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『六の宮の姫君』

2007年02月24日 | 読書日記ー日本
北村 薫 (創元推理文庫)


《あらすじ》
最終学年を迎えた《私》は卒論のテーマ「芥川龍之介」を掘り下げていく一方、田崎信全集の編集作業に追われる出版社で初めてのアルバイトを経験する。その縁あって、図らずも文壇の長老から芥川の謎めいた言葉を聞くことに。《あれは玉突きだね。……いや、というよりはキャッチボールだ》―――王朝物の短編「六の宮の姫君」に寄せられた言辞を巡って、《私》の探偵が始まった……。


《この一文》
” 私のような弱い人間に、時代に拠らない不変の正義を見つめることが出来るだろうか。それは誰にも、おそろしく難しいことに違いない。ただ、そのような意志を、人生の総ての時に忘れるようにはなるまい。また素晴らしい人達と出会い自らを成長させたい。内なるもの、自分が自分であったことを、何らかの形で残したい。
 思いを、そう表に出せば、くすぐったく羞ずかしい。嘘にさえなりそうだ。だからそれは、実は、言葉に出来ないものなのだ。
 それは一瞬に私を捉えた、大きな感情の波なのだ。   ”



この間、芥川の『六の宮の姫君』を読んだということをお友達のKさんに話したら、この本を勧められたので読んでみました。勧められてはみたものの、私は日本の現代作家の小説はまるで呪いがかかっているかごとくに苦手なので、実を言うと読了できるかどうか不安でした。案の定、始まりの方で主人公の女の子(大学生。国文学専攻の4年生)が、短い段落ごとに何かにつけてキメの言葉を持ってくるのに、いささかついていけない感じがして仕方がありませんでした(というより、もしかしたら同族嫌悪というやつかもしれません。私にも何かにつけて文学的に表現したがる傾向があるので。はたから見るとちょっと鬱陶しいですね、反省)。しかし、それをいつの間にか乗り切ると、あとはスラスラと読めました。つまり、途中からはとても面白かったのです。よく出来ています。読みやすい。

物語は、《あらすじ》にある通り、ある大学生が卒論を書くために芥川の「六の宮の姫君」という作品が書かれた背景に迫ってゆくという、なかなか地味な内容です。しかし、こういう卒論が書けたら面白いだろうなあと思います(今も昔もほとんど海外文学にしか興味を示さない私も実は国文科でしたが、残念なことにこんな熱心で優秀な学生ではあり得ませんでした。ほんとうに残念だなあ)。

卒論がどうこうということを除いても、なかなかドラマチックな謎解きに仕上がっていたので、とても感心します。謎解きというのは、どうしてこんなにもハラハラするのでしょう。そして、この人の説にはなんだかとても説得力があって、つい納得してしまいました。泣きそうになるほど感動的に締めくくっています。これはちょっと、ずるいなあ。というくらいです。

実際のところはどうだったのでしょう。あらゆる証拠を集め、歪みのない論理を組み立てたとしても、「これで絶対に間違いない。こうだったのだ」と言い切ることはできないでしょう。より確からしいところの周辺をうろうろするしかなさそうなのが、過去を扱う学問の難しいところです。実に虚しい学問です。しかし、無駄であるか――いいえ、無駄ではありません。

物語が生まれてくる背景には、人と人との繋がりがあって、その繋がりは、時間や空間を遠く隔てた者の間にも発生し得る。それだけは、どうも確からしい。我々にはそれぞれに、肉体的な血族のみならず、精神の血族というものを持っている。誰から何か精神の断片のようなものを受け継ぎ、それをまた別の誰かに伝える。そうしようとする意志を持つことによっても人間は生かされているに違いありません。

私の思考はもはや私自身のものであるだけでなく、かつてそれはあなたの思考であり、いつかは彼らの思考となるでしょう。と、始まりも終わりもないようなことに憧れる私は、こんな風にこの作品を読んで、自らの理想を補強することになったのでした。まさか、ここでこんなことになるとは………面白いな。



 *余談*
夜中に目が覚めてこれを読み始めたら、最初のほうのバイトの面接で、資料をコピーする仕事に対しての「自給は900円」と説明を受けている場面があり、大衝撃。なんてこった、今の私よりも高給取りです(ひたすらコピーをとるという仕事に比べて私の今の仕事の方が高級であるというわけでは決してないですが)。ワーキング・プアという問題は、もはや他人事ではありませぬ。自分を安売りする私は奴隷です、物乞いです、屑です、ダストです。と、ネガティブ・パワーが久しぶりに炸裂したおかげで、明け方までふたたび寝られませんでした。こんな思わぬ落とし穴もありました。こんなところでハマるのは私くらいかもしれませんが。