半透明記録

もやもや日記

『駈込み訴え』

2005年07月09日 | 読書日記ー日本
太宰治 (青空文庫


《あらすじ》

キリストに対する愛と憎しみに狂わんばかりのユダの裏切りに至るまでの独白。

《この一文》

”私はけちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。  ”



怒濤の勢いでユダの愛と憎しみが交錯します。とても短い作品ですが密度が高く、考えさせられるところが多くありました。太宰という人はこういう心理を描くのが非常に上手なようです。

物語は終始ユダの独白によって展開していくので、読み手はユダの目を通してしか事態を把握できません。しかし、ユダによって語られる事実とそのときの彼の心情とには微妙な食い違いを感じさせられる気がします。
この物語の最大の山場はユダの裏切りに対する決意が決定的になる場面です。それまで決意しながらも揺らいでいたユダの気持ちは、「あの人」に対する愛が最高潮に達したまさにその瞬間に侮辱を受けたと感じることで一気に憎悪に変ります。
「その人は、ずいぶん不仕合せな男なのです。ほんとうに、その人は、生れて来なかったほうが、よかった」
とこんな風に言われ、彼がこれからキリストを裏切ることになるだろうと名指しを受けます。彼はこれを侮辱と受け取りましたが、本当はどうだったのでしょうか。
ユダの心情としては、ここまでくるともはや売るしかない、殺すしかないということになるわけですが、別の視点から見たらどうでしょう。ユダは確かに感情的になりやすそうな、分かりやすそうな性格のように描かれていますが、それにしても裏切るのはお前だ、というように名指しされるというのは奇妙です。ユダの裏切りは仕組まれたものだったのではないかとも思えます。ユダの目にも「あの人」は「無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える」と感じているところもあるのです。もし仕組まれていたならば、ユダは哀れです。何かの目的のために、どうしても誰かに嫌な役まわりを演じさせる必要があって、それがたまたまユダだったのでしょうか。「あの人」が言う「不仕合せな男」、「生れて来なかったほうが、よかった」というのは、その役目を負わされたユダに対する哀れみからくる発言だったのでしょうか。私の解釈は間違っているかもしれませんが、なんだかとても嫌な感じがします。

また、この物語から受けるもうひとつの重苦しさは、ユダの心情のみが語られて、他の人物の考えがほとんど見えてこないところからくるのかもしれません。全てが彼の思い込みと思い違いかもしれないのです。相手の本当の気持ちを知ろうともしないまま、行動に突き進んでしまうのです。誰かと意志を通じようと思ったら、やはり徹底的に話し合うしかないのでしょうか。「違う」と絶叫しようとして結局はしなかったユダ、「言われてみるとそうかもしれない」と思ってしまうユダ、でも誰にでもタイミングを逃すことがあります。機会を失ってしまったら、もうどうしようもないのでしょうか。なんて恐ろしい話なんでしょう。

まだよくまとまりませんが、確実に言えるのは、やっぱ太宰はすごかったということでしょう。この作品も今後何度となく読み返すことになりそうな気がします。

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
申し送れました。商人のユダです。 (弁慶)
2005-07-12 00:11:21
ntmymさん、どうもお久しぶりです。



私が読んだ感想としては、キリストは夢想家です。夢想は現実では、残念ながら力になり得ません。しかし、ユダのように夢想を美しいと感じる人がいるからこそ、夢が社会に投影されるのだと思います。



太宰は、他の使徒と違い、彼が神など信じていないこと、社会の権力にあこがれてない事、

それであってもキリストという人を美しいと思えるところに惹かれてるのでは、と思います。



キリストを宗教から切り離し、彼の人間性(聖人とはいえないが)に憧れるユダという構図はあまり聞きません。



最後の件では強烈なユダの感情が垣間見れます。ユダが放つ卑屈な台詞は、逆に彼の純粋さを示している気がします。

 
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な、なるほど! (ntmym)
2005-07-12 10:52:25
弁慶さん、どうも!



>夢想は現実では、残念ながら力になり得ません。しかし、ユダのように夢想を美しいと感じる人がいるからこそ、夢が社会に投影されるのだと思います。



鋭いですね、すごく納得してしまいました。さすが太宰好き。読みも深い。

そう、ユダは純粋なんですよね。ただ他の弟子たちと違って、その考えの尺度が極めて現実的であるというだけで。しかしそれは決して責められるべきものではないですよね。夢を見ないユダと、現実を見ないキリスト。どちらが良いとか悪いとかではなく、現れ方の違ったふたつの純粋な存在として描かれていたのかもしれないと思えてきました。



太宰の文章は、そういう純粋さを本当に純粋に描くので感動させられますね。人間の嫌な部分も率直に追求する鋭い視線があって、それを完全に文章にあらわしているので、私は目をそらすことはもはや許されないような圧迫感さえ感じます。人間の心理をここまで明かな言葉に置き換えることが出来るのかと驚きました。

太宰もこの話のユダのように、現実から逃げない人だったのかもしれないですね。
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「駆込み訴え」アップ完結! (渡辺知明)
2005-10-01 10:27:06
わたしがBlog表現よみ作品集で公開している「駆込み訴え」のアップが4回で完結しました。ぜひお聴きください。
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漢字間違い (イーゲル)
2005-11-06 10:04:08
TBさせて頂きました。「駆込み」ではなく「駈込み」だったのか!とたった今気が付いた所存です。猛省。
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言われてみると; (ntmym)
2005-11-06 10:37:06
変換間違いしやすいですよね、どんまいです。

って、私もたった今、イーゲルさんのとこでコメントしましたが、「駆込み」でやっちゃいました。どんまい!
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客観的判断材料に欠けるので (裁判員候補)
2006-02-17 20:25:13
ユダの独白だけでは真実は判らないのです。イエスの釈明も無いし、他の弟子の証言も無いのです。

ただ、イエスと弟子の一派がエルサレムにおいて布教活動をするということは、いよいよ敵地総本山に乗り込むわけですから大きな摩擦は不可避です。

たとえ辻説法一つするにせよ、弟子たちが場所を確保するだけでも、周到な根回し、煤払いが必要であったかも知れません。師のためにお膳立てに奔走する弟子達が、敵対者にわずかばかりの袖の下でも贈っていたとしましょう。それを師が問題にして、殊ユダを皆の前で咎めたりしたら・・・。それで逆切れされちゃったりして、勢いあること無いことでっち上げられたりして。ユダの独白にはそんなニュアンスも感じられなくないでしょうか?イエスが何か特別の思いがあって逢えて弟子に何かを説教したのか?それを一行にとって切羽詰った状況が弟子をして師の言動をマイナスに受け取らせてしまったのか?ユダの独白だけでは何が客観的事実であったのかは判らないのです。

他の弟子達も自分達の一派が置かれた状況を客観的に把握していたら、ユダがかように動いた動機も理解できていたかもしれないし、イエスとユダの思いの齟齬に気がついていたかもしれない。しかし、敵対者がイエスを処罰しようという動きが顕になったとき、御身大事で師を庇えなかった。そんな想像もできます。

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はじめまして! (ntmym)
2006-02-18 18:02:47
裁判員候補さま、はじめまして、コメントありがとうございます♪



>師のためにお膳立てに奔走する弟子達が、敵対者にわずかばかりの袖の下でも贈っていたとしましょう。それを師が問題にして、殊ユダを皆の前で咎めたりしたら・・・。それで逆切れされちゃったりして、勢いあること無いことでっち上げられたりして。ユダの独白にはそんなニュアンスも感じられなくないでしょうか?



そうですよね、そんな感じがしますよね。

私もこのお話ではユダの一方的な意見だけがただひたすら述べられているので、本当のところはどうだったのかなあ、と思わされました。

そして、ユダでなくとも、誰かと思いがすれ違ってしまったり、相手の言葉を誤解してしまったりすることは珍しいことではなく、分からないままで取り返しのつかない行動に出てしまうこともありますね。

ともかく、ユダの言葉が微妙に疑わしいように描き出しているところは、さすがです。

何度読んでも、こうだったのか、どうだったのかと考えさせられます。
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ユダは自殺?他殺? (裁判員候補)
2006-02-18 19:14:15
自分の独白でイエスが処刑されるやユダはポプラの木で縊死します。

しかしユダの独白を利用してイエスの処刑に使った側にしても、実際はかなり独白を疑わしいと感じていただろうし、ユダとイエスのやり取りを実際に見ていた他の弟子達にとっても自分等に類が及ぶのを避けたかったろうし、ユダの口封じは皆の共通の利害でもあったはずです。

自殺にしろ他殺にしろ、直接間接にユダを追い込んだ要因はあるのではないか?むろんユダ自身の要因もあるのだろうが・・・。
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なるほど (ntmym)
2006-02-19 19:25:57
>直接間接にユダを追い込んだ要因はあるのではないか?むろんユダ自身の要因もあるのだろうが



そうですね。

私もそう思います。

ユダは自分でもそうなるべき要因を抱えていたかもしれませんし、周囲の状況もまたユダをそうさせるように追い込んでいったのかもしれません。

私は恥ずかしながらこのあたりのことは詳しくないので何とも言えませんが、文学作品でもしばしばここが取り上げられるのは、この場面がとても複雑で謎めいていて、どうしてなんだろう?と思わされるところがあるからなのでしょうね。
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疑心暗鬼 (裁判員候補)
2006-02-24 02:49:21
師と弟子

上司と部下

夫婦

恋人同士

友達同士



向かい風の状況の中で、双方に疑心暗鬼が生じると

一方が他方を裏切り敵方に走ることも生じる。

悲劇の始まりです。泥仕合に留まらず、

殺し合いにまで仕向けられることもある。

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