半透明記録

もやもや日記

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『カストロ 人生と革命を語る』

2007年04月08日 | 学習
《内容》

革命運動の指導者となって50年目の2003年1月、キューバの国家元首であるカストロ議長はテレビカメラの前で、自らの人生と政治を振り返る6時間以上に及ぶ長時間インタビューに初めて応じた。インタビュアーはフランスの外交専門誌「ル・モンド・ディプロマテック」の編集長、イグナシオ・ラモネット氏だ。
    ―――NHKオンライン 番組紹介より



先週の日曜から、BS1の世界のドキュメンタリーで「キューバ特集」をやっていたので、絶対にみなければ!!と思っていたのに、どういう手違いからか、初回の『アメリカがみたカストロ キューバ革命の光と影』前・後篇および、このカストロ・インタビューの第2回(肝心のキューバ革命について語る回)と最終回を見損ねてしまいました…なんてことだ、半分しか見られなかった。再放送熱望。


さて私は、フィデル・カストロという人を、キューバ革命の中心的人物であり今もキューバ社会を国家評議会議長として牽引するカリスマであるというくらいにしか知りませんでしたが、実際にインタビューを受けて話す彼の姿にはかなりの衝撃を受けました。

その語り口からは「頭がいい」ということがはっきりと伝わってきます。そして、実に率直で友好的(ときどき、向かい合って座る記者の手や膝に自分の両手を触れさせたりもする)、人を惹き付けずにはいられない性質を備えてもいるようです。とにかく、話し方が無茶苦茶にうまい。そして、猛烈にしゃべりまくっていました。記者が口を挟むゆとりなどありません。話す内容も相当に面白かったです。特に第1回の少年時代のエピソード(「反抗的」だというインネンをつけられて学校を放校になった時(ちなみに穏やかな性格の兄と弟も巻き添え)、父親が学校側の説明を真に受けて「もう学校にはやらない」と言い出したことに腹を立て「家に火をつけるぞ」と言って別の学校へ通えるようになったことがある…いや、本気じゃなかったさ、たぶん。と告白)と、青年期に起こしたキューバ革命発端ともされる「モンカダ襲撃事件」の顛末について。

バティスタ政権打倒を目指して実行したモンカダ襲撃事件は、周到に計画を立てたつもりだったが、実際には手違いの連続で失敗に終わった。大学に非常に熱心な活動を行う学生がいたので、彼らにも襲撃に参加させようと思ったが、意外にも彼らのうちの何人かは後悔しはじめた。そこで、「お前達は最後尾からついてこい」と車列の最後へと付かせたのだが、途中で彼らはなぜか列の真中あたりへ入ってきて、しかも道を間違え、後続の車もそれについていき…最終的にはメンバーは随分減ってしまった。それでもどうにかモンカダ兵営に辿り着きはしたが、そこからさらに手違いのうえに手違いを重ねることとなった……。
(記者:撤退の計画は立てていなかったのですか?)
撤退の計画だって? 始めから逃げる計画を立てるなんてことはありえない。絶対に成功すると信じていた。………


かなりの犠牲者を出したこの事件ですが、カストロの話を聞くと非常に楽観的な計画によって実行されたところもあるらしいという気がしました。面白がっては不謹慎だと思いつつも、ついつい面白がってしまいました。そのくらいに、この人の語りは絶妙なのです。
ともかく、この人たちは強い「理念」によって突き動かされていたようです。カストロ個人に関しては、徹底的な平等主義という理論を実践しうる強固な行動力と精神力に貫かれている人物であることは間違いありません。現在のキューバでは、ほとんど誰でもが法案を提出することが出来るらしいです(1万人以上の署名が必要)。それは凄い。もちろん提出しても可決されるとは限りませんが。まず、評議会で検討されます。その評議会の議長がカストロ氏です。


インタビューを聞いてみると、それなりに一生懸命やろうとしている国に、どうしてアメリカはとやかく口を挟むのか、カストロ同様に私も不思議に思えます。そっとしておいてやればいいのに。たしかにキューバは問題を抱えているかもしれないが、それはよその国がとやかく言う問題ではないような気もします。少なくとも、別に他の国に危害を加えようとするでもなく、単にイデオロギーに従って国を運営しようとするところがあるならば、それはそれでやってみる価値があると、私個人としては思います。ただ、キューバもキューバ国民である全ての人が同じ目標に向かうことができればよいのでしょう。志を同じくする人だけで集まることができれば、もっと順調に事が進むんだろうに。なかなかそうはいかないのが難しいところです。


過去にいくつもの失敗を重ねたことや、現在もキューバはまだ道の途中であると率直に認めるカストロのインタビューは、一人の人間から語られる言葉のどれほどに真実が含まれるのかを正確に判断することは難しいですが、心を打たれるものであったことは確かです。若い日のカストロが拘束された時、彼を拘束した部隊の兵たちが彼を殺そうと逸るのを制止したという中尉がつぶやいた言葉を、カストロは忘れることができないそうです。

「思想は殺せない」


反対の意見を述べることはまったく正当なことですが、「お前は間違っている。だからこちらの言う通りにしろ」と言うことなど、誰にだって許されていることではありません。
そういうことからすれば、キューバ革命についても、あのように多くの犠牲をともなわなければならなかったという事実は誠に遺憾なことであります。
問題が浮上した時、重要なのは両者の意見を同じように聞くこと。お互いが同じように相手を尊重すること。相手を貶めることなく、自分の意見を主張できること。そういう世の中が実現するといい。殺し合う以外の手段で、戦うことはできないのでしょうか。

こんなことを考える私は手に負えない理想主義者かもしれませんが、誰もそれを抹殺することはできません。私自身にさえ、そうすることはもはや不可能です。なぜならば、虐げ、虐げられる苦しみが理想を生み、そしてその理想や憧れというものが人類をつねにもっと先へと押し上げてきたということを、私はすでに知り始めているから。もう二度と、何もしないうちから「これが現実で、ここが限界だ。もうどうにもならない」などとは言いたくないのです。あのとき、滅び去らずに残ったもの、いえ、むしろその破局が与えてくれたものが確かに今ここにあるので、私に求められているのは、ただそれを実践することだけなのです。


『Aardman collection 3rd』

2007年04月07日 | 映像(アニメーション)
『ウォレスとグルミット』などで有名なアードマン。K氏がその短篇アニメ集の3巻をかってきてくれたので、ちょっと観てみました。


「退屈」という、影絵の人物2人が退屈なので影絵遊びをするという話が面白かったということは言っておきましょうか…。

あとは、えーと、日常的な会話を取り上げて、それに妙なアニメを付けてみたというような  "Conversation pieces " というシリーズは、なんともイギリス的と言うか。とりあえず、このような内容をあえて粘土でやるのはすごいです。


アードマンコレクションで面白いのは、(確か1巻の)「レックス」という犬(らしき生物)のシリーズでしょうか。私はこれを劇場で観て笑い転げました。「夢」のエピソードはもう一度ぜひとも観たいところです(が、1巻にはこれが入ってなかったような…ああー)。


『交渉人 真下正義』

2007年04月06日 | 映像
夕飯を食べながら、なにか気楽にみられるものを…と思い、去年の秋に録画してそのまま放置してあったこの映画を観ることにしました。ところが、「夕飯を食べながら気楽に」と思っていたのに、物語の導入部分ですでに食事は完了。しかしせっかくなのでそのまま最後まで観てしまいました。

普段はどちらかと言うと、と言うか全面的にマイナーな映画しか観ない私ですが、この『踊る大捜査線』シリーズは好きなんですね。刑事ものが好きなのかもしれません。時代劇も好きですし(参考資料:私が愛したテレビ時代劇=「御家人 斬九郎」「八丁堀捕物咄」「鬼平犯科帳」などなど)。


さて、結論から申しますと、とても面白かったです。途中からはついついマジ観してしまいました。そして、ユースケ・サンタマリアさんに思わずときめいてしまいました。うーむ、かっこいいではないか。この人のことは前から結構好きでしたけど、今回は本気でやばかったぜ。
ストーリーは、終わってみるといくつか疑問も出てきますが、観ている間はあまり気にならなかったので、良い脚本だったんだと思います。いつも通り、要所要所に笑いどころもあり、うまく面白く作ってあります。

これはまあお話なのですけれども、実際にもこうやってクリスマスだろうが何だろうが関係なく、一生懸命に働いている人が沢山いるんだろうなあと思ったりして、私もなんだか一生懸命に働きたい気持ちになりました。我ながらすげー単純ですね。流されやすい。危険だ。


ついでに、2か月ほど前に『容疑者 室井慎次』も観たのですが、そちらはかなりシリアスでしたね。見応えがありました。どこだかの場面で涙してしまった事実は伏せておこうと思います。田中麗奈さんは可愛かったです。


と言うわけで、たまにはエンターテイメント作品もいいものですね。


『PとQ ヨーグルトにジャムを入れる』

2007年04月03日 | 自作まんが
「私はなぜマンガが好きなのか」を考える一環として、実際にマンガを描いてみました。ちょうど、友人のKさんからも「描いてみたらどうか」と勧められていたことですし(しかし、「え? マンガなら描いたことありますよ。『たんていものがたり ―怪しいギョウザ屋さん事件―』とか」と言おうとしたら、「アレじゃなくて!」と先を制されてしまいました; ちなみにその問題作はホームページにて現在もほそぼそと公開中)。


さて、私はマンガを読むのは大好きですが、実際に描くとなると慣れ親しんだマンガという表現形式もずいぶんと違って見えてきます。難しい……コマ割りが上手くいかない、台詞運びも…。だいいち、全然、面白くならない……。うーむ。プロのマンガ家の人達は、改めて凄いですね。私などは時々読んで泣いたりハラワタを捩ったりしていますからね。凄いなあ。

まあ、やってみて分かったことは、私は読むだけでなく、描くのも結構好きだということですね。もっと中身が面白くなれば、なおいいのですが。


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前置きが長くなりましたが、せっかく描いてみたので公開しますよ。
(丸3日もかけて描いたのに、もったいないじゃないですか)
巻頭カラーなイメージで、色などが付いております。
ちなみにPとQというのは、黒い犬のふたりのことです。知らなくてもよい情報ですが、念のため。


というわけで、お暇な方がいらしたら、どうぞ。
(画像をクリックされますと 別窓/拡大 表示します)

 1頁目

 2頁目

 3頁目

 4頁目

 5頁目

 6頁目(最後)




ふう。こんなのを世間さまに公開できる私ってつくづく冒険家。
いやしかし、楽しかったから、これはこれでいいのです。
ははははは!


黄砂

2007年04月02日 | もやもや日記
仕事帰りに、夕方だというのにまるで赤みのない、真っ白な太陽を見ました。

なんだ、なんであんなに白いんだろう?

と、不審に思っていたら、どうやら「黄砂」というのが原因らしい(多分。本日大阪に黄砂がかかったのは事実なので、そこから推測)。

へえ、これが黄砂か。曇ってるのとは違うのですね。この砂は中国から飛んでくるそうではないですか。うーむ。砂って、ずいぶん遠くまで飛ぶものですねえ。しかし、ニュースによると、今日黄砂が飛んだのは近畿地方だそうです。なぜ近畿地方だけが黄砂に見舞われるのですかね。中国地方とか九州では、黄砂は飛ばなかったのかしら。風の吹き具合などによるのでしょうか? 面白いな。

Glenn Gould "J.S.Bach Goldberg-Variationen"(その2

2007年04月01日 | 学習
55年盤と81年盤を聴き比べる。




先日のグールドとの衝撃的な出会いのあと、さっそくアマゾンにCDを注文していたものが届きました。私がここまでハマるのは珍しい。恐るべしグールド。
(先日の感激爆発記事はこちら↓
 Glenn Gould "J.S.Bach Goldberg-Variationen" )

さて、両者はいずれもグールドによるバッハの "ゴルトベルク変奏曲"です。グールドのデビュー作と遺作が同じ曲であるというのは、不思議なことですね。この最初と最後の演奏を聴き比べてみると、素人の私にも分かることと言えば、同じ曲であるのは確かながら、これらはまるで違うように聴こえるということでしょうか。

まずスピードが違います。55年盤は本当に速い! 超絶速度です。両者の再生時間を単純に比べても10分以上の差が出ています。そして55年盤は(若いころの演奏だということを私が知っているせいかもしれませんが)沸き立つような高揚感を与えられるところがありました。盛り上がりますね。これからの季節には良い感じかもしれません。何となく。

それに対し、81年盤(こちらが私が初めて聴いたグールドの演奏)は、もっと落ち着いた演奏です。慎重に慎重に演奏されている感じがします。55年盤に比べてゆったりとしているのですが、やはり盛り上がります。個人的には、これは秋に聴くと何かとんでもないことになりそうな予感。秋は私の精神が最高潮に敏感・活発となる季節です。今度の秋が楽しみです。


あらためて81年盤を聴き直してみると、私がこのあいだあんなにも泣いてしまった理由がちょっと明らかになってきました。《第25変奏》の途中から《第30変奏》までは猛烈に盛り上がっていくわけですが、そのあとの《アリア》への落差は、とても耐えられないほどに急激なものです。私はそういうのに弱い。それにこのあたりは、「もうそろそろこれで終わりです」という感じが非常にします(これも最晩年の演奏であることを私が知っているせいかもしれませんが)。もはや最初の《アリア》とは別物のようです。うう。


そして2枚を比べて聴いてみて何よりも感動的だったのは、こんな風に同じ対象に向かってひたすらに取り組んだ人が存在したという事実でしょうか。何かに情熱を燃やしてそのために生きた人の姿は、私にはとても美しく映ります。他の分野でも、私はどうしてもそういう人物に憧れてしまうのでした。彼らは自分の興味や欲求に従って生きたつもりだったかもしれなくても、結局は人類のために生きたことになっている。素晴らしい人生に栄光あれ。


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ところで、CDに付いていた解説文も結構熱くて面白かったです。やっぱりカリスマだったんですね、グールドは。