半透明記録

もやもや日記

『少年十字軍』

2010年06月10日 | 読書日記ーフランス

マルセル・シュオッブ 多田智満子訳(王国社)


《収録作品》
*黄金仮面の王
*大地炎上
*ペスト
*眠れる都市(まち)
*〇八一号列車
*リリス
*阿片の扉
*卵物語
*少年十字軍


《この一文》
“――このようにして、と王は言った。いつも同じ黄金の面をわれらに向けるあの月も、おそらく暗く残忍な別の面をもつのであろう。 ”
  ――「黄金仮面の王」より


“世界の諸部分は、善の路をたどらぬときには、いずれもひとしく有罪である。”
  ――「少年十字軍」より





初めて読む短篇が多かったですが、やっぱり「黄金仮面の王」と「少年十字軍」の2篇に私は打たれました。この二つの物語は、何度読んでも胸を打ちます。
その他の物語は「ペスト」をはじめ暗く不気味なお話が多いです。その中では「卵物語」が童話風のほのぼのとした物語ながら、はっとするようなことも書かれてあって面白かった。


さて、私はおよそ5年前にも「黄金仮面の王」と「少年十字軍」の2篇を別の本で読んで記事を書いていますが、前回の読書と今回の読書は違っていたようです。2005年にこの2篇を読んだ時は、私はこんなことを書いています。

*****
人間の持つさまざまの価値の全ては、人間自身が好き勝手に作り上げたものに過ぎないのだということに思い至ります。人間は何も分からないまま、闇雲に生きているだけなのかもしれません。いつか知ることが出来ればいいと願う「真理」に「神」と名付けて信じることを信仰というのでしょうか。自分達が歩いている道がどんなところか、今どのあたりなのか見当も付かなくても進むしかない不安にああでもないこうでもないと言って対立し傷つけ合う人間は哀れで、しかもそういう風にしか存在できないところに自ら罪をおわせ呪いをかけているのでしょうか。しかし、罪をおうからこそ赦される可能性があるし、呪われるからこそそこから解き放たれる望みがあると考えるべきなのでしょうか。ふたつの物語は大体こんな展開だったと思います。人間によって作り上げられた価値を捨て去る、もしくは最初から持っていない者達だけに見える世界があるかもしれない。
*****

ふむ。あの時はそういうことを考えていたんだな。でも、今回はこういうふうには思わなかったな。ここについてはあまり問題に思わなかったや。全然こんなことは思わなかった。

では、何を思ったのかというと、特に、なにも。ただ、とても悲しくなりました。何が悲しいのか説明できませんが、とにかく悲しかった。

前回「もっと考えるしかない」と書いて、5年が経ちました。そして出てきた言葉が「悲しかった」。たったの一言。色々と思ったことはあったはずなのに、全然言葉になりません。なんてこった!
ま、でもそういうこともある。私にはこれらの物語はまだ複雑すぎるんだ。次はもうちょっと……。新しい短篇を読めたことは、ひとまずの収穫でした。とにかく、諦めずにいきたい。






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2 コメント

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再見 (ペーチャ)
2010-06-11 01:11:10
再読や再見が怖い理由の一つは、再読・再見したときに、初読や初見のときの感動を味わえなかったらどうしよう、と恐れてしまうところにあります、ぼくの場合は。たぶん、感性が薄れてしまうことや、ありていに言えば成長してしまうことを怖がっているんだと思います。

でもきっと今回のntmymさんの場合は、悲しみが深まっているのでしょうね。つまり感受性に一層磨きがかかった。テーマの内奥を探ることも大事ですが、それを読んで得た感覚を味わう、言葉にできない感覚を味わうことこそが芸術を受容する醍醐味のような気がします。
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怖いですよね; (ntmym)
2010-06-11 09:10:53
ペーチャさん、こんにちは(^_^)

ほんと、最初に大きく感動すればするほど、次の時が恐ろしくなるものですよね。私はわりと繰り返して作品に触れたがる方ではありますが、それでも時々はやはり恐ろしさを感じます。

感受性が磨かれているのならいいなぁと思いつつ、今回つくづく感じたのは、ある種の作品は私の心を映す鏡のようなもので、心がざわついていると、作品から受ける印象もざわざわとしてまとまりのないもののようになるのかな、ということですね。私はここしばらく落着かないんですの…(/o\;)
作品自体はいつも変らないのに、受け取る方の私はいつも変わっていっているというのは面白いですよね(^_^)
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