半透明記録

もやもや日記

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『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

2012年05月25日 | 映像(アニメーション)

 2011年 全11話

原作:超平和バスターズ
監督:長井龍雪
制作:「あの花」製作委員会(アニプレックス、フジテレビジョン、電通)



《この一言》
“あの季節に咲いた花は
 何て名前だったんだろう? ”





変わらないままで、進むことは可能なのだろうか。



最初から悲しい話になるだろうとは分かっていましたから、私は泣きませんでした。泣きませんでした。そんなには。それよりもただ胸がキリキリと痛むようです。あの時にも、あの時にも、またあの時にも置き去りにしたままの悔いを、過ちを、罪悪感を、詫びる言葉もすべもないとしたら、どうしたってそれ以上進むことなんてできるはずがないではないですか。すべてが過ぎ去ってしまったのに。

でも、もしもチャンスを得られたら?


登場する5人の少年少女たちは、高校生になった今も、過去のある時点に縛られたまま。それはかつて「超平和バスターズ」が6人だった時、めんまという女の子が死んでしまったあの日。残された5人はそれぞれの思いを抱えながらも成長し、それぞれの問題を持て余しながら、今では皆がバラバラに過ごしている。そんな高校1年生の夏、「超平和バスターズ」のリーダー格で今は不登校中の仁太(じんたん)のところに、死んだはずの芽衣子(めんま)が自分と同じように成長した姿で現われて「願いを叶えてほしい」と言うのだが……というお話。

めんまの願いは何なのかを探る仁太を中心に、離れていた「超平和バスターズ」の面々も次第にまた集まるようになります。そうして全員で、めんまの願いを叶えてやろうとするのですが、めんまの姿は、どうしてか仁太にしか見えない。どうしてだろう。どうしてだったんだろうな。仁太だけでなく、ほかの誰もが皆めんまのことが好きだったし、めんまに対して言いたいことがあったというのに。どうして。

どうしていずれは別れるのを知りながら出会わなければならないのか。どうして分かり合えないままで別れなければならないのか。どうしてせめて思いだけでも伝えたいと願うのか。そしてそれが叶わないのか。それなのにどうしてそんなことをしなければならないのか。どうして、なんのために、我々は出会い、そしていつか決定的に別れたあとにまだ取り残されて、そのまま生きなければならないのか。どうして、どうやって。すべてが過ぎ去ってもここに取り残されようと選択しているというのに、どうして時は、その思いごと押し流そうとするのだろう。そして押し流されるまま少しずつ忘れてしまうのは、どうして。


だめだな。『あの花』はきっと美しい物語だったと思うけれど、悲しすぎる。どうしたらいいか分からない。ただ、「めんまが見えない」「めんまを見ることはできないけれど」というところから、何か掴めそうな気はする。…と思ったけど、やっぱだめだな。

ああ、でも、もしもこんなチャンスが与えられたらなあ。どのみち別れなければならないとしても、こんなふうに別れることができたらなあ。そしたら、すべてが過ぎ去っていくここで、でも押し流されたりせずに、変わらないままで進むことができるのかもしれない。思いと願いの全部と、ここにあったかもしれないものがないという空白を見つめたままで、進むことができるのかもしれない。どうかな。でもそう思いたい。


『あの花の名前を僕達はまだ知らない。』。この長いタイトルがいいですね。

「まだ知らない」

私には、どうして、どうして、とそればかり浮かんでしまいはしましたが、それでもやっぱりこのタイトルの通り、希望を感じさせる物語でありました。

僕達はまだ知らない。でも、いつかは。いつかはそれを知ることができるのかもしれないでしょう?


ああ、夜が明けそうだ(現在午前4時半)。1年越しで『あの花』をようやく観て、あーでもないこーでもないと唸っていたら、夜が明けそうです。時が流れている。明け方の空を見るたびにそれを感じます。ずいぶんと押し流されてしまってもう何が何やら分からないのだけれど、それでもこうして時が流れて、私もその「いつか」に近づいているんだったらいい。