半透明記録

もやもや日記

『キャピテン・フラカス』

2012年01月11日 | 読書日記ーフランス

テオフィル・ゴーティエ作 田辺貞之助訳(岩波文庫)



《内容》
あえて訳名をつければ「剛勇任侠の郷士」。時は十七世紀初頭、若き男爵シゴニャックが旅役者の一座に身を投じて織り成す波瀾万丈の大ロマン。(全三冊)


《この一文》
“「幸福の華やかさはわたくしを怖じけさせます。もしあのときあなたがお仕合せだったら、きっとわたくし逃げだしてしまったでございましょう。お庭のなかを、茨の蔓をわけていただきながら散歩しましたとき、野生の小さい薔薇の花を摘んで下さいましたわね。あれはわたくしに下される唯ひとつの贈り物でしたわね。わたくし、あれを胸へおさめるまえに、そっと一粒涙をこぼしましたの。そして、なにも申しあげませんでしたけれど、そのかわりにこの心を差しあげたのでしたわ。」”





入院中にベッドの中で読みふけった長篇。今回もゴーチエ先生の天才をまざまざと見せつけられた感じ。あー、面白いなあ! なんでこんなに面白いのだろう。全3冊のボリュームですが、加速度をつけて読み進められましたね。もう猛烈な面白さでしたよ!

物語の主人公である若きシゴニャック男爵は、名門貴族の末裔でありながら、いまや一族はすっかり落ちぶれて、破れ放題崩れ放題で廃墟同然の館に年老いた従僕ひとりと猫と犬、そして痩せ細った馬とわびしく暮らしている。そこへある晩、嵐によって足止めされた旅芸人の一座が宿を求めてやってくる。パリを目指して旅を続けているという一座の面々から、ここでくすぶっていないで我々とともにパリへ出ないかと誘われた男爵は、貴族の身分でありながら旅芸人に身を落とすのは躊躇われたものの、思いきって新しい世界へ飛び込むことにする。そしてシゴニャックの恋と冒険が始まった。

というお話。シゴニャック男爵と女優イザベルの恋愛模様が中心に描かれます。悪魔的に美しい恋敵ヴァロンブルーズ公爵との激しい鍔迫り合いにはハラハラさせられますし、窮地に追い込まれてはじめて田舎でじっとしてたから誰も知らなかったんだけど実はシゴニャックは剣の達人なんだよねと明かされる中二病的ご都合主義展開にも笑わせてもらったし、どこまでも慎ましくて麗しい男爵と女優の恋の行方を見守るのはとても面白かったです。

が、この物語にはもうひとつ、シゴニャックとイザベルの光り輝く清浄な恋とは対照的に、闇の中で燃え盛り血を噴き上げるように激しい愛の行方も描かれていました。私はむしろそれに夢中になった。いや、このカップルこそがむしろこの物語の核心だったのではなかったかとすら思う。そのくらいに強烈なもうひとつの愛の物語。

そのもうひとつの物語とは、盗賊アゴスタンと相棒である少女シキタのお話です。このふたりの愛の結着には、私は入院中の夜のベッドで思わず声をあげてしまいそうになるくらいに心を打たれました。もしもこの物語の中でシキタについてもっと多く描写されていたなら、私はきっとあの場面でむせび泣いたに違いありません。

 シキタよ、主役はお前だ!!!

シキタという少女は、まだ幼く、ぼさぼさの髪のなかでギラギラと大きな瞳を輝かせ、ひょろひょろした手足をして身にはぼろをまとっています。父親は盗賊で既に亡く、シキタは闇の中を獣のように走り抜けては、愛するアゴスタンの、血にまみれた仕事を手伝うのでした。このシキタとアゴスタンの二人組のキャラクターが異常に魅力的です。私の脳内では完全にアニメーション化されて再生されていました。これはウケる! ウケるぜ! シキタ萌え来るぜ!!

シキタとアゴスタンの登場する最初の方の場面を引用してみましょうか。

 “「ねえ、あたいの好きなアゴスタン、」とシキタが甘えるような口調で
 つづけた。「あの綺麗な人の首を切ったら、あたいに頸飾をおくれよ。」
 「そりゃ、お前によく似あうだろうな。お前のもじゃもじゃな髪の毛や雑
 巾のような襦袢やはげっちょろけのスカートにはまったくうってつけだろう。」
 「あたいはずいぶんあんたのために見張りをして、地面から靄があがると
 きや、露であたいの可哀想な素足がべとべとに濡れるときでも、様子を知
 らせに何度も馳けてきたんだよ。また、熱があって、沼地の縁の鵠のよう
 に歯ががたがた鳴ったり、草叢や藪のなかを匐ってくるのも苦しくてたま
 らないときでさえ、あんたの隠れ家へ食べ物をもってくるのをおくらした
 ことがあるかねえ。」”

シキタからアゴスタンへ向けられる愛情の激しさには震えました。あんなに鮮烈な愛の描写には滅多にお目にかかれません。
殺戮と略奪の中で育ったシキタには闇の魅力が備わっています。暴力と欲望の暗黒の中で、しかし善悪を超えて、なにか純粋で貴いものすら感じさせる魅力が、シキタの瞳にはあるのでした。

私はこのシキタという女の子と出会えたというだけでも、『キャピテン・フラカス』を読んだ甲斐があったというものです。それから男爵の恋敵である公爵のキャラもずいぶんと際立っていましたね。ヴァロンブルーズ公爵はたまらなく素敵! 蛇のように粘着質な暴君キャラでした。その上悪魔のように美しいときたもんだ。それでいて意外と素直で単純。はあはあ…!


さて、これはゴーチエ作品全般に言えることですが、『キャピテン・フラカス』もまたとても視覚的な小説で、鮮やかな世界が目の前にきらきらと展開されていきます。映画でも観ているような盛り上がり方です。1861~63年に書かれた作品ですが、物語が王道をゆくために古典的、ゆえにそれ以上古くもならず、登場人物の生き生きとしたキャラクター付けは今でも十分通用するほどにおそろしく現代的です。何と言ってもシキタ。シキタが凄い! とにかく面白いのです。

それからもうひとつ印象的だったのは、物語のところどころで描かれる豪華な食事の様子です。入院中で病院食に耐えていた私には刺激が強過ぎました。目の前をご馳走が次から次へとよぎっていくのに、手の届かないもどかしさ! あんなに食への欲求が高まったことはこれまでにありませんでした。焼き立ての大きな塊からそぎ落とされた肉片、泡立つクリーム、きらめく煮凝、腹が減ったなあ……と、生ハムやらベーコンやらの幻覚に悩まされて仕方がありませんでした。退院した当日(すでに夜)、帰宅するなり買い置きしてあった生ハムを貪ったのは言うまでもありません。泣くほど旨かった。ゴーチエ先生の筆力の偉大さよ……



というわけで、文句なしに面白い小説でした!







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