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『フランス幻想小説傑作集』

2008年07月05日 | 読書日記ーフランス
窪田般弥・滝田文彦=編(白水社)




《収録作品》
州民一同によって証言された不可解な事件(D=A=F・ド・サド)
不老長寿の霊薬(オノレ・ド・バルザック)
オニュフリユス(テオフィル・ゴーチエ)
狼狂シャンパヴェール(ペトリュス・ボレル)
白痴と《彼の》竪琴(グザヴィエ・フォルヌレ)
悪魔の肖像(ジェラール・ド・ネルヴァル)
ヴェラ(A・ド・ヴィリエ・ド・リラダン)
オルラ(ギ・ド・モーパッサン)
ミイラ造りの女たち(マルセル・シュオッブ)
仮面の孔(ジャン・ロラン)
クレダンの竪琴(ジョゼファン・ペラダン)
鏡の友(ジョルジュ・ロデンバック)
静寂の外(クロード・ファレール)
沖の娘(ジュール・シュペルヴィエル)
秘密の部屋(アラン・ロブ=グリエ)
怪物(ジェラール・クラン)

《この一文》
“抽象の世界での長い瞑想やら彷徨のために彼はこの世のことに心を配る暇がなかった。頭は三十歳だが、身体は生後六カ月だった。自身のけだものの調教を全く怠っていたから、ジャサンタと友人らがうまくこれを導いてやらなかったら、とんでもない大失策をしでかしたにちがいない。
  ――「オニュフリユス」(テオフィル・ゴーチエ) ”

“「法律よ! 貞潔よ! 名誉よ! お前たちは満足だろう。さあ。お前たちの獲物を手にとるんだ。野蛮な世間よ、お前がのぞんだのだぞ。さあ、みてくれ。これがお前の仕業なんだ。お前のやったことだ。お前のいけにえに満足かい? いけにえになった者どもを見て満足かい?……」
  ――「狼狂シャンパヴェール」(ペトリュス・ボレル) ”

“「……この愛に籠もりきりの生活、片時もやむ閑のないこの差し向かいの生活には、なにかいわくありげなものがありました。なにしろ世間一般に見られるものと大違いだったものですから、だれもかれも田舎者の本能で、いまにきっととんでもないことが起こるにちがいないと考えておりました。幸福というものは、いつでもこの世では招かれざる客ですから」
 司祭はすぐに、いまのその言葉を取り消した。
 「もっとも、人間の情念から幸福が生まれうるとしての話ですがね」
  ――「クレダンの竪琴」(ジョゼファン・ペラダン) ”



あとがきによると、ここに収められたのは『フランス幻想文学傑作選』(全3巻)と、『現代フランス幻想小説』から選ばれた作品だそうです。道理で。読んだことのあるものがいくつかありました。「ヴェラ」は岩波文庫の『フランス短篇傑作選』にも入っていたし。
私はいずれ現在は絶版のこれらの本も入手する予定なので、そうなると内容が重複してしまいますが、この『フランス幻想小説傑作集』は持ち歩くにはよい大きさなので良いのです。

さて、どの物語について書こうかおおいに悩むところです。どれも非常に面白かった。どうしてこんなにも面白いのでしょうか。私はこの豪華絢爛な描写が好きなのでしょうか、それともこの独特に屈折したような主人公および作者の思念に魅せられるのでしょうか。美への憧憬であれ、この世への憎悪であれ、なにか燃え盛るようなものがあるにはちがいありません。


上に引用したゴーチエの「オニュフリユス」は、解説によると1830年ころの過激なロマン派青年を描いた『若きフランスたち』からの一篇だそうです。現実と幻覚との区別を失った芸術家青年の狂気と破滅を物語っています。恐ろしいです。

そして、その次に収められているのがその《若きフランス派》の一員だったというペトリュス・ボレルの「狼狂シャンパヴェール」。このあたりの編集が親切ですね。そしてこの物語では、なるほど作者は過激なロマン派だったのだろうことが伺えます。ただで読み過ぎることなど不可能です。生や幸福、世間、人生、神などへの憎悪が炸裂しています。すさまじい勢いです。今回の読書では、これが私にはもっとも強烈な一篇だったかもしれません。解説に見るこの人の実人生も気の毒。……うーむ、破滅か。人生とはいったい何なのだろう。罪とは。


読み終えてわなわなと感激に震える私を見たK氏から「ああ、君ってああいうひねくれたのが好きだもんね」と断定されました。彼はまったくの未読だというのに「ああいう」とは「どういう」ことだと思いましたがおそらくその他のフランス小説集を思い起こしてのことでしょう、たしかにそれらの作品にはどこかしらひねくれたところはあるようですし、私がそういうところに惹かれやすいのもまた事実。なるほどなーと納得してしまいました。

幸福? 人生? それが何だって言うの?

と毒を吐き散らしながらも、その実内心では狂おしいほどに何か確かなもの、意味を約束してくれるものを求める人々を、私はここに見たいと思っているのかもしれません。まったくフランス小説には燃やされるようです。