半透明記録

もやもや日記

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みなさんの投稿状況

2008年01月10日 | 同人誌をつくろう!

久しぶりに同人誌制作の進捗状況についてお知らせです。


さあ、いよいよ今月末が締め切り(仮)ですよ!
すでに3名の同人の方々から作品を投稿いただいております。
すばらしい~!

ねこきむちさん(小説)
くろにゃんこさん(シナリオ)
雨子三十世さん(詩)

素敵な作品をどうもありがとうございました☆
いずれもかなりの力作揃いで、とても良い冊子になりそうな予感です(^^)
(それにひきかえ私のはアレな感じのマンガだが……大丈夫でしょうか;)


そろそろ私も投稿しますよ。つか、はやくやれって感じですね。いやー、スミマセン! もうちょっとなんですけど;
紙面のことや表紙のデザインのことなどを考えていると気が散るので、私はまず自分の作品を仕上げてしまいますよ(←と今頃気付く)。落ち着いて考えたら、そういうのはみなさんの作品をすべていただいてからの方が良かった。まだ本の厚さも決まらないし。でも、おかげさまでだいぶイメージは出来てきました。表紙には金文字を入れたい!(…え、嫌ですか? 反論はあとでうかがいますね;)
さあて、あともうちょっと、がんばるぞー!!


というわけで、来月には具体的な冊子の形状や制作方法について決めていきたいと思います♪
同人のみなさま方、ひきつづきよろしくどうぞ!



林万昌堂の甘栗

2008年01月09日 | もやもや日記
とっくに食べ終えた甘栗の包み 開封前



先日京都へ行った際にお土産として買ってきた甘栗です。
これがまたとてもおいしかった。
甘栗の皮があっさり剥けるのですよ。そして実がふっくら。
あまりのうまさに一瞬で食べ終えました。
こまきさん、教えてくれてどうもありがとう~!


さて、おいしい甘栗の袋には【お召しあがりかた】図説がつきものです。
私はこれを見るのが楽しい。



この、甘栗の絵が面白いんですよね。
どうにかストーリーを練り上げたいと思うのですが、
今回は2コマしかないので、ちょっと厳しい。
全然思い付かない。
……ああ! せっかく絵面は笑えるのに!
(1コマ目 【3か月後 ようやく甘栗を手懐けた】)
(2コマ目はどうみても【甘栗君 CTスキャンを受ける】)
微妙に、つながらない。


ちなみに、以前難波で購入した甘栗の袋は傑作でした。
あの袋は刺激的だった!
写真じゃなくてスキャナで読んでおけば良かったです。


くだらな記事:『甘栗の人生観』参照のこと


まあ、林万昌堂さんの袋からは前回ほど(くだらない)イマジネーションは
広がらなかったのですが、やっぱり甘栗の袋っていろいろと面白いのです。


美しくとれます !!


甘栗。
それは、どこまでもおいしい食べ物なのですね。



『奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界』

2008年01月07日 | 映像
BS世界のドキュメンタリー


原題: Wonderful World of Albert Kahn
制作: BBC(イギリス) 2007年

《番組紹介》
20世紀初頭の世界を記録した貴重な映像がパリに残されている。銀行家で大富豪だったアルベール・カーンは、当時開発されたばかりの技術で各国の様子を世界で初めて、72000枚のカラー写真と、100時間に及ぶ記録フィルム(一部カラー)を残した。極めて貴重な映像資料をもとに20世紀初頭の世界を描く 9回シリーズ。
   (NHKオンラインより)




今週の日曜日からBS1で放送中の番組の第3回を見ました。
何度も言うようですが、私はちょうど100年前くらいの世界にとても関心があるので、この番組は絶対に見なければならないと思っています。日曜放送の2回分は録画してあってまだ見ていませんが、今夜放送の第3回は番組開始からちょうど見ることができました。
で、その感想を一言で言うならば、

100年前にも世界は今と同じように豊かな色彩に溢れていたのですね。

ということでしょうか。当たり前のことなのですが、やはりカラー映像のインパクトはすごくありました。不思議なことに色がついているというただそれだけのことで、100年前という時代が急に現在に近付いたような気がしてきます。まったくもって単純な反応なのですけれど。

そして、近付いたような気持ちで100年前の世界の映像を見ていくと、このあとの世界は、特にヨーロッパは第一次世界大戦という大きな破滅的転換点に向かって進んでいくわけでして、その破壊される前の世界の人々がどのように暮らしていたのかを、写真の一枚一枚は伝えてくれるのです。

色鮮やかな民族衣装を着た子供、美しい自然の風景、着飾った人物、貧しい人々の生活。今とは違う世界に、今と同じような人々が生きていたという事実が迫ってきます。ただ、カラーだというだけなのですが、やはりそれは予想以上の衝撃をもたらすようです。

カメラがとらえた人々の暮らしぶりの向こう側には、それぞれの人が暮らす国々の様子も写っています。
ひとつの国にありとあらゆる民族がごちゃまぜになってしかもそれを普通だと思って暮らしていたり(たとえばマケドニア。すごい不統一感です。国民のほとんどが「マケドニア人を名乗らない」のに、どうやって国を維持していたのか興味が湧きました)、あるいはイタリアはその当時は国として統一されて間もなく、ヨーロッパのなかでも極めて貧しい状態で、さらにイタリア語を話せる国民は全体の3%ほどであった、などなど私が不勉強なために知らなかっただけにしても、今とは随分と違うヨーロッパ諸国の有り様に驚きました。このあいだ『Z』を観た時も思いましたが、ギリシャも当時から意外とひどい国だったのですね。


というわけで、色々な意味でとても価値のある番組のようです。全部見よう。私はこれまでにいくつもこの時代の文学作品を読んできましたけれども、その鮮烈な描写にもかかわらず、これまで見た多くの白黒映像のためどこか少し色あせたような印象を持ってしまうことを、これからとうとう克服できるような気がしています。
世界は、いつの日にも豊かな色彩に満ちていたのです。
あの人が絶望しただろうあの日にも、間違いなく。
私はそれで前よりももっと悲しくなることでしょう。


冬でした

2008年01月05日 | もやもや日記


写真は、実家の玄関先からの景色です。
ちょっとだけ雪が積もっていました。
年末年始には、当初心配したほどには積もらなかったですね。
しかし、寒かった。
雷も鳴っていたし。
(ちなみに冬の雷は世界的には珍しい現象なんだそうです)

写真にはずいぶんとまばらな林が見えていますが、
その向こうはすぐ海なのでした。

私は冬の日本海が好きなので、ちょっと行ってみようかなと
思いましたが、結局行きませんでした。
だって寒いんですもの。

そんな感じで、実家に帰ってもやっぱりひきこもりな私。

大阪へ帰ってきたら、こちら側は晴れている冬なので
気持ちがいいです。
湿ってないのですよ。
昼間から室内に電灯をつけなくてもよいのですよ。
洗濯物も外に干せて、しかも乾くのですよ。


次回の冬の帰省時には、白い雪が降り注ぐ灰色の海を、
水が溢れそうに波打っている冬の海の写真を撮ってきたいです。
私はそういう海が、実のところもっとも好きなのでありました。

初夢をみっつ

2008年01月04日 | 夢の記録

初夢というのは、正月のどの夜に見る夢のことをいうのだったか、いつも忘れてしまう。年が明けてから私はすでにいくつかの夢を見たけれど、みんな忘れてしまった。ところが、今日すこし風邪気味だったので長い昼寝をしたところ、久しぶりにあの夢を見た。あの夢というのは、夢の中でも私が私のままで登場する「美術学校の夢」である。冬休みだった。それから他にふたつの夢を続けて見た。


1.美術学校の冬休み

 私は数日いなかへ帰省したあと、美術学校の寮へ戻ってきた。冬休みの課題を仕上げようと思って窓際の机に向かっているのだが、まったく捗らない。いらいらとして飲み物のカップや菓子を盛っていた皿を、ごちゃごちゃと机の上に散らかしていた。窓の外は曇り空である。
 このままでは埒があかないと、私は資料室へ向かう。入り口で先生と一緒になった。
 この先生はぽっちゃりとしたフランス人の女の先生で、いつもタイトなえんじ色のスーツを着て髪を後ろにひっつめている少し厳しそうな雰囲気の先生なので、私は一瞬ためらってから「先生、こんにちは」と挨拶をした。すると先生も「こんにちは」とこたえてくださった。
 私と先生は静かな資料室に入ってから、少しばかり冬休みをどう過ごしたかについて話し合った。先生は年末から家族でフランスへ帰り、さっき学校へ戻ってきたところなのだと楽しそうに笑ってお話しになる。私も年末には郷里の富山へ帰っていたので、向こうの冬はたいていは雪で薄暗く寒いのですというようなことを言うと、
「ああ、それであなたの作品はいつもどこかしんとして寂しいところがあるのね」
とおっしゃった。
 私は突然に雪が白く積もった平らな地面と、白く泡立つ勢いで渦巻きながら流れてゆく緑色の川のことを思い出した。そして、先生が私という生徒をちゃんと認識してくださっていたことに驚いた。冬休みの課題をもうすぐにでも仕上げられるような気持ちがした。

 資料室には、学校の出版局から出ている辞典のように分厚い資料集が、古くなったために12冊組で売りに出されていた。『学内における言語使用状況の分析』(上下巻) は私にはまったく必要ないように思われたが、別の資料はとても魅力的だったので、私は購入することにした。要らないものはあとでブックオフに売ればいいと思ったのだが、こんな特殊な本を引き取ってくれるだろうか、それだけが少し気になった。



2.鮭の遡上

 私はある一級河川の流れのすぐそばに住んでいる。下流から上流へ差し掛かるちょうと真ん中あたりに家があった。冬場には川の水量が増すためか、川に面した1階の部屋の大きな窓の半分くらいの高さまで、家は川に沈んでいた。その窓からは、水族館の水槽の向こう側のように水中を泳ぐ魚を見ることができた。
 私がそうやって川の中をのぞいていると、産卵のために川を遡ってきた鮭の群れがやってきた。どれもみな太って、がっしりとした顎を持ち、ぐんぐんと勢い良く遡っていく。それが何百匹も連なっている。
 興奮した私は、これを写真に撮っておこうと思い、カメラを窓に押し当てた。ところがその時になってはじめて気が付いたのだが、ガラス窓の向こうには網戸が張られていて、網目が画面を邪魔してうまく撮影することができない。そうこうするうちに鮭の群れは途切れてしまった。
 がっかりしてしばらく下流のほうを見ていたら、今度はなにか白い腹をぐにゃぐにゃさせた筒のような形をした魚がこちらへ流れてきた。押し出されるようにどんどん流れてくるので、私はもっと下流のほうからこの魚を狙う大きな魚がやってくるのかもしれないと考えた。
 それが鮭だったらいいのに。写真はきっと撮ることができないだろうが、それよりも私はもう一度鮭を見たいと思うのだった。


3.消防士

 (夢の中の私は小学生くらいの男の子だった。)
 僕はこのあいだ覚えた地図記号が面白かったので、一緒にいた大人二人に問題として出した。僕にはその記号は、悲しんでいる人の顔のようにしか見えない。二人にもやっぱり何の記号なのだか見当も付かないらしく、ああでもないこうでもないと言い合っていて、いつまでも答えが当たらないので愉快だった。
 しかし、いつまでも正解が出ないことに飽きてきた僕はいくつかヒントを出してやった。すると、二人のうちの一人がようやく正しく答えた。その記号は「公民館」の記号だった。

 僕は山間の小さな町に住んでいる。父は消防士で、今日は正月休みも取れずに出勤していった。消防署は僕の家からすぐのところにあり、この日にもひっきりなしに救急や消防が出動していくのが分かった。
 僕はさっきから一緒にいる大人二人と連れ立って、海の方まで歩いた。僕の家は山間にあるのだけれど、海も近い。ただし砂浜はなく、海岸線は切り立った崖となっている。その崖に沿って車道が2本走っているのだった。
 僕らが冬の暗い海と、もうすぐ濃くなりつつある霧のかかった灰色の空を眺めていたら、その霧を突き抜けるように大きな明るい炎をあげて横切るものがあった。
「戦闘機だね」
 と僕は言ったけれど、そのあとで霧の隙間から少しだけ緑色のボディが見えたので、あれは戦闘機ではなくミサイルだったと気が付いた。決まりが悪かったが、二人は何も気にしていないようだ。海上の遠くには、大きな黒い船が何隻も集まって昼間なのにそれぞれが巨大なライトを点していた。ミサイルはその方向へ飛んでいった。

 道ばたでそうやってぼんやりしていたら、出動先から消防署へ戻る父が消防車をひとりで運転してやってきた。僕をついでに乗せて帰ってくれると言う。
 二人と別れ、僕は助手席に乗り、海岸線に沿った崖の上の道路から、暗い冬の海を見おろして帰ってきた。
 消防署の地下に駐車場があって、父はそこへ消防車を入れた。本当なら消防車を駐車するときには二人で作業しなければならないらしいのだが、忙しくて人手が足りないために、父はそれを一人でやった。
 それはとてもすごいことだ、と僕はしきりに感心したのだった。




という、どことなくそれぞれが繋がっているようなそうでもないような、しかしとても印象的な夢をみっつ続けて見た。ほんとうに久しぶりに「美術学校の夢」を見られたので、私はとても嬉しい。いつもの夢に比べると短いような気もするが、それでも嬉しい。今年はまたいくつかこの夢の続きを見られるのだろうか。



あけましておめでとうございます!

2008年01月01日 | もやもや日記


みなさま、2008年明けましておめでとうございます!
本年もよろしくお願い申し上げます!


さっそく、昨年の反省とともに新年の抱負でも述べてみようと思います。例によって読み飛ばしていただければ幸いです。


まずは昨年の反省から。
昨年のテーマは、エレンブルグや大江から生じた問題である「傍観者であることについて」と芥川から生じた問題である「家族関係における愛と憎しみ」ということでした。期待値には遠く及ばずながら、なかなか一生懸命に考えたとは思います。そして結論したことには、私には家族関係について考えるということは「向いていない」ということです。あー、疲れる。もう当分はいいです。私は家族とかいうよりも、もっと「人類」とか「宇宙」とかいう大きいほうへ意識を持っていく方が楽しいのです(それはおそらく逃避。家族関係はそもそも私には気の重い問題です。しかし不幸というわけではないのです)。いつかまたここへ戻らざるを得ないだろうテーマですが、とりあえず、今はもういい。
よって、結論としては「家族関係という関係性については、私は傍観者を決め込む」ということにしました。これで、良し! 芥川龍之介という人も、ひょっとしたらそうやって傍観者でいたかったのに、それに反して、しかも自ら望んで当事者となってしまったために、あんなにも苦しまねばならなかったのではないでしょうか。違うかもしれません。誰か教えてください。とにかく、そんなことを考えた2007年でした。
「傍観者であること」については、もっと範囲を拡大して考えるべきところでしたがどうも力が足りませんでしたので、ひきつづき考えようと思います。しかし少なくとも社会には傍観者は必要であるだろうし(その理由まではまだ考えていません)、私自身がどうも傍観者になりたがっているらしいところがある、というところまでは考えました。


さあ、2008年です。
今年は、「もっとガツガツやる」ことにします!
出し惜しみしている場合ではないという事実にようやく気が付きました。無いところから出さねばならぬのです。振り絞らなくては。そしてもっとぎゅーぎゅーと吸収しなくては。
正直言って、2007年の私は悲しいほどに無力でした。無気力。実に恐ろしい病です。燃えあがろうとする心に、体がまったくついていきませんでした。心は燃えぬまま、逆に体は熱ばかり出していました。情けない。
しかし、今年はもう発熱とはおさらばですよ! 肉体改造ですよ!
というわけで、ガツガツの具体的内容として「健やかな身体を手に入れる」ということを掲げておきましょう。真剣に筋トレに励みたいと思います。徹夜で議論できる肉体を取り戻すんだ!

そんなわけで、ますます鬱陶しい人間になることを誓った新年です。
みなさま、呆れてくださっても結構ですが、今年もどうか飽きずにお付き合いくださいませ♪
もしも今後私の書くものに面白みと分量が増したならば、私の肉体も精神も確実に鍛えられているということを意味することでしょう。
やりますとも!