半透明記録

もやもや日記

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私は遅れてやってくる

2010年04月06日 | 学習




どうして僕は僕で
みんなの好きな誰かじゃないんだろう

誰でもない僕は、誰にも愛されない

一番消したい自分だけが残る


―― ergo proxy ――








もう2、3年くらい前のことかと思いますが、私は自分の興味の向くままにネットの中を彷徨っていて、偶然、この【半透明記録】へのリンクとともに私への揶揄…というか、ひとつの評価が記されている場所を見つけました。驚きました。が、同時に、ネットというのは面白いなと私はつくづく思ったものです。


私はここで、これを誰がどんなふうに読んでも構わないと思って、更新を続けています。私が何かに対してさまざまな感情を持つことを止められない以上、誰であっても私の文章に対してどんなふうに思ったって構わないのです。だから、誰かが私を、私には若干受け入れがたいように評価していたとしても、それは別に構わない。直接言ってくれれば面白かったのにな、とは思うものの、私は別にそれに対して特に反論しようとは思いません。私の知らぬところで書かれているなら尚更です。それに、書かれていたことはほとんど事実であって、私に反論の余地もありませんでしたし。
まあ、そこに書かれていた限りでは、私のこういう態度自体が気に障るようではありましたが。議論を許さないような雰囲気。ある友人は私のブログを「棘がないよね」と言ってくれましたが、要するに、そういうことです。私は卑怯なのかもしれません。
ひと言お断りしたいことには、私があの記述のことを、あれを書いたご本人の了解を得ずにこの場所へ書くことを許してほしいということです。まあ、お互い様ということで。というより、私はそれが誰であったのかを知らないのです。知る術もない。でも、もしかすると何かの偶然で、これがその方の目に触れることもあるかもしれないので、念のため。


さて、そこは文学作品について語る場であったらしく、私のブログはそこでほんの一瞬だけほぼ匿名の誰かの話題に上がって、その人は私を「スノッブ」だと評していました。「スノッブ」とはなんぞや、とアホな私は即座に分からなかったために、その言葉の意味は後になってやってきたわけですが、要するに「私は俗物である」と。ええ、そうなんですよ。あらためて他人の口から言われると驚きましたが、私はいつだってそうなんですよ。私はたしかにどうしようもなく俗物であるのですが、自覚していながらも、そのことには我ながら少しばかりの悲しみが湧いてこないこともないながらも、それは私の力ではどうしようもない。変えられそうにありません。

スノッブであるだけでなく、知識も足りてなさそうというようなことも書かれてあったかと思います(既にはっきりとは思い出せませんが)。そうなのです。私には知識だって、理解力だって、全然足りていないんですよ。いつだって私よりもずっと先に行く優秀な人達が大勢いるのです。文学作品にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、それが何にしろ、私よりもずっと早くからそれを愛し、深く理解し、守っている人がいるのです。私はいつだって遅れてその場へやってくる。いつだって何も知らないで。いつだって、ただ無闇に感激するばかりで――何も分からないくせに、ただ感情があるだけで。


私はいつだって遅れてやってくる。この遅れを取り戻すことはきっと私には出来ないでしょう。私には追いつけない。作品に追いつくことも、作者に追いつくことも、それらを愛する誰かのレベルに追いつくことも、出来ない。そうであるならば、私が今更それらに触れることにいったいどんな意味があるのでしょうか。今更私がそれらに触れて、感激したとして、その感激は私にとっては新しいものだとして、だからって何か意味がありますか。誰かの得になりますか。得になるかもしれない、誰かきっと分かってくれるだろうと期待して、私はそれまで私の感激をあらわにすることを疑いもせずに続けていましたが、そんなことに意味がありましたか。今更。もう語り尽くされていることかもしれないというのに。私は何も知らないくせに。私には何も分からないくせに。


この疑惑が、もうずっと私から去りません。止めてしまいたくなることもあります。それでもなお、私はここに書くことを止められません。どうしてだか分かりません。自分自身のために書くだけならここに公開しなくてもいいはずが、それは出来ません。では誰のために書いているのか。誰かが教えてくれると、分かってくれる人があらわれると期待しているのか。分かりません。何も分かりません。分からないことを分からないまま、でも湧きあがるものを抑えられなくて、そしてそれが何かの目印になりはしないかと思って、今日も書いています。

私はいつだって、何も持たずに遅れてそこへ辿り着くのですけれど、今のところ私にはこれ以外の道を見つけられないでいます。
私は追いつけない。いつだって、何もかもが遠くにあるのです。遠くに。私の知らぬところに。でも諦められなくて。「お前なんかに何が分かる」と言われても、少しでも近づきたくて。それだけなのです。ただ、それだけなのです。誰が何と言おうとも、私には私の感情だけが重要なのです。他人のことを知りたがりながら、そのくせそのどんな言葉にも構わない、知りたいことだけ知ろうとする、耳を塞いで、目を閉じたままで、私は愚かで取るに足らない奴かもしれない。けれど、私は私を止められそうにありません。これは、私がそうありたいと私自身に望む前向きな発想ではないでしょう。でも私は別に卑屈になっているというわけでもないのです。私は、私は、私は、私は、私は、もううんざりですが、止め方も、私には分からないのです。そしてこれを許してくれとも言えない。誰に何を許してもらえると言うのか。誰が、何を? 分からなくて苦しい。




堂々巡りで周回遅れ。ああ、どうしようもないね。
書き捨てたような文章を残しておきたくはないのですが、たまには。