半透明記録

もやもや日記

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寒くなってきました

2007年10月17日 | もやもや日記
すだちも好き




朝と晩にはちょっと寒いですね。
どうやらそのうち冬がくるらしいことが分かってきます。
ほんのちょっと前まで、灼熱だったことがまるで夢のようです。


秋鮭がおいしいので、週一のペースでムニエルを食べています。
私はムニエルが好きなのですが、頻繁に作ってしまう理由としては、
ほかの料理法が思い付かないということもあります。


もうちょっとしたら、カキフライとか食べたい。


あ、明日は久しぶりの友人O氏と会う予定です。
楽しみ。



カミキリむし

2007年10月15日 | もやもや日記
一年を通してこの時期が、私の髪のもっとも長い季節です。
寒くなるのに備えて、できるだけ伸ばしておこう!
と、例年そういう思いがあるのでした。


だがしかし。


毎年この時期を過ぎるころになると発症するのが「髪切りたい病」なのです。どうしても短くしたくなる。夏の暑さにも耐えてがんばるわりに、いっつも伸ばしておけないで挫折してしまいます。
今年も限界に近付いています。ああ、ああ、切りたい、切りたいよう…!


ふがふが言って悶えていたら、さっきテレビに上戸彩ちゃんが映ってました。ショートヘアーが超かわいい~~♪ わあーー!

やっぱ切るか。
だって、上戸彩ちゃんがショートヘアーなんです。
しかもかわいいんです。
彼女はなにをしてもかわいいことは承知の助なんです!
彼女がかわいいからと言って、私までかわいくなるわけでは
ないことも、分かっているんです!!
とにかく我慢の限界なんです!!!



はあ、はあ……!!


でも、こうやって毎年「うがー!」という勢いで髪を切ると(ちなみに自家切り。昔Mちゃんにそれを告白したら唖然とされたことが忘れられない(/o\))、おそろしく短くなっちゃうんですよね。
ま、いっか。
角刈りでも。

ああ、でもせっかく今まで耐えたのに~~~~!

(はじめに戻る)


『チャンドス卿の手紙 他十篇』

2007年10月14日 | 読書日記ードイツ
ホフマンスタール著 檜山哲彦訳(岩波文庫)

《内容》
何ごとかを語ろうにも「言葉が腐れ茸のように口のなかで崩れてしまう」思いに、チャンドス卿は詩文の筆を放棄する。――言葉と物とが乖離した現代的状況をいち早くとらえた「チャンドス卿の手紙」こそは、新しい表現を求めて苦悩する20世紀文学の原点である。ホフマンスタール(1874-1929)の文学の核心をなす散文作品11篇を精選。


《この一文》
“それ以来、あなたには理解していただけないような生活をおくっています。精神も思考もなく日々が流れてゆきます。もちろん、隣人や親戚や、この王国に住むほとんどの地主貴族とほぼ変りのない生活ですが。
            ――「チャンドス卿の手紙」より  ”


“自分自身を見いだそうとするのなら、内面へおりてゆく必要はないのだ。自分自身は外部に見いだすことができる、外部に。ぼくらの魂は、実体をもたない虹に似て、とめがたく崩れゆく存在の絶壁のうえにかかっているのだ。ぼくらの自我をぼくらは所有しているわけではない。自我は外から吹き寄せてくる。久しくぼくらを離れていて、そして、かすかな風のそよぎにのってぼくらに戻ってくるのだ。じつにそれが――ぼくらの「自我」なるもの!
            ――「詩についての対話」より  ”


“生あるものはなんであれいつか、いかなる風景もいつか、完璧に、おのれを開示することがある。ただしかし、深く揺り動かされた心にたいしてのみ。
            ――「ギリシャの瞬間」より  ”



帯を見ると、この本を買ったのは2000年の秋のことだったようです。
あの当時に関しては、果てしない薄暗がりと改良されるべく解体された左の手のひらというほとんどふたつの記憶しかないのだけれど、そのころの私がどうやってこの本を手に入れたのか、それを手に取ったのは左手を解体したかった右手だったのか、もしかしたら何によってでもよいから解体されたかった左手だったのだろうか、としょうもないことをふと考えました。

いずれにせよ、私はこの本を購入以来一度も開かずに7年間も放置していたことだけははっきりとしています。
どうしてそんなことができたのだろう。読んでみれば、ここにある物語はいずれも、私にはあまりにもよく分かるものばかり。いえ、分かるというよりも、……分かるというよりも、なにかうまく言えないけれど、興味深いもの。やみくもに面白かったです。どうして今まで読まなかったのだろう。


さて、ホフマンスタールと言えば「バッソンピエール」。「バッソンピエール元帥の体験」という題で、この短篇集にも収められていますが、ほかのドイツ小説集にもこの物語は必ずと言っていいほど必ず収められています。よって、私はこの作品に限っては既に4、5回は読んでいると思います(このバッソンピエールには元ネタがあるらしいことは、今回のあとがきで初めて知りました)。
その他の作品は、たぶんこれが初めてでした。そしていずれに対しても、異常に惹き付けられます。


とにかく、物語の多くはドイツ文学らしく静かで限りなく美しい色彩豊かな描写から始まります(ホフマンスタールはウィーンの生れだそうです)が、あるところから突然に陰うつで湿っぽく息もつけぬほどの閉塞的状況へ疾走する展開には参りました。とくに最初の「第六七二夜のメルヘン」などは、もうほとんど裏切りです。タイトルからの連想ではもっとロマンチックな物語になるのかと思いきや、なんですかあの結末は。あまりに恐ろしくて息苦しい。信じられない、だまされた、ああ、だけど面白かったのです。

「ルツィドール」というお話が唯一ちょっと明るかったでしょうか。これもものすごく面白い物語でした。男装させられた女の子の恋の物語です。

全体を貫いているものには、「目に見えるものの、その奥に潜むものを見るようになり、そしてそのことがそれまで自らが世界に対してとってきた認識のありかたを一変させてしまう瞬間」というようなものがある、という主張だったでしょうか。そのあたりは非常に魅力的で面白い。何と言っても、この人の語り口は見た目よりもかなり情熱的なので、激情家の私としては共感するなというのは全く不可能なことであります。面白い。これは面白い。


行ったこともなければ、その名前も知らない深い森に、だけどたしかに住んでいたという記憶があり、今でもなお時々はそこへ帰ってゆくつもりになるような空想に耽ってしまうタイプの人間にはうってつけの物語かもしれません。
そしてそのような者が愛するだろうこの秋という季節にはぴったりの物語であるでしょう。
つまり、私にはぴったりの物語でした。

面白かった。

** お誘い **

2007年10月13日 | 同人誌をつくろう!

突然ですが
同人誌をつくろうと思います。
つきましては、同志の作品を大募集中です。

詳しくは、以下。


【ご応募について】

*ジャンルは不問。形式も自由*
小説、詩、絵画、写真、音楽…は苦しいかもしれませんが譜面ならいけます。
などなど。自作かつ印刷可能なものであれば何でも可。


*応募資格*
など、あるはずもなく。
「よく分からないが、ひとまず参加してみたい!」
「同人誌というものを作ってみたいと思っていた!」
という方は是非この機会に。
一緒に誌面の構成から考えましょう♪
要するに、今のところ詳しいことは何も決めていません。

そもそも何の同人か、って?
これは〈同人誌をつくりたい人の同人〉です。…かね。

というわけで、超お気軽にどうぞ!


*応募方法*
とりあえずこの記事にコメントをください。
さあ、どうぞ!



*****************************



ということですが、どなたか手を挙げてくださいますでしょうか。
えーと、私のほうは一応自作マンガを載せたいと思っております。
2007年は、なんにも「やった」感がないので、
何かデカイことをやりたくなったのです。
どなたか付き合ってくださると嬉しいです。

 ヨロシクおねがいします☆
         2007.10.13
          『YUKIDOKE』(仮)発行人 ノトマユミ




ねむい!

2007年10月12日 | もやもや日記
ただいま昼休み。

もう眠くてしょうがない。
午前中からすでに眠くなり、とても午後を乗り切る自信がありません。あまりに眠いので、実はこの文章(たったこれぽち)を打つのにもミスを連発。

はー、どうしよう。眠い。


今の仕事を始めてから、私は生まれて初めて仕事中に眠気を感じるようになりました。どうしてなんですかね? 単調だから? しかし私は単調なのは嫌いじゃないんですがねー。好き嫌いと、眠い眠くないは関係がないのかもしれません。


絶対に寝ると思う。
困った。
うまい誤魔化しかたを研究するのもよいかも。
しかし、眠くてそれどころじゃねえ。
困った。



『百物語』

2007年10月10日 | 読書日記ー漫画
杉浦日向子 (新潮文庫)

《あらすじ》
古より百物語と言う事の侍る 不思議なる物語の百話集う処 必ずばけもの現れ出ずると――人々が目に見えないものを見、理性では説明のつかぬことを信じていた江戸の時代。生と死の間で右往左往する人間たちの前に、時間を、空間を超えて現れる魑魅魍魎たち。怪しのものと人間たちの滑稽でいとおしい姿と懐かしき恐怖を、怪異譚集の形をかりて漫画で描いた〈あやかしの物語〉


《この一文》

“猫が物言うのを
 聞いたのは
 それぎりだっけ  
  ――「其ノ五十四 猫と婆様の話」 ”



お友達のKさんが貸してくださいました。

全体的に、超こわいです。こわくて一息に全部は読めませんでした。ですが猛烈に面白かったです。うーむ。すごいなあ。杉浦さんは非常におっとりした魅力の女性でしたので、こんな恐ろしい物語とはイメージがなかなか結びつきません。

これは漫画ですが、絵もすごくうまい。なにか異常な静けさのような迫力があります。このために余計にこわくなる。かと思うと、ものすごく美しいコマもあったりして、私はこわい、こわいと言いながらも、絵の美しさに惹かれて休み休みどうにか最後まで読むことができました。

杉浦さんと言えば江戸ですね。
この物語も舞台は江戸です。ほんとうに江戸という時代はこんな感じだったんじゃないだろうか、というほどにこの漫画の世界には現在とははっきりと違う時間が流れています。そのあたりの表現力もすごい。

ひとつひとつの物語には、恐ろしいものもあれば、ほのぼのとしたものもあり、さすがに百あれば色々という感じです。私が気に入ったのは、ほとんど全ての物語にみられる結末のあのバッサリ感。えっ、これで終わっちゃっていいのか、いいんだ!という爽快ささえ感じる終わり方です。要するに、結末にはっきりとした理屈付けなんてしてありません。すがすがしいんです。これは不思議と気持ちがいい。奇妙な物語を奇妙なまま「なんとなく…そういうものなんですよ」で放っておく。いいですね、なんだか日本的で。そういうのは好きですよ。私はやはり日本人なんだなあ、と感じてしまいます。


というわけで、ものすごく面白かったです。
ほかのもぜひ読みたくなりました。


さよならこれで

2007年10月08日 | もやもや日記
一念発起して部屋の片づけをしました。
一念発起するほど大袈裟なものか?って、一念発起するほど大袈裟なんですよ…。あー、疲れた。

しかし、まだ終わってない!!


うーむ。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
ちょっと片付けるだけのつもりだったのになあ。
途中で必要な漫画と不必要な漫画を分けようと思って、それを分別するためにはまず中身を確認しなくてはならなくない?と思いっきり読み返していたせいでしょうか。そして、不必要なものは思ったより少なかったことは、言うまでもありません。アハ、分かって良かった。

それとも、途中で『新春ドラマスペシャル 古畑任三郎』のイチローの回を録画していたやつを、「そろそろ、こないだ録画してあった、アレを見なきゃ」と気付いて、「イチロー、演技もうまいなあ」「2006年、明けましておめでとうございます~!」(つまり……それは2006年の「新春」だったのです…!)とか言って見ちゃってたせいでしょうか。

終わらなかったなあ。
3連休も終わりだというのに困ったなあ。


そもそも、終わらないと言えば、私はここしばらくずっとある仕事にかかり切りなのですが一向に仕上がる気配がなく、そちらが終わらないのはきっと部屋が散らかっていて集中できないからだ!と考えて、片づけを始めたのでした。

結局どちらも中途半端です。ふッ。
いやしかし、とりあえず着手した。始めたことはいつかは終わりますよ。そうだ、がんばるんだ。毎日ちょっとずつ片付ければ、そのうち終わるよ。つーか、普段からちょっとずつ片付ければ、こんな惨状は免れたんだよ。待て、待て! 反省はあとにするんだ! 落ち込んでいる場合じゃないんだ!



さ~よな~ら~、さ~よな~ら~

これで今日~はお別れし~ましょう

さ~よな~ら~、さ~よな~ら~ ♪

という曲(でも、なんの曲だ? 小学生の頃に歌った記憶だけある)
を思い出しながら、3連休よ、また会う日まで。


はー。がんばったら疲れたので、今夜はラム肉を食べることにします。

スプートニクの衝撃

2007年10月07日 | もやもや日記
画像は wikipedia-スプートニク計画 より


宇宙開発の歴史に関するためになる知識を披露できるとよいのですが、残念なことに私にはその知識が全くないので、以下の文章にはたいしたことは書いてありません。あらかじめ…。


このあいだ、スプートニクが打ち上げられてから50年の節目を迎えたそうです。知らなかったー。当日はそのことに全く気が付かないで過ごしたのですが、昨日になって何かの拍子にスプートニクの話題になり、K氏が調べてくれました。するとちょうど数日前に50周年の節目があったということでした。50年もまえに宇宙にそんなのを打ち上げたという事実にも驚いたのですが、それよりもさらに驚いたのはスプートニクの形。

「なんてこった!!」

私はそのあまりの美しさに大衝撃。信じられない美しさです。ああ、あまりに美しい! ほんとうは、見れば見るほど、声にならない衝撃が突き抜けるのですが、書かないと画面が埋まらないので、あえて書きます。美しい! 美しい!!

こんな感じで、スプートニク1号のあまりにSF的なデザイン(ところがこれはフィクションではない)に、圧倒されまくったわけですが、ふと思い付くことがありました。

これまでにも、ときどきK氏から「ロシアの不思議建造物の画像」がメールで送られてきたりして(どうやら彼はそういうのが好きらしい)、それを見るたびに「なんてSF的な!」と感じていました。しかしこれは、ひょっとすると………。


「なにかこれを見ると、ロシアのデザインがSF的というより、SFの持つイメージがむしろロシア的なんじゃないかという気がしてきたよ」

と、K氏が言いました。
うむ。同感である。私もそんな気がする。だってザミャーチンによるSF小説『われら』のイメージときたら、あなた! あの透明感や金属感はちょっと驚くべきものでしたよ。

でも、まあ落ち着いて考えてみると、科学が発達した国々のその科学の発展とともにSFの歴史があったとすれば、そのイメージがその国々の美意識を反映しているのは、当然と言えば当然のことですよね。気付くのが遅すぎたのかもしれませんね。ははは。
とにかく、ロシアの美的感覚というのは凄い。昨日偶然にテレビ番組で見た、音楽ホールの内装なんかも美しすぎる(色合いが特に)。興味が尽きない国です。


ところで、スプートニクはロシア語で【Спутник】と、【旅の道づれ】というほどの意味の言葉なのだそうです。
泣くことはない。だけど、なんか泣きそうな気持ちになってしまうではないですか。
音の響きも実に良いのですね。


57日後にはふたたび大気圏に突入して消滅することになるものの、あのように美しいものがかつて地球の外を周回した。
そのことを思うと、なんだか良い夢が見られそう。




檬果塔

2007年10月05日 | もやもや日記

《あらすじ》
無人の檬果島に上陸した かえるとオネコタン。そこには黄金色に発光する巨大な塔がそびえたっていた………。塔は何者によって建設されたのか、その目的は何か、幾多の謎を解明するべく深い闇へと延びる無限の回廊を駆け上がるふたり。黄色い目が、てっぺんからそれをじっと見つめていた……。
狂気の海洋冒険ロマン。


《この一言》

“ いつしかオネコタンは、左手で招くのを止めていたのでございます。 ”



てことを空想しました。江戸川乱歩とか読みたいですよ。瀬戸内海の島でね、怪事件とか起こるんですね。そもそも事件は最初は東京から始まったりするんですけどね。どんどん気持ち悪い展開になるんですね。どきどき。

ところで、「マンゴー」って「檬果」と書くらしいですね(不確かな情報によると)。漢字でも何かおいしそうな感じではないですか。私はマンゴーとか洋梨とか、香りが強い果物も好きですよ。



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マンゴーに缶詰があることを知りました。
そして、おいしい缶詰とそうでないものがあることも知りました。
画像はおいしかったほうの缶詰。
なんと樹脂のフタ付きなので、残った場合にもフタをして保存しておけるというすぐれもの。しかし、いっぺんに食べてしまうので、今のところ利用する機会がありません。

大量買いはK氏の得意技なのです。
マンゴー缶がたいそう気に入ったそうです。
で、私が積んでみた。
上の1個はもう空です。ごちそうさまでした。


夜が長くなりました

2007年10月04日 | もやもや日記


夜が長くなってきました。

写真は夜のプラハ。
それはもう美しかったですよ。
実はあまり知られていないことですが、このブログは東欧旅日記から出発したのでした。あれからもうすぐ3年もたってしまう。


私は3年前のことがいつまでも忘れられないので、どうしてもまた行くつもりです。今度はチェコに長く滞在したい。プラハ以外も行きたい。なんなら住んでもいい。


夜が長くなると、美しかった夜の思い出がくるくると目の前を横切ってゆくようです。