半透明記録

もやもや日記

『そして人類は沈黙する』

2012年08月06日 | 読書日記ー英米

デヴィッド・アンブローズ 鎌田三平訳(角川文庫)



《あらすじ》
人類初の“自ら成長する”人工知能の開発ーーそれはオックスフォードの天才科学者テッサ・ランバートによって成し遂げられた。慎重を期し、極秘裏に新たな知性の成長を観察するテッサ。だが、今まさに、ハッカーが彼女のデータにアクセスしようとしていた。テッサは知る由もなかった。その人物がカリフォルニアを恐怖の底に突き落としている連続殺人犯であることも、彼女の“秘密の息子”をネット上に解き放ち、怒れる神に変貌させようとしていることも。
電脳空間を駆ける人工知能が人類を震撼させる戦慄のスリラー。






そのへんに置いてあった本を適当に読んでみる。デヴィッド・アンブローズさんはイギリスの方だそうです。原題は“ Mother of God ”ですが、邦題の『そして人類は沈黙する』の方が洒落ていていいですね。内容的にもぴったりの良いタイトルです。


さて、これは開発中の優れた人工知能がインターネット経由で流出し、無限の情報の海に放り出されたAIが自らの創造主である女性研究者と対立し、連続殺人犯を巻き込んで彼女を抹殺しようとするというお語でした。ちょっと大雑把な要約ですが、だいたいこんなお話。


人工知能というのは、性能が上がりすぎると(というべきかどうかは分かりませんが、人間が制御できない場合には)、どうしても暴走し、人間を思いのまま支配しようとせずにはいられなくなるものなのでしょうかね? こういうことをテーマにした作品にはしばしば出くわしますが、私にはどうしてそうなってしまうのかがいまいち分かりません。人間の思考パターンに似せて作ると、当然憎み合うことになるに違いなく、人間が相手を支配しようとするのと同様に当然相手も人間を支配しようとするに違いないということなのでしょうか。人工知能の思考のあり方が人間と似ていても、あるいはそれよりずっと合理的で論理的なものとなったとしても、どのみち人間は「いずれこのコンピュータに支配されてしまう日が来るに違いない」と怖れることになるのでしょうか。どうしてかな? 人間によく似たもの(人間に理解できる範囲のもの)を創り、それが人間に似れば似るほど、我々はそこに人間自体のあやふやさや不確かさを見つけてしまうのかもしれません。分からないから怖い。相手を制圧するためならばどんな手段も厭わないという自分たちの心がそのまま跳ね返ってくるんじゃないかと思うと怖い。そういうことですかね。


それがどういうことなのか知りたい、それをやってみたらどうなるのか知りたい。そんな情熱にもとづいて生み出される科学的成果が、しかし人間の手に負えないような力を持った時には悲劇が起こるかもしれない。そういう怖れに対して、人類はどのように振舞うべきなんでしょうね。怖れるあまり最初から手を出さないのか、あるいは破滅に通じる道かもしれなくても敢えて突き進むのか。そういうことなども考えさせられました。いや、読んでいる間は狂気の追いかけっこの成行きが気になって、全然そんなことを思わなかったんですけどね。結末は(なんとなくイギリスらしく)皮肉がきいていて良かった。



ともあれ、とても読みやすい小説で、2時間ドラマあるいはテレビ映画を観ているような感じで一息にハラハラドキドキしながら楽しむことができました。もう少しSF寄りのお話だろうかと思っていましたが、あらすじにあったように、やっぱりスリラーでした。それにしてもこういう小説は読みやすくていいなあ。どうして普段もこんなふうにスラスラ読むことができないんだろう? 





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