半透明記録

もやもや日記

『ロビン・フッド』

2011年01月03日 | 映像


キャスト: ラッセル・クロウ、ケイト・ブランシェット、ウィリアム・ハート
監督:リドリー・スコット

《あらすじ》
中世英国の伝説上の義賊ロビン・フッドの闘いを描いた歴史活劇。12世紀末、十字軍の兵士としてフランスで戦っていたロビンは、帰国途上でスパイの急襲に遭い致命傷を負った英国の騎士ロクスリーから「家宝の剣を故郷に持ち帰って欲しい」という遺言を受ける。そこで仲間とともに、彼の父親が領主を務めるノッティンガムを訪れたロビンだったが、自らを受け入れてくれたロクスリー家で自分の出自を知り、王に蜂起しようとする地方貴族と団結、英国侵略を目論むフランスの陰謀に巻き込まれていく。




父がしきりに「『ロビン・フッド』を観に行こうや」と言うので、「えー、エンタメか…そういう気分でもないけど、観せてもらえるんならいいかな」と正月早々卑しい心を発揮して、連れて行ってもらいました。そういう感じで私は当初あまりこの映画には期待していなかったのですが、観てみたら、お、面白かったYO!(^o^;) 舐めててごめんね、スコット監督。


というわけで、以下、ネタばれ御免で感想を。これから観るおつもりの方はご注意ください。

まずは良かったところから。


*物語の進行するテンポがいい。メリハリがあり、非常にスムーズ。
*主演のラッセル・クロウが格好いい。
*エンドロールのアニメーションが素晴らしい。

というところですかね。

物語のテンポが良いというのは大事ですよね。2時間しかないんだから要点だけでいい。でも、さすがに端折り過ぎで、ところどころ「え?」という箇所はありましたけれども。まあだいたい理解できた。ご都合主義的展開なのはよろしい。また、マリアン(ケイト・ブランシェット)とのロマンスもあっさり風味に描かれていて好感。
ところで、私はこの映画を観て、帰宅し、風呂に入るまで「ロビン・フッド」と「ウィリアム・テル」を混同しておりました。「子供の頭に乗っけたリンゴを射る場面がなかったなぁ…これはその事件の前を描いた物語だったんだなぁ、きっと」と思っていましたが、別人でしたわ!(風呂場で気がついた!) はは! 単に「弓の名手つながり」というだけでした。そうか、ロビン・フッドは伝説の義賊なんですね…(恥;)。

ストーリーに関しては、ちょっと考えたい点があります。「王の圧政に苦しむ民を救うヒーローの物語」。それはいいのですが、なにか引っかかる。

ロビン・フッドは、幼いころに自分を捨てたと思っていた石工の父が実は「民の平等と自由」を叫び多くの人から支持されそのために処刑されたことを、運命の導きによって出会ったロクスリー卿から聞かされます。そしてロビンは父の遺志を受け継ぎ、ふたたび「平等と自由」を叫び、ロクスリー卿をはじめとする北部の貴族たちと結束するという流れ。

物語では、獅子心王リチャードが戦死したあとに王となった弟ジョンが、その尊大さと愚かさ、卑劣さのために徹底的に馬鹿にされた描かれ方をします。まったくもうひどい男なんですね、このジョン王は。なのでジョン王による苛酷な税の取り立てに苦しむ地方の貴族たちも蜂起したくなるというものですよ。トップがアホだと、国が滅びますからね。税を取るなら、それなりの見返りを寄こせというわけです。ここではその見返りとして「自由と平等」を求めていました。

ここにまず引っかかる。どうしてあの貴族たちは本気で王に刃向かうことができなかったのか。すぐ目の前まで接近したあの時に、しかもその直前までは王に対して蜂起する気満々だったのに、そこで刺し殺してしまえばよかったじゃん! と私などは思うわけですが(←我ながらひどい!)、そうはしなかった。なぜだろう? あの時代がどういう時代だったのか私はよく知りませんが、前王リチャードなんかは十字軍遠征なぞをやらかし、遠くの地でまで虐殺の限りを尽くしていたのに、そして民衆や兵士、騎士に至ってさえ物のようにその死も軽く扱われているようなのに、アホでもカスでもジョン王が王であるからにはわずかばかりの忠誠心が働いてしまったのでしょうか。うーむ。いずれにせよ、このときちょうど攻めてこようとしていたフランス軍に団結して立ち向かってくれれば、民衆に「自由と平等を約束する」というジョン王の口車に乗せられてしまう貴族の方々は、あまりにも信じやすく純朴すぎるというほかはありませんね。

もうひとつ引っかかるのは、その純朴な北部の貴族の面々が、実はロビンの父親の代から、その「自由・平等」思想を支持していたという点。ロビンとその父親は平民だから、圧政を強いてくる支配者に反抗するのはよく分かる。人間は平等だと思いたい彼らの気持ちを理解できる。しかし、かりにも貴族階級にあるものがいかに純朴な人柄であるとはいえ、自分の階級を危なくするそんな思想に賛同できるだろうか? そんな聖人のような領主さまがいますかね? 昔はいたのかしら。いたらいいなぁ、という伝説ならあるかな。そういうことなのかな。うん、そうかもしれない。物語は、あり得ないけれどそうあってほしいことを描けばいいんだ。それでいいんだ。そう考えれば、結末のあのひとつの小さくもあたたかいユートピア的集落の完成は納得できる。貴族も平民もない、富の不平等もない、そういう社会。これは理解できるかな。

しかし、それをそのように理解したうえでなお引っかかるのは、今、ここで、このテーマがこんな風に映画で描かれることの意味です。現代の、この時点において、「圧政から民衆を救うヒーロー」が一定の説得力を持って語られてしまうことに、私はとても引っかかりを感じてしまいました。「ああ、かつては我々にもこんな苦しい時代があったものだなぁ!」とか「こうした過去の偉大な人々のおかげで我々は自由と平等を手に入れられたんだなぁ!」という気持ちでは全然ないんですよ。むしろ、「この物語は12世紀、今我々は21世紀に生きていて、いまだにほんとうの自由も平等も知らないのではないか…」。こういう気持ちがして仕方がないのです。あの牧歌的で平和な美しい結末も、違って見えてくるような気もする。私だけでしょうか。私がネガティブなだけでしょうか。見せかけの自由や平等はあるように思えても、すっかり自由で平等かというとそうではないのではないだろうか。

希望に満ちているように見えたあの結末ですが、人間は結局これまでその思想を実現するには至っておらないのかという悲壮感さえ覚えてしまいますが、そういえば、この映画のテーマは「けっして諦めるな」ということでありました。おっと、うまくできてるぜ!!



次に二つ目の良いところ、ラッセル・クロウがかっこいい件について。この作品では、ラッセル・クロウ氏が非常に魅力的なカリスマとしてのロビン・フッドを見事に演じているわけですが、ちょっと格好良すぎるんですよ。そしてちょっと正し過ぎる。寡黙で実直、控えめな態度、でもときどき驚くほど図々しくて大胆。恋愛には少し奥手なところもあり。という完全無欠の超人でした。うっかりするとクマさんのようなクロウ氏ですが、あんまり格好いいので惚れそうになりました。恐ろしいな!


三つ目の良いところ、エンドロールのアニメーション。映画の場面をいくつか切り取って、油彩で塗りつけたような荒々しくハッキリとした色彩のダイナミックなアニメーションが流れていきました。スピード感が素晴らしく、物語がすべて終わった後にも劇中のワクワク感を新たに甦らせる効果がありましたね。これは素晴らしかった!


あっ、もうひとつ良かったところというか、面白かったところがありました。それは、フランス軍がスパイを活用して内部対立をあおり、その隙をついてうまうまとイギリスに攻め込もうと大船団でやってくる場面。当たり前と言えば当たり前なのですが、この時代の船はみな手漕ぎ! 手漕ぎですよ!! ドーバー海峡を渡ってきたの? あそこはたしかにそれほどの距離は無いらしいけど、それにしてもがんばり過ぎ!

フランスの王様なんか、あんなにずる賢くて、あんなに権勢を誇っていそうなのに、手漕ぎの船でやってくるよりほかになかったんですね。もちろん、王様自身は漕いだりしませんけれども、手漕ぎの船で一生懸命海を渡ってきたのに、あっさり沿岸部で撃退されてしまうなんて、ちょっと気の毒ですわね。なぜだか私はそこがツボでした。面白くてたまらなかった。テクノロジーの進歩って素晴らしいですよね! よかった、人類にもちゃんと進歩があるよ!
…しかし、その技術的進歩のおかげで戦争のあり方もまた高度化してしまっているんだろうなぁ。ひとりが別のひとりを素手で、手に持った武器で滅ぼしていたところからは違った段階で我々はまだ滅ぼしあうんだ。いかん、また暗くなってきた。エンターテイメント映画でここまで暗くなれる私って、正月早々いったい何なんですかね? 暗くなってる場合じゃないんだぜ! 一説によると、我々の住むこの銀河は、あと20億年ほどでお隣のアンドロメダ銀河と衝突しはじめるらしいですよ。くだらんいがみ合いをしている場合じゃないんですよ。はやく技術をもっと進めて対策を講じないと、人類はすっかり滅んじまいますぜ! さあ! さあ!


最後は宇宙の話を持ち出して、我ながら何が何やらという感想文になってしまいましたが、『ロビン・フッド』はなかなか面白い映画でありました!







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