大江健三郎 (新潮文庫)
《内容》
性に耽溺し、政治に陶酔する右翼少年の肖像『セヴンティーン』。痴漢をテーマに”厳粛な綱渡り”という嵐のような詩を書こうとする少年と青年Jを主人公に、男色、乱交などあらゆる反社会的な性を描き、人間存在の真実に迫る問題作『性的人間』。現代社会の恐るべき孤独感を描いた『共同生活』。政治的人間と性的人間の交錯の中に、60年安保闘争前後の状況を定着させた3編を収める。
《この一文》
”「きみは明日にでもまた、あの自殺行為みたいな、逃げ道のない冒険をするつもりなのかい? もう、ぼくらみたいな救助者があらわれないだろうと見きわめて?」とJはいった。
「明日? とてもだめだよ、いまおれは疲れているし、また次の冒険を決心するまでにはずいぶん永い間、煩悶することだろうと思うよ。ああ、おれは自殺したつもりが、川底からひきあげられてプー、プーと呼吸を回復した間ぬけみたいな気持だよ。救助者は、その間ぬけが自殺を試みるまでにあじわったさまざまな辛い試練のことは考えてもくれないんだから、微笑して愉しげに救助するだけだからなあ。そしてこの世の地獄の火のなかへひき戻すんだから、ヒューマニズムの火掻き棒で」
―――「性的人間」より ”
” ああ、おれはどうすればこの恐怖から逃れられるのだろう、とおれは考えた。おれが死んだあとも、おれは滅びず、大きな樹木の一分枝が枯れたというだけで、おれをふくむ大きな樹木はいつまでも存在しつづけるのだったらいいのだ、とおれは不意に気づいた。
―――「セヴンティーン」より ”
分量の少ないものから読もうと思い、一番後ろに収められた「共同生活」から読みました。それから「セヴンティーン」を、最後に「性的人間」を読みました。
………うっ、どんどん気持ちが沈んでくる。
順応主義者…自己欺瞞…辛過ぎる。どうして3連休の最初のほうで読んでしまうのか。ほんとうはどれを読むか選ぶときに「これはないな」と思って避けるつもりだったのに、なぜかそのまま読んでしまった。ああー。
性的な問題のオンパレード。痴漢に男色、乱交、マスターベーションとしきりに語られますが、その描写はあまりに痛ましい。私個人としては、痴漢はともかく他のはそこまで悲痛な問題だっただろうかと思ってしまいましたが、まあそれは現代的な発想なのでしょうか。これらの作品は60年代を舞台にしていますし、そのころはそういう時代だったのかもしれません。
そういえば、このあいだ偶然テレビで見た60年代を振り返る映像のなかに、17歳の少年が議員を刺殺した事件を取り上げていましたが、まさか「セヴンティーン」がその少年をモデルにしていたとは驚きました。この作品の第二部にあたる「政治少年死す」というのもあるらしいです。出版はされていないらしいので、読めないのが残念です。「性的人間」も面白かったですが(面白いというのはちょっと違う気もしますが、読む前に聞いていたように「笑える」と思えば思えないこともないかもしれません)、今回は「セヴンティーン」が妙に印象的でした。
性的な表現はあいかわらず強烈ではありますが、もちろん問題はそれだけに止まらず、社会とも深く関わっていくようです。それでもって、とどめなく憂鬱になる。でも、なんでだろう。
読むごとに気が重くなってゆくようですが、しかしここでは止められない。次は『治療塔惑星』、その次は『万延元年のフットボール』を読むとしましょう。
《内容》
性に耽溺し、政治に陶酔する右翼少年の肖像『セヴンティーン』。痴漢をテーマに”厳粛な綱渡り”という嵐のような詩を書こうとする少年と青年Jを主人公に、男色、乱交などあらゆる反社会的な性を描き、人間存在の真実に迫る問題作『性的人間』。現代社会の恐るべき孤独感を描いた『共同生活』。政治的人間と性的人間の交錯の中に、60年安保闘争前後の状況を定着させた3編を収める。
《この一文》
”「きみは明日にでもまた、あの自殺行為みたいな、逃げ道のない冒険をするつもりなのかい? もう、ぼくらみたいな救助者があらわれないだろうと見きわめて?」とJはいった。
「明日? とてもだめだよ、いまおれは疲れているし、また次の冒険を決心するまでにはずいぶん永い間、煩悶することだろうと思うよ。ああ、おれは自殺したつもりが、川底からひきあげられてプー、プーと呼吸を回復した間ぬけみたいな気持だよ。救助者は、その間ぬけが自殺を試みるまでにあじわったさまざまな辛い試練のことは考えてもくれないんだから、微笑して愉しげに救助するだけだからなあ。そしてこの世の地獄の火のなかへひき戻すんだから、ヒューマニズムの火掻き棒で」
―――「性的人間」より ”
” ああ、おれはどうすればこの恐怖から逃れられるのだろう、とおれは考えた。おれが死んだあとも、おれは滅びず、大きな樹木の一分枝が枯れたというだけで、おれをふくむ大きな樹木はいつまでも存在しつづけるのだったらいいのだ、とおれは不意に気づいた。
―――「セヴンティーン」より ”
分量の少ないものから読もうと思い、一番後ろに収められた「共同生活」から読みました。それから「セヴンティーン」を、最後に「性的人間」を読みました。
………うっ、どんどん気持ちが沈んでくる。
順応主義者…自己欺瞞…辛過ぎる。どうして3連休の最初のほうで読んでしまうのか。ほんとうはどれを読むか選ぶときに「これはないな」と思って避けるつもりだったのに、なぜかそのまま読んでしまった。ああー。
性的な問題のオンパレード。痴漢に男色、乱交、マスターベーションとしきりに語られますが、その描写はあまりに痛ましい。私個人としては、痴漢はともかく他のはそこまで悲痛な問題だっただろうかと思ってしまいましたが、まあそれは現代的な発想なのでしょうか。これらの作品は60年代を舞台にしていますし、そのころはそういう時代だったのかもしれません。
そういえば、このあいだ偶然テレビで見た60年代を振り返る映像のなかに、17歳の少年が議員を刺殺した事件を取り上げていましたが、まさか「セヴンティーン」がその少年をモデルにしていたとは驚きました。この作品の第二部にあたる「政治少年死す」というのもあるらしいです。出版はされていないらしいので、読めないのが残念です。「性的人間」も面白かったですが(面白いというのはちょっと違う気もしますが、読む前に聞いていたように「笑える」と思えば思えないこともないかもしれません)、今回は「セヴンティーン」が妙に印象的でした。
性的な表現はあいかわらず強烈ではありますが、もちろん問題はそれだけに止まらず、社会とも深く関わっていくようです。それでもって、とどめなく憂鬱になる。でも、なんでだろう。
読むごとに気が重くなってゆくようですが、しかしここでは止められない。次は『治療塔惑星』、その次は『万延元年のフットボール』を読むとしましょう。
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