半透明記録

もやもや日記

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この記事の下の3つの記事は…

2006年09月25日 | もやもや日記
友人のおめでたい結婚式に招待されたことに関して、いろいろと書いてみました。あの日、ご一緒させていただいた方々にも、その他の方々にも、私がいかに感動したかということが伝わるとよいと思いまして。そのまえに、私自身ための記録として、ぜひとも残しておきたいと思いまして。ご当人のお許しも出たので、長々と書き連ねてみました。

全部で「9月23日はテニスの日」「鳥のうた」「電車に乗ると」の3つの記事になりました。よろしければ、どうぞごらんください。

9月23日はテニスの日

2006年09月25日 | もやもや日記
9月23日に、私の大切な友人である Akikoさんが結婚しました。相手はこれまた私の大切な友人である I氏。それぞれに幸せになってほしかった友人が同時に幸せになったので、私はとても嬉しい。ほんとうに、おめでとう。

挙式は新横浜のあたりで夕方から開かれました。とても素敵な会場でした。風が強く、大阪に比べるとだいぶ寒かったですが、暗くなると、星がいくつか輝いていました。ふたりとも、見たことがないような美しい白い姿で私の目の前にあらわれたので、驚きを隠せませんでした。ふたりとも非常に幸せそうであります。

その後、披露宴となりました。会場は、ふたりらしく、こじんまりとしていますがとても素敵なところです。宴席の手前に小さな庭のようなスペースがあり、そこに小さなテニス・コートが設置されていました。ふたりは私が大学時代に所属していたテニス・サークル(この記事をごらんの方のなかには、全面的にインドア派の私が何ゆえテニス・サークルに所属していたのか不思議がる方もいらっしゃるでしょうが、理由は私にもわかりません。しかしとても愉快な楽しいサークルでした)の仲間なのです。式の当日の昼にまでテニスをしてくるという救い難いテニス馬鹿の彼を尊重した演出があちらこちらになされている、実に彼女らしい披露宴でした。まずはこの庭で、みんなが乾杯したあとで、宴席のほうへ移動となりました。新郎と新婦が入口で、ひとりひとりを出迎えてくれます。そのあたりも、実にかれららしい。

披露宴の冒頭で、私は新郎、新婦共通の友人を代表してスピーチを読みました。私は自分があれほどアガリ症だとは、知りませんでした。原稿を読み上げるだけなのに、ほとんど何を言っているのかわかりませんでした。というか、原稿そのものが何を書いてあるのか、新郎、新婦以外の方々にはさっぱりわからない内容でした。しかも、自作の物語を読みあげました。なんてことだ。こんなことになって、ごめんね。原稿をおこしている時点ですでにアガッてましたのよ。それに、いまにも泣いてしまいそうだったので、その原稿の内容も、だいぶハショッて読み上げましたのよ。ごめんね。言い訳終了。(スピーチ内容の詳細は、下の記事「鳥のうた」参照のこと) そんな惨澹たるスピーチを、それでも、ふたりはちゃんと聞いてくれました。Akikoさんは前かがみになって揺れていたので、爆笑していたのかと思ってましたが、どうやら泣いていたそうです。私ははげしく緊張していて、よく見えてなかった。ちらっと見た限りでは、I氏のほうは、いつものように、笑って聞いてくれていました。それだから、私はきみたちが好きだ。私を許してくれて、優しくしてくれて、ありがとう。いつもそれに甘えるばかりで申し訳ない。ということも、本当は言いたかったのですけれど。

大緊張のスピーチを終えて、これでようやくご馳走にありつけるというものです。おいしい。おいしい。でも、緊張しすぎたせいか、いつもの調子が出ず、最後のお料理を食べ損ねてしまいました。無念。デザートは、ふたたび庭のほうに選り取りみどりに並べられていて、まるで夢のようでした。おいしかったー。

お祝いに集まった方々は、つぎつぎとふたりにお祝いとして色々な言葉や、歌や、踊りをお贈りになります。ふたりも、一生懸命にそれを受け取って、それにこたえるべく頑張ってもてなしてくれました。ほほえましい、優しい、美しい、幸せな宴会でした。



二次会も楽しかった。あんなに笑ったのは、ひさしぶりです。終電を過ぎるまで騒いで、疲労の極限にあった I氏とAkikoさんに横浜まで車で送らせちゃって、ごめんね。Aちゃんも、私に付き合って、朝まで漫画喫茶なんかで過ごさせちゃって、疲れてたのにごめんね。私ってやつは……。いつもありがとう。
それから、披露宴のとき、余興の準備で席を外してらした A木さんや、お仕事で披露宴にはいらっしゃれなかった K木さんが、聞けなかった私のスピーチを聞きたがってくださったり、その訳のわからないスピーチを、わからないなりにあの場にいらしてた方々が一生懸命に聞いてくださったことは、とても嬉しいことでした。ありがとうございました。
私は、I氏と Akikoさんが幸せなところを見にいった先で、私自身もそうとうに恵まれていて幸せであるということを知って帰ってきました。
翌朝の空が、私がスピーチで読んだように青く高く澄んでいたので、私は青春のかけがえのなさや、その美しさが今も続いている幸運や、それがこれからも続いてゆくだろう希望に、涙が出ました。


ところで、Akikoさんと I氏は、披露宴に出席した人たちのひとりひとりにメッセージ・カードをくださいました。スピーチを読んだ私には、こんなコメントが。

「今日は物語を朗読してくれて、ありがとう。今まで、私の知らない世界観をたくさん垣間見させてもらってきたのに、ほとんど返せてないね。これから新しい生活の中で見つけられたら、報告します」

いいえ。それは違います。あなたや、あなたがたが、私に関わってくださってはじめて、私のまき散らす感情の断片を丁寧に拾ってくださってはじめて、私の言葉が意味を持つのです。もらっているのは、いつも私のほうなのです。これからも、どうぞよろしく。

鳥のうた

2006年09月25日 | もやもや日記
(友人の結婚式のためのスピーチを、お許しを得たうえで掲載しておきます。言うべきことは他に沢山あったはずだと思うのですが、こんなことに…。ほんとうに申し訳ない。でも、少なくともきみたちふたりに喜んでもらいたくて書いたのは本当です。言い足りなかったことは、またいつか別の機会にでも言わせてください)


********************

 本日はまことにおめでとうございます。
 新郎および新婦共通の友人を代表して、御祝いの言葉を述べさせていただきます。しかしながら、わたしは長く話すことが苦手ですので、きょうは、みじかい物語を朗読させていただこうとおもいます。わたしと、おふたりとの三人が共有する、ある思い出をもとに書きました。私は喜んで読みますので、どうか楽しんで聞いてください。タイトルは「鳥のうた」といいます。それでは。



         《 鳥のうた 》



 季節は春です。森にすむ鳥たちは、春の喜びに浮かれて、仲良く飛びまわっています。胸を柔らかく美しい赤い羽毛でおおわれた小さなコマドリも、鳩やツバメ、尾長やカモメ、スズメや雷鳥と楽しげにさえずりを交わしました。

 夏のある朝、小さなコマドリは、気難し屋の雷鳥と強気なカモメとともに、森の向うの海岸におりたちました。三羽の鳥たちは、前の晩から降っていた雨が上がったばかりで、濡れて冷たい砂浜をはしゃぎまわります。そうするうちに、太陽が昇り、海の上に美しい大きな虹がかかりました。気難し屋の雷鳥は、虹に向かって飛び出そうとしました。「虹の足には、財宝が眠っている」という伝説を信じていたのです。
 それを見たカモメは、光の秘密を教え、虹というのは追いつけるものではないことを雷鳥に言いきかせますが、気難し屋の雷鳥は納得しませんでした。それどころか、カモメの言うことを聞いて、なにかをひらめいたようすの雷鳥は、こう言います、「自分はこれからあの虹に向かって飛ぶよ。きみたちはここにいて、それを見ていてくれる? そしたら、少なくともきみたちの眼には、わたしが虹の根元に辿り着いたように見えるんじゃないだろうか」
 カモメは、あきれましたが、結局は黙って見ていることにしました。コマドリは、雷鳥がそんなことをやりたがるのには馴れていたので、やはり黙って見ていました。ふたりとも優しい鳥だったのです。

 雷鳥はふたりの友人を浜辺に残し、どんどん沖のほうへ飛んでいきました。飛んでも飛んでも、やはり虹にはすこしも近づきませんでしたが、そろそろいいだろうかというところで、雷鳥が振り返ると、遠い砂浜でふたりが手を振っているのが見えます。どうやら思ったとおりになったようです。それで、気難し屋の雷鳥は満足そうにゴロゴロと鳴きながら、ふたりのもとへ帰りました。コマドリとカモメは優しかったので、さすがにすこし恥ずかしそうにしている雷鳥をからかいもせず、「ちゃんと虹のなかにいるように見えた」と言ってあげたのです。三羽の鳥は一緒になって笑いました。雷鳥はその朝のことをいつまでも忘れませんでした。


 季節はそれからいくつも過ぎ去っていきました。森の鳥たちは、いつしかそれぞれが目指す方向へと飛び立ちました。小さなコマドリも遠くの空を飛んでいます。木にぶつかって羽根を折ったり、蜂にさされることもありました。時には夜の闇のなかを、あるいはくちばしの先も見えぬ程に濃い霧のなかを、方向も失って、孤独と不安におののきながら飛ぶこともありました。それでもコマドリはとにかく飛びつづけたのです。

 そうして、また春になり、長いあいだ飛びつづけたコマドリは、いつしか故郷の森へと帰っていました。森には昔の仲間の鳥たちの姿もちらほらと見えます。みんなそれぞれに成長しているようでした。コマドリは懐かしい森を訪ねて歩きます。森の中心からすこし離れたところに、コマドリがそれまで何度か行ったことのある小さな泉があります。そこに、カモメが休んでいるのが見えました。泉のほとりで、ふたりは再会を喜び合いました。過ぎてしまったいつかの季節がまたすぐによみがえったように思えました。
 しかし、かれらは変わらないように見えて、やはり変わっていました。ふたりとも遠いところを旅して帰ってきたところなのです。かれらはそれぞれが見たり聞いたりしたことや、自分がどれほど成長したかということを確認しあいました。カモメは前よりも力強く旋回してみせました。コマドリは前よりもはやく羽搏けるようになっていました。ふたりはそれを喜んで、ぐるぐると森の木々の上を飛び回ったのでした。

 二羽の鳥がそうやってまた森で楽しく暮らし始めたある日、コマドリは泉の底に、なにかきらきらと光るものを見つけました。それは、見たこともない美しいものです。コマドリはそれをそっと指差して、カモメにしめしました。それを見てカモメも「美しい」と言いました。カモメはコマドリのために、その光るものを泉の底から掬いあげました。ふたりがそれを覗き込んで、きらめきの奥に見たのはなんだったのでしょうか。
 かれらは、そこに同じものを見ました。そして、コマドリはカモメとであれば、カモメはコマドリとであれば、きっとそれを見つけられるだろうことを知ったのです。



 季節が秋に変わるころ、夕暮れの森には鳥たちが大勢集まっていました。そして森でもっとも高い木の上には、二羽の鳥がとまっています。それはコマドリとカモメでした。かれらはこれから飛び立つところなのです。そのまえに、ふたりのために祝宴がひらかれようとしているのです。
 その夜は、空には星が明るくかがやいていました。鳥たちがうたう祝福の歌は森中に響き渡り、明け方まで途絶えることがありませんでした。

 夜が明け、白みはじめた空を、二羽の鳥が仲良く飛んでいきます。ふたつの影の小さいほうの胸のあたりに、なにかきらきらと光っているのが、ふたりを見送るすべての鳥たちに見えました。みんなが祈ります。コマドリとカモメの行く先がどこまでも美しく豊かでありますように。

 見送りの列のなかから飛び上がって、雷鳥は大きく手を振りました。あの朝の海岸でのように。今度は雷鳥がふたりに手を振ったのです。虹はかかっていませんが、飛び立ったふたりに虹は必要ありません。ふたりは、雷鳥にこたえて、くるりと一回だけまわりました。
 そのときちょうど昇ってきた朝日が、かれらの羽根を美しく照らしだしました。コマドリとカモメは高く、楽しげに飛んでいきます。

 森の鳥たちは大合唱で、晴れ渡った空へと、ふたりを送りだしたのです。


 (おわり)




 さて、あの朝、気難し屋のわたしが追いかけたのは実際には虹ではなく海から昇る太陽の光でありましたが、わたしがふりかえって見たのは、きみたちふたり。そのとき、友情は朝日よりも美しかったものです。他ならぬそのきみたちふたりが、あのころは予想もしなかったけれど、これからは一緒に歩いてゆくというので、わたしは、人と人とが出会うことの不思議とその美しさというものを信ずることができるようです。

 どうか望むように飛んでいってください。きみたちがどこへ行くのか、わたしは楽しみに見ています。手を振ってほしければ、いつでも振りましょう。どうか、きみたちの行くさきが豊かで美しいものでありますように、変わらぬ友情をこめて、きょうはほんとうにおめでとう。

****************



《付録》 : 「運命の輪」

およそ1年前にも、私は↑こんなポエムのようなものを、ふたりに贈りました。内容は重なっていますけど、懐かしいので読み返してみました。私って……恥を知らないのだろうか。よければ笑ってください。


電車に乗ると

2006年09月25日 | もやもや日記
私は、電車に乗ると、感情的になることが多いです。
昨日も、新幹線に乗って、新横浜から大阪へ帰りましたが、ずっと我慢していたのに、走り出した途端に涙が出てきて仕方がありませんでした。土曜は友達の結婚式だったのです。青い空を見ていたら、いろいろと思い出したりして、泣けてきました。

まだ大学生だったころには、東京から実家のある富山へ帰る特急に乗っていると、列車は新潟の海辺のあたりにさしかかり、その親不知のあたりは本当にすぐ海が間近に迫っていて、そのときは夕暮れで、海には水があまりにも満ち満ちていて、私はそれを見て泣きました。

高校生だったころには、通学のために乗っていた電車から、常願寺川などを通過するときに、川面に明け方の青い空や、夕方の赤い空などが映っているのを見て泣いたものです。


 人間の肉体が、その身体的能力をはるかに超えたスピードでもって運搬されると、それによって、なにかしら肉体的、精神的影響を受けるのではないだろうか。ということは、このあいだも友人と話したことですが、私の場合は、明らかに感情的に、涙もろくなります。窓の外の景色が、猛烈な勢いでやってきて、そして猛烈な勢いで過ぎていくせいもあるかもしれません。じっとしていると気が付かないけれど、いつだって時間は飛ぶように過ぎているということを思い出してしまうようです。
 昨日は、過ぎ去った私の青春時代を思っては、その美しさにいまさら気が付いて、あのころの私がどれほど恵まれていたかということが、そしてあのころの人々が今でも同じように私に接してくれることの有り難さが、つくづく身に沁みました。私が時々はあの人たちを思い出すように、あの人たちのほうでも時々は私を思い出し、会えばすぐに私を受け入れてくれるのです。放っておくとどんどん独りになろうとする私は知ろうともしなかったけれど、私はいつでも、今でも、とても恵まれていたのでした。人と関わり合って、誰かを好きになってその人からも好きになってもらい、その関係が持続する以上、時が過ぎ去っていくことは、少しの悲しみもなくただ美しくなっていくことなのかもしれません。私にはあの人たちとの美しい思い出があって、私はいつまでもあの人たちのことが好きで、久しぶりに会ったらまた楽しくて、それも美しい思い出になって…。その繰り返し。こんなに美しい人生があり得るとは、信じられない。が、今の私にはそれが現実なのです。私の人生を美しくしてくれる、あの優しい人たちに、私は何を返すことができるでしょう。面白くもなんともないのに、どうして、私を好きでいてくれるのでしょう。わからないことばかりですが、とりあえず今の私にできることと言えば、あの人たちの優しさや美しさを言葉にして伝えることくらいでしょうか。ひょっとしたら、あの人たちには当たり前過ぎて、自分たちの美しさに気が付いていないかもしれませんから。今まで出会った人たちにも、これから出会う人たちにも、私はそれを伝えられたらいいと思います。