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『蜘蛛女のキス』

2012年05月19日 | 読書日記ーラテンアメリカ

マヌエル・プイグ 野坂文昭訳
(集英社版ラテンアメリカの文学16)




《内容》
おまえは蜘蛛女、男を糸で絡め取る。特命を持ったホモセクシアルの男は、テロリストの青年に近づいていった……。プイグが描く異端の愛。
少年時代から映画に夢中だったプイグは、22歳でイタリアへ留学。映画の勉強を始めた。しかし映画製作の権威主義に絶望。シナリオを書き始める。映画、フォトコミック、推理小説などの大衆文化的なメディアのパロディ形式の小説はいずれも好評である。


《この一文》
“「幸せを味わってるときが素晴しいのはねえ、バレンティン……それがいつまでも続きそうな気がすることなの、惨めな気持になんて二度とならないみたいな」”





初めてプイグを読みました。有名な『蜘蛛女のキス』です。プイグはアルゼンチンの作家であり、ラテンアメリカ文学に興味のある私としてはいつかは読もうと思っていましたが、とうとう読みました。
『蜘蛛女のキス』については、有名作ということもあっていくらかの予備知識というか、イメージがありました。それで、これはきっと悲しい結末になるのだろうと予想して読んでみたら、やっぱり悲しい結末でしたね。でも、悲しいというだけではなかった。悲しいというだけではなくて、何か胸がざわざわとする。このざわつきは何だろうかとしばらく考えてみましたが辿り着けなかった。

しかし、訳者によるあとがきを読んでいると、このようなことが書かれてあります。

 つまり、二人は〈搾取的性愛〉を乗り越えることが
 できなかったがゆえにこの物語は、メロドラマであ
 ると同時に悲劇なのである。

なるほどなあ。分かったような、分からないような。しかしこれは大きなヒントになりそうですね。


さて、『蜘蛛女のキス』の主人公は二人。二人とも同じ監房に収容された受刑者であり、ひとりは同性愛者のモリーナ。もうひとりは革命運動家のバレンティン。

モリーナはバレンティンに様々な映画の筋を話して聞かせるのですが、そこがとても面白い。小説の中でさらにいくつかの映画が物語られるのです。モリーナの語る映画の内容は、非常に視覚的で美しく詳細に描写されていて、実際に映画を観ているような気持ちにさせられます。私は『甦るゾンビー女』の話が好きでしたかね。ここで語られる映画のいくつかは現実に存在する映画を元にしているそうで、『黒豹女(Cat People)』は私も昔観たことがあるような。

物語の大部分は、閉ざされた監房で過ごすモリーナとバレンティンの会話によって成り立っています。モリーナとバレンティンの動作についても、すべて会話から推察されるようになっています。誰々が~~した、という説明書きはありません。
また、途中にはモリーナと刑務所長とのやり取りがシナリオ形式で、モリーナの行動を監視する内容が記録形式で、さらに第1部と第2部の終わりに長大な注釈(読むべき注釈として)が付いているという、ちょっと特徴的な構成になっています。モリーナが映画の内容を語るその作品自体も映画のように見えてくるのが面白いですね。全体的に非常に視覚的であり、会話に終始するためかとても直接的な感触のある作品だったかと思います。


とにかく、とても読みやすく、あとに奇妙な余韻を残す物語でありました。愛。抑圧からの解放。ほんとうに自由に、幸福になるためには、私たちはどんなふうであったらいいのだろう。男性性、女性性、内と外、これは私たちをはめこんでいる枠だろうか。私たちの行動を左右し決定するのはその枠組みだろうか、私たちの心を動かす事柄もその枠組みがなければ違ったふうにあらわれるようになるのだろうか。誰からも奪わず、奪われず、そんな人間関係を構築することは可能だろうか。そしてまた枠組みと役割とをどう区別したらいいのだろう。

一気に読んでしまえばよかったのに、細切れに少しずつ読み進めてしまったことが悔やまれます。モリーナとバレンティンの、映画以外のことで交わされるわずかな言葉の中には、とても印象的なものがいくつかあったので、ひとまずはそれを挙げておくことにしましょう。考えるのは、またいつか。


“希望を失うことほど恐ろしいことはない、ところがおれはそうなってしまった……自分の裡にある拷問器が、もうすべては終ったとおれに言うんだ、このあがきはこの世で経験する最後のことだと……おれはキリスト教徒みたいだ、あの世があるようなことを言ってる、実際にはありもしないのに、そうだろう?……”

“ああ、ずっと考えてたんだ、そのことをね。あんたがおれに対して寛大なのが……気に障ったとすれば、……それは、おれもあんたに対して同じ態度を取らされるのがいやだったからなんだ ”

幸せを味わってるときが素晴しいのはねえ、バレンティン……それがいつまでも続きそうな気がすることなの、惨めな気持になんて二度とならないみたいな ”