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もやもや日記

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『死者の軍隊の将軍』

2010年04月26日 | 読書日記ー東欧

イスマイル・カダレ著 井浦伊知郎訳(松籟社)



《あらすじ》
戦争が終わって20年という年月が過ぎてようやく、かの地で戦死し埋葬された兵士たちの遺骨を掘り出すために、将軍はアルバニアへと派遣される。死んだ兵士を母国に連れ帰るという崇高な任務を果たそうと努力するものの、思ったようには捗らず――。


《この一文》
“ そうだ、こんなわけで、私は自分のただ一つの持ち物をあげてしまった。どうしてあれが私に必要だろう? 私は失われた、失われたのだ。私は生きていて、そして失われたのだ。死んだって、どうして私を見つけ出す必要があるだろう? ”





1963年に発表された小説。前に読んだ『夢宮殿』(1981年)よりも古い作品のようです。いずれにせよ、私はまだ3作品を読んだだけですが、カダレの作品世界は、どうにもこうにも閉塞感が強くて気が沈みます。読み進めるにつれて、息が詰まってくるようです。

死の影に覆われた物語。死の影がどんどん大きくなる。戦時ではなく平時にある将軍は、かつての敵地アルバニアで、死んだ兵士の膨大な数の遺骨を掘り出さねばなりません。遺族の大きな期待を受けて、栄光に満ちた任務を遂行しようとする将軍ですが、同行の司祭とも折り合わず、作業も思ったほど進まず、陰鬱なアルバニアという土地を、死者のリストの紙束を抱えて彷徨います。

図書館で借りてきて、返却日が迫ってから大急ぎで読んだために、どうにか読み終えたものの、分かったような分からないような。うーむ。どういうことを読みとるべきだったのでしょうか。何か読みとるべきものがあったに違いないのですが、それが何なのか分かりません。

死んで20年も敵地に埋まったままだった兵士たち。
彼らを識別する認識表、それぞれの身体的特徴をまとめたリスト、将軍に寄せられる遺族からの声また声。
少しずつ掘り起こされ、はじめは分隊ほどが、しまいには一師団までに膨れ上がる死者の軍隊。
しかしその中で、どこかに埋まっているはずなのに、見つからないZ大佐。


物語の中のアルバニアは、外国人である将軍の目を通して描かれますが、将軍が遺骨を探してばかりいるせいなのか、どの顔を見てももその下の頭蓋骨を思ってしまう。アルバニア人は銃と切り離せない生活を送り、復讐のために生きるような民族で、滅びを約束されているのではないか。小さな国の閉塞感が、出口のない迷路をさまよう息苦しさが、重く描かれています。


かつてアルバニアで戦闘があって、その地で、将軍の国の兵士も、アルバニア人も、その他の国の兵士も(将軍以外にも別の国の軍人が、やはり兵士の遺骨を発掘に来ている)、大勢の人間が死んで土に埋まっている。
なんのためなのか。
なんのために争ったのか。そして互いに殺し合って埋葬されたあとになって、今更掘り起こして故国に帰属させる、その意味はなんなのか。


『夢宮殿』もそうでしたが、一度読んだだけではよく理解できそうにありません。手がかりはあちこちに示されているような気がするのに、それをどう結びつけたらいいのか、私にはまだ分からないのです。
出口が見つからない迷路。これまで読んだ2作品に共通するイメージですが、この暗い幻想によって、カダレはいったい何を描こうとしているのでしょうか。悲しみか、怒りか、諦めか、それとも全然違うなにか別のものか。
ほかの本も読んだら、少しは近づけますかね。