半透明記録

もやもや日記

「征服の事実」

2010年04月14日 | 読書日記ー日本

大杉栄(青空文庫)


《内容》
過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の人類社会の根本事実たる征服を説く。


《この一文》
“ 敏感と聡明とを誇るとともに、個人の権威の至上を叫ぶ文芸の徒よ。講君の敏感と聡明とが、この征服の事実と、およびそれに対する反抗とに触れざる限り、諸君の作物は遊びである、戯れである。われわれの日常生活にまで圧迫して来る、この事実の重さを忘れしめんとする、あきらめである。組織的瞞着の有力なる一分子である。”







ほんとうはこのへんで踏みとどまりたいのですが、なんか、ダメっぽい…。私はどこへ向かおうとしているのやら分かりませんが、気の済むまでは、というか行けそうなところまではとりあえず行ってみるか!


先日読んだ大杉栄の「鎖工場」があまりに衝撃的だったので、K氏にも青空文庫のリンクを貼ったメールを送りつけたところ、早速読んでくれたらしいのです。それまでは私ひとりが「鎖が…鎖がですね…」とつぶやいていたのですが、それ以後、彼もまた私と顔をあわせるたびに「鎖…」と暗くなっているのでした。すまんね。

小説「鎖工場」では、工場(というひとつの社会)の中で鎖に縛られている人間のタイプを的確に分類しているのですが、自分たちは一体どのタイプに属するだろうか、多分時々鎖を作る手を休めてはぼんやりと夢を見ているあのタイプかしら……などと話し合いながら、このところの我々は飯を食ったりしています。なんつー暗い食卓!! 消化に悪いですね、ほんとスミマセン。

それからしばらくして、今度はK氏から「「征服の事実」を読んだら、なんか大杉さんが君みたいなことを書いてるのでますます凹んだ…」と言われたので、私も読んでみました。K氏が言うのは、「征服の事実」のこの部分だそうです。


“ ここに初期の人類は、自然の富饒の間に暖かい空気の下に、動物のような生活を送りながらも、なお多少環境を変更し、または他の肉食獣を避けもしくは欺くに足る知識もあり、非常な速度で繁殖することができた。そして血族関係から生じた各集団の人口が多くなって、互いに接触し衝突するようになれば、その集団は思うままに四方八方に移住した。かくして長い間、原始人類の間に、安楽と平和とが続いた。この時代が、昔からよく言う、いわゆる黄金時代であったのである。”



あー、なるほど。たしかに私もそんなことをよく言ってるかも。凹む、か。うん、凹みますねえ。
私はユゴーの『死刑囚最後の日』を読んだ時にも、ちょっと違うけど似たような、ひと気のない世界への憧れのようなことを書きました。まあ私に限らず、文明があるから(しかもそれが一個じゃないから、価値観の相違で)揉めるんじゃないの? あと地上に人が多すぎるんじゃないの?という疑問は、誰しもの心に根付いているのではないかと思われますが、どうなのでしょうか。フリオ・フレニトやエンス・ボートが目指した世界というのも、ひょっとするとこういうものに近かったのかもしれない(…いや、違うかな、やっぱり。でもこの問題は一部分ではあるのかも……。エレンブルグ:『フリオ・フレニトの遍歴』『トラストDE』参照。私はまだこれらを正しく読みこなせてはいないのです)、となると私がこういうものに惹かれるのにもなるほど一貫性があるね、などと話しては、またしても食卓を限りなく暗く沈鬱なものにしているのでした。



さて前置きが長くなってしまいましたが、私は大杉栄という人をついこないだまで知らなかったというのに、その存在感が急激に増してきていて、この迫力に立ち向かおうとするだけで正直疲れています。つ、疲れるわ。けれども、何と言うか、これは今のような時代にこそ一度読まれるべき代物ではないか、そういう気配がするので、疲れるけれどももうちょっと読んでみようと思います。結構面白いんですよ。ええ、ほんと疲れますけどね。ほんの短い文章なのに、なぜこれほど疲れるのか……。内容理解のために気持ちを奮い立たせるべきところかもしれませんが、なんだかひたすら打ちひしがれてしまいます。うなだれてしまいます。

そういうわけで私はやたらと疲れてしまって、内容についてじっくり考えをまとめたりする気力と能力が出てきそうにないので、長文をそっくり引用して、今日のところはひとまずおしまいにしたいと思います。そのうちに私のくたびれた脳髄にもわずかでもひらめきが発生すればよいのですけれど――。



“ 歴史は複雑だ。けれどもその複雑を一貫する単純はある。たとえば征服の形式はいろいろある。しかし古今を通じて、いっさいの社会には、必ずその両極に、征服者の階級と被征服者の階級とが控えている。
 再び『共産党宣言』を借りれば、「ギリシャの自由民と奴隷、ローマの貴族と平民、中世の領主と農奴、同業組合員と被雇職人」はすなわちこれである。そして近世に至って、社会は、資本家てう征服階級と、労働者てう被征服階級との両極に分れた。
 社会は進歩した。したがって征服の方法も発達した。暴力と瞞着との方法は、ますます巧妙に組織立てられた。
 政治! 法律! 宗教! 教育! 道徳! 軍隊! 警察! 裁判! 議会! 科学! 哲学! 文芸! その他いっさいの社会的諸制度!!
 そして両極たる征服階級と被征服階級との中間にある諸階級の人々は、原始時代のかの知識者と同じく、あるいは意識的にあるいは無意識的に、これらの組識的暴力と瞞着との協力者となり補助者となっている。
 この征服の事実は、過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の、人類社会の根本事実である。この征服のことが明瞭に意識されない間は、社会の出来事の何ものも、正当に理解することは許されない。
 敏感と聡明とを誇るとともに、個人の権威の至上を叫ぶ文芸の徒よ。講君の敏感と聡明とが、この征服の事実と、およびそれに対する反抗とに触れざる限り、諸君の作物は遊びである、戯れである。われわれの日常生活にまで圧迫して来る、この事実の重さを忘れしめんとする、あきらめである。組織的瞞着の有力なる一分子である。”



最後の段落がとくに強烈。この部分は「生の拡充」へと続いているので、そこであらためていくらか考察できるといいなぁ…。でもたぶん私には「考察」とか無理ですけど; ああ、なんて骨なし能なし野郎なんだ! うーん、うーん……。







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