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もやもや日記

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天上ウテナと私

2011年01月28日 | 学習



 ウテナ、美しい薔薇。



『少女革命ウテナ』というTVアニメシリーズがあって、私はそれを大好きなのですが、どれほどウテナを愛するかを語る私の語り口があまりに熱すぎると、よく言われます。残念ながら今のところ私の周囲にはウテナを通して観た人があまりおらず、「熱すぎる」と言われようとなんだろうと、それでも実はまだ私は本気の熱さを見せるには至っていないのでした。あれ以上どう熱くなるのか、私にも分かりませんが、ウテナの存在は私の熱情を掻き立てるのです。

しかし、闇雲に熱くなってみても、それだけではどうにもこの情熱を、また素晴らしいところの多すぎるこのアニメの魅力についてを、すっかり人に伝えきることはできないらしいことは過去の経験から私もそろそろ理解してきました。そこで、今回は少し冷静になって、もっと的をしぼって、まずは『少女革命ウテナ』の主人公 天上ウテナと私との出会い、ウテナとは私にとって何者であるかということについて書いてみたいと思います。


テレビ東京で『少女革命ウテナ』が放送されたのは1997年のことで、当時私は21歳の大学生2年生でした。週1回、夕方6時からの放送に間に合うようにあわてて帰宅して、毎週欠かさず視聴したものです。私の性格からすると、万が一にも見逃さないようにビデオ予約もしていたはず。あのころは結構まめな性格だったのです。それはともかく、いつも次の週の放送が待ち切れないくらい、私はたちまちウテナに夢中になりました。このシリーズは全部で39回ですが、その熱狂は最後まで途切れることはありませんでした。

まずこの『少女革命ウテナ』とはどういう物語なのか、またウテナとはどういう女の子かを簡単に説明すると、彼女は「鳳学園」に通う14歳、ピンクの長い髪に、黒い男子用の学生服。その男装のことで先生からいつも叱られている。自分のことを「ボク」と言う彼女は、幼い頃に「王子様」と出会い、その素敵な王子様に憧れるあまり、みずからも王子様になることを決意したのです。学園内で「薔薇の花嫁」を巡って繰り広げられる決闘、そのたびに勝者のものとなる「薔薇の花嫁」を演じるアンシーという同じ年の女の子を守るために、ウテナは決闘に挑み続ける。というお話。ウテナは王子様となって、アンシーを守りきれるのか、それとも……



ベストショットを探すべく、またDVDを見返してしまった…



21歳で、私はウテナと出会いました。そしてその時私はたしかにウテナを愛しました。振り返ると、当時の私はもしかすると今よりもずっとウテナに近いところにいたのかもしれません。けれどもあの頃の私は、あまりにもものを知らず、あまりにも盲目で、私が立っていたその場所がどういう所かも、またそこから先をどう歩いて行くべきかについても考えなかったから、どのみちいずれはウテナから遠ざかってしまったでしょう。私はある意味で無垢でしたが、それだけではしかし、どのみち彼女を忘れてしまったに違いありません。

21歳の私はたしかに、あの気高くて、いつも優しく美しかったウテナを愛したと思ったけれど、彼女の深いところまで辿り着けていただろうか、彼女の革命の意味と目的を少しでも真剣に考えたりしただろうか。私はその後もずっと目を閉じたままで世の中を渡ってゆくつもりでしたので、私はウテナを愛したつもりでしたが、私に革命が起こることはありませんでした。そうして私は次第にウテナを忘れてしまった。その後ずっと長いこと忘れたままでした。やがて、目をつぶったままで歩いていればそれは当然のことだったかもしれませんが、私は自分で掘ってそのままにしてあった大きな深い穴に転げ落ちました。そこで初めて少し目が開いたようです。痛みのなかで見た世界は、私が思っていたようなものでも、望んでいたようなものでもありませんでした。うっかり落ち込んだのか、それとも故意にそうしたのか、どうだったのか。どちらにせよ、目を閉じてあてもないままに行けるところなんてなかったのかもしれません。

そうやって私がウテナを忘れたまま、転げ落ちた冷たく薄暗い底を這いつくばっている時にも、彼女は私にあるものを残しておいてくれました。そのことに、ずいぶん経ってから私は気がつくことになります。

TVアニメシリーズの本編に、次のような場面があって、ウテナがアンシーに向かって「10年後に、ボクたちは、またこうして一緒にお茶を飲んだりできればいいよね」と言うのです。そしてちょうど私がウテナと初めて出会ってから10年ほどが経過し、彼女を忘れたままの私が世界の全てを呪う勢いでいたその頃、どうしてだか不意に彼女をふたたび思い出したのです。転げ回っているうちに、知らず知らず、彼女へと近づいていたのでしょうか。突然、胸の奥に一輪の美しい薔薇が咲こうとしている、あの感覚が甦ったのでした。

この2度目の出会いは、もはや単なる熱狂では終わりませんでした。私はもっと深い所まで降りて行きたいと思ったし、またようやく降りて行けるような気がしました。この時にはこれまでの経験によってウテナはより一層魅力的に見え、これまでの思慮によって彼女の優しさをより深く感じることができました。もっとも、今でもなおウテナについてすっかり理解できたわけではありませんが、でも、分かったことがあります。私はウテナを忘れてしまったと思っていたけれど、ずいぶん経ってから再び出会ったのだと思っていたけれど、彼女ははじめから消えてなどいなかった。ひとたび出会ったら、決して消えることのない存在。たとえ離れてしまっても、心はいつも寄り添っていてくれる。気高く美しい彼女は誰のものにもならないけれど、もし彼女を一度でも愛したら、その全ての人に優しい微笑みを一輪の薔薇に変えて惜しみなく分け与えてくれる、たぶんそれがウテナという人物でした。

ウテナの薔薇は、私が力弱い手で掻き集めた美しいものをしまってある心の奥深くにひときわ輝くもののひとつです。その花は開いてはいませんが、いつか開くかもしれないという予感を秘めて、まっすぐにのびた茎の上についています。この薔薇は私にとって、美しいものの象徴であり、美しいものへの憧れの象徴であり、そこへまっすぐに向かおうとする情熱を象徴してもいます。ウテナについて語ると私は熱くなる、それは当然のことです。たとえばつまずいて、もうこのまますべて泥沼に沈んでしまえばいいと思うことは何度もありますが、そのきわのところで私を踏みとどまらせるもののひとつが、この薔薇です。もうだめだと、どうせだめだと思うとき、「でも、もしかしたら…」と思わせてくれるもののひとつが、この薔薇なのです。私はこれまでに多くのものを諦めてきましたが、無為の侘しさのさなかにも、どうしても諦め切れないもののひとつが、この薔薇なのです。私の情熱に根づいた、この美しい薔薇を消し去ることはもう出来ない。私がウテナを語るとき、私は私の情熱についてを語ろうともしているのでした。熱くならないはずがない。私がウテナを語るとき、馬鹿げて見えたって、まるで人が変わったように見えたって構わないんだ。むしろ「ウテナ? ああそういうアニメもあったよね」なんて冷めてしまうことがあったら、そのときこそ心配して欲しい。そんな私は認められない。その時にはおそらく、私は精神的な「死」を迎えているでしょう。そのほうがずっと深刻だ。でも、そんなことにはならない。私はきっと、もっと熱くなれるはず。

ウテナは私の情熱を掻き立てる。熱くなる、美しいものへ向かってゆくまっすぐな思いを持つ、これは、泥まみれで諦めがちな私のもう一つの側面なのです。もしかしたらこの気持ちをあなたにも分かってもらえるのではないかと思って、つい熱くなってしまうのです。この薔薇が、あなたにも美しく届くのではないかと思って、つい熱くなるのです。







ウテナ、私の、気高く優しい、美しい薔薇。
この胸の薔薇はいまだ蕾の状態で、咲く気配はないけれども、どうか私の熱い血と魂を糧に大きく膨らんで欲しい。咲かずに終わっても構わない。けれど、終わりのそのときまで散らさぬよう、枯らさぬよう、私を燃やしつづける。そして、もしもいつかこの薔薇が開くとしたら、そのときにはきっと。いつか、そのときには。






いつかそのときにはきっと、かつて私が願ったように、いまでも同じく願うように、君と僕が出会うこの世界で、すべてが、美しく、輝き始めるだろう。