望みの大きさを思うと、とても言えない。望むのは構わない。でも、「望み方」というのがあるんじゃないだろうか。


しかしあれこれと考えてみたものの、この家族のいさかいについては、もう40年近く飽きもせず繰り返されているところをみると、またそこにあまり進歩のあとが見られないようであるところからも、ひょっとするとこれは単なるスポーツで、私がいまさら気を揉んでも意味がないのではないかと思ったりもしてきました。しかし私は揉め事は嫌なのです。悲しい気持ちで別れて、それがその人と会った最後だったなんてことにでもなれば、ずっと後悔するだろうと恐れるのです。少なくとも私には、家族との時間はあまり残されていないのだし。


それで私は、とりあえず私の心の平安のためではありますが、家族の人たちにもっと安心して穏やかに暮らしていける方向を探してほしいと思います。そして、人に変わってほしいと期待するからには、まずは私自身が変わるべきであろうと考えるのです。私は無関心で冷たい娘であることをやめて、遠くに住んでいることを逆に活かせるような役の立ち方ができる娘になりたい。どうしたらいいかな。もう少し頻繁に連絡するところからはじめるかな。




人間は変われるということを、人間関係は変わり得るということを証明しなければ。
望みのものを手に入れるために必要なのは、苦労や我慢というよりも、むしろ別のものではないかということを検証しなければ。


私はそろそろ大人になる。大人になったら、どういうことになるだろう。私が思っているような「大人」になる。何も変えられないかもしれない。けれども、もしも大人になれれば、少なくとも私だけは変わったと言えるに違いない。

私はそろそろと、しかし着実に、大人になりますよ。












『ロビン・フッド』

2011年01月03日 | 映像


キャスト: ラッセル・クロウ、ケイト・ブランシェット、ウィリアム・ハート
監督:リドリー・スコット

《あらすじ》
中世英国の伝説上の義賊ロビン・フッドの闘いを描いた歴史活劇。12世紀末、十字軍の兵士としてフランスで戦っていたロビンは、帰国途上でスパイの急襲に遭い致命傷を負った英国の騎士ロクスリーから「家宝の剣を故郷に持ち帰って欲しい」という遺言を受ける。そこで仲間とともに、彼の父親が領主を務めるノッティンガムを訪れたロビンだったが、自らを受け入れてくれたロクスリー家で自分の出自を知り、王に蜂起しようとする地方貴族と団結、英国侵略を目論むフランスの陰謀に巻き込まれていく。




父がしきりに「『ロビン・フッド』を観に行こうや」と言うので、「えー、エンタメか…そういう気分でもないけど、観せてもらえるんならいいかな」と正月早々卑しい心を発揮して、連れて行ってもらいました。そういう感じで私は当初あまりこの映画には期待していなかったのですが、観てみたら、お、面白かったYO!(^o^;) 舐めててごめんね、スコット監督。


というわけで、以下、ネタばれ御免で感想を。これから観るおつもりの方はご注意ください。

まずは良かったところから。


*物語の進行するテンポがいい。メリハリがあり、非常にスムーズ。
*主演のラッセル・クロウが格好いい。
*エンドロールのアニメーションが素晴らしい。

というところですかね。

物語のテンポが良いというのは大事ですよね。2時間しかないんだから要点だけでいい。でも、さすがに端折り過ぎで、ところどころ「え?」という箇所はありましたけれども。まあだいたい理解できた。ご都合主義的展開なのはよろしい。また、マリアン(ケイト・ブランシェット)とのロマンスもあっさり風味に描かれていて好感。
ところで、私はこの映画を観て、帰宅し、風呂に入るまで「ロビン・フッド」と「ウィリアム・テル」を混同しておりました。「子供の頭に乗っけたリンゴを射る場面がなかったなぁ…これはその事件の前を描いた物語だったんだなぁ、きっと」と思っていましたが、別人でしたわ!(風呂場で気がついた!) はは! 単に「弓の名手つながり」というだけでした。そうか、ロビン・フッドは伝説の義賊なんですね…(恥;)。

ストーリーに関しては、ちょっと考えたい点があります。「王の圧政に苦しむ民を救うヒーローの物語」。それはいいのですが、なにか引っかかる。

ロビン・フッドは、幼いころに自分を捨てたと思っていた石工の父が実は「民の平等と自由」を叫び多くの人から支持されそのために処刑されたことを、運命の導きによって出会ったロクスリー卿から聞かされます。そしてロビンは父の遺志を受け継ぎ、ふたたび「平等と自由」を叫び、ロクスリー卿をはじめとする北部の貴族たちと結束するという流れ。

物語では、獅子心王リチャードが戦死したあとに王となった弟ジョンが、その尊大さと愚かさ、卑劣さのために徹底的に馬鹿にされた描かれ方をします。まったくもうひどい男なんですね、このジョン王は。なのでジョン王による苛酷な税の取り立てに苦しむ地方の貴族たちも蜂起したくなるというものですよ。トップがアホだと、国が滅びますからね。税を取るなら、それなりの見返りを寄こせというわけです。ここではその見返りとして「自由と平等」を求めていました。

ここにまず引っかかる。どうしてあの貴族たちは本気で王に刃向かうことができなかったのか。すぐ目の前まで接近したあの時に、しかもその直前までは王に対して蜂起する気満々だったのに、そこで刺し殺してしまえばよかったじゃん! と私などは思うわけですが(←我ながらひどい!)、そうはしなかった。なぜだろう? あの時代がどういう時代だったのか私はよく知りませんが、前王リチャードなんかは十字軍遠征なぞをやらかし、遠くの地でまで虐殺の限りを尽くしていたのに、そして民衆や兵士、騎士に至ってさえ物のようにその死も軽く扱われているようなのに、アホでもカスでもジョン王が王であるからにはわずかばかりの忠誠心が働いてしまったのでしょうか。うーむ。いずれにせよ、このときちょうど攻めてこようとしていたフランス軍に団結して立ち向かってくれれば、民衆に「自由と平等を約束する」というジョン王の口車に乗せられてしまう貴族の方々は、あまりにも信じやすく純朴すぎるというほかはありませんね。

もうひとつ引っかかるのは、その純朴な北部の貴族の面々が、実はロビンの父親の代から、その「自由・平等」思想を支持していたという点。ロビンとその父親は平民だから、圧政を強いてくる支配者に反抗するのはよく分かる。人間は平等だと思いたい彼らの気持ちを理解できる。しかし、かりにも貴族階級にあるものがいかに純朴な人柄であるとはいえ、自分の階級を危なくするそんな思想に賛同できるだろうか? そんな聖人のような領主さまがいますかね? 昔はいたのかしら。いたらいいなぁ、という伝説ならあるかな。そういうことなのかな。うん、そうかもしれない。物語は、あり得ないけれどそうあってほしいことを描けばいいんだ。それでいいんだ。そう考えれば、結末のあのひとつの小さくもあたたかいユートピア的集落の完成は納得できる。貴族も平民もない、富の不平等もない、そういう社会。これは理解できるかな。

しかし、それをそのように理解したうえでなお引っかかるのは、今、ここで、このテーマがこんな風に映画で描かれることの意味です。現代の、この時点において、「圧政から民衆を救うヒーロー」が一定の説得力を持って語られてしまうことに、私はとても引っかかりを感じてしまいました。「ああ、かつては我々にもこんな苦しい時代があったものだなぁ!」とか「こうした過去の偉大な人々のおかげで我々は自由と平等を手に入れられたんだなぁ!」という気持ちでは全然ないんですよ。むしろ、「この物語は12世紀、今我々は21世紀に生きていて、いまだにほんとうの自由も平等も知らないのではないか…」。こういう気持ちがして仕方がないのです。あの牧歌的で平和な美しい結末も、違って見えてくるような気もする。私だけでしょうか。私がネガティブなだけでしょうか。見せかけの自由や平等はあるように思えても、すっかり自由で平等かというとそうではないのではないだろうか。

希望に満ちているように見えたあの結末ですが、人間は結局これまでその思想を実現するには至っておらないのかという悲壮感さえ覚えてしまいますが、そういえば、この映画のテーマは「けっして諦めるな」ということでありました。おっと、うまくできてるぜ!!



次に二つ目の良いところ、ラッセル・クロウがかっこいい件について。この作品では、ラッセル・クロウ氏が非常に魅力的なカリスマとしてのロビン・フッドを見事に演じているわけですが、ちょっと格好良すぎるんですよ。そしてちょっと正し過ぎる。寡黙で実直、控えめな態度、でもときどき驚くほど図々しくて大胆。恋愛には少し奥手なところもあり。という完全無欠の超人でした。うっかりするとクマさんのようなクロウ氏ですが、あんまり格好いいので惚れそうになりました。恐ろしいな!


三つ目の良いところ、エンドロールのアニメーション。映画の場面をいくつか切り取って、油彩で塗りつけたような荒々しくハッキリとした色彩のダイナミックなアニメーションが流れていきました。スピード感が素晴らしく、物語がすべて終わった後にも劇中のワクワク感を新たに甦らせる効果がありましたね。これは素晴らしかった!


あっ、もうひとつ良かったところというか、面白かったところがありました。それは、フランス軍がスパイを活用して内部対立をあおり、その隙をついてうまうまとイギリスに攻め込もうと大船団でやってくる場面。当たり前と言えば当たり前なのですが、この時代の船はみな手漕ぎ! 手漕ぎですよ!! ドーバー海峡を渡ってきたの? あそこはたしかにそれほどの距離は無いらしいけど、それにしてもがんばり過ぎ!

フランスの王様なんか、あんなにずる賢くて、あんなに権勢を誇っていそうなのに、手漕ぎの船でやってくるよりほかになかったんですね。もちろん、王様自身は漕いだりしませんけれども、手漕ぎの船で一生懸命海を渡ってきたのに、あっさり沿岸部で撃退されてしまうなんて、ちょっと気の毒ですわね。なぜだか私はそこがツボでした。面白くてたまらなかった。テクノロジーの進歩って素晴らしいですよね! よかった、人類にもちゃんと進歩があるよ!
…しかし、その技術的進歩のおかげで戦争のあり方もまた高度化してしまっているんだろうなぁ。ひとりが別のひとりを素手で、手に持った武器で滅ぼしていたところからは違った段階で我々はまだ滅ぼしあうんだ。いかん、また暗くなってきた。エンターテイメント映画でここまで暗くなれる私って、正月早々いったい何なんですかね? 暗くなってる場合じゃないんだぜ! 一説によると、我々の住むこの銀河は、あと20億年ほどでお隣のアンドロメダ銀河と衝突しはじめるらしいですよ。くだらんいがみ合いをしている場合じゃないんですよ。はやく技術をもっと進めて対策を講じないと、人類はすっかり滅んじまいますぜ! さあ! さあ!


最後は宇宙の話を持ち出して、我ながら何が何やらという感想文になってしまいましたが、『ロビン・フッド』はなかなか面白い映画でありました!