半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

とうとうこの手に

2005年05月26日 | 読書日記ーストルガツキイ
書店でも図書館でも見つけることができなかった『月曜日は土曜日に始まる』をついに入手しました。ありがとう、古本屋さん!
それにしても、群像社から出ているストルガツキイの本は、いまのところいつも表紙の絵は桂川寛という人に手によるもののようですが、この『月曜日~』の表紙が一番私の好みでございます。黄緑がきれい~。ロケットも飛んでるし。話も飛んでて面白いらしいです。登場人物のプリワーロフがいい。名前の響きが。『白鳥』のズルズマンソルも好きでしたけど。
ところで、まだこの本を読んでいません。あとがつかえていて、読むのはもう少し先になりそうです。でも、もういつでも読めるのです! 本が手もとにあるというのは、なんと幸せなことでなんでしょうか。うっとり。

『願望機』

2005年05月09日 | 読書日記ーストルガツキイ
A&B・ストルガツキイ 深見 弾訳(群像社)



《内容》

「願望機」
 タルコフスキイ監督の映画『ストーカー』の共同脚本家として
 名を連ねているストルガツキイ兄弟による、映画にならなかった
 ”もうひとつの『ストーカー』”

「スプーン五杯の霊薬」
 二流作家のスニェギリョーフは向かいの部屋に住む三流詩人の
 クルジュコーフが担架で担ぎ出されるところにでくわし、研究所
 へ行ってあるものを貰ってきてほしいとたのまれる。その後
 つぎつぎとスニェギリョーフの身の周りに奇妙なことが起こり
 はじめる。シナリオ。




《この一文》

”「それが運命なのよ。それが人生というものね。それがわたしたちだわ。人生に辛いことがなかったら、こんなにすばらしくないかもしれないわね。きっともっと悪いわよ。だから、そういう幸せもないかもしれないし、希望もないかもしれない。そういうことね。ーーーーー」
                      ーー「願望機」より ”



私は映画版の『ストーカー』を観ていないので何とも言えませんが、
この映画にならなかったほうの「ストーカー」にはまた、原作とは
違った味わいがありました。
「あらゆる願いを叶えてくれるものがあったら、どうするか?」という
テーマは原作と同様ですが、脚本ではこのテーマだけを中心に
取り上げているので、かなり話が分かりやすいです。
これを読んでみると、『ストーカー』を読んで私が思ったことは、
そんなに原作者の考えていたことから離れてはいないらしいことを
確認できました。珍しく。
いや、原作がそもそも兄弟の作品にしては分かりやすいのかもしれませんが。
人類が今の状態のままではたとえ誰かが人類の平和を心から望んだつもりでも、
それを本当に心の底から望んでいるとは言い切れない。
人間はその本質においては全然別のことを望んでいて、それが叶えられたところで
自分の浅ましさに絶望することだってあり得る。
そんな恐ろしくて悲しいお話です。
でも作者は結局「願望機」を壊してしまったりはしません。
そこにまだ希望を残しているのでした。

「スプーン五杯の霊薬」は、『モスクワ妄想倶楽部』の最初のほう
(私は途中まで読んでそのままです)に似ています。
人間が不死を得られるとしたら、どうするか?
色々な面白い人物が登場して、物語はなかなかユーモラスに展開します。
個人的にはパーヴェル・パーヴロヴィチがお気に入りです。
なんとなくブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を思い出します。
食いしん坊なところはベゲモートっぽいし。
レストランで働いているところは、アルチバリド・アルチバリドヴィチを
思い起こさせます。
『モスクワ妄想倶楽部』ではもっと『巨匠とマルガリータ』的なところが
あるらしいので、はやく読まなくてはなりません。
その前に、もう一度『巨匠とマルガリータ』を読みたくなりました。
あー、でもあとがつかえている・・・。
急がなくては、急がなくては!

『アライドの白い柱』

2005年05月03日 | 読書日記ーストルガツキイ
ストルガツキー兄弟 山田 忠訳 (早川書房 SFマガジン1971/3)


《あらすじ》

生物の成長過程と同じように卵の機械が住居に成長するーーこの画期的な発生工学の実験を妨げたものは?



《この一文》

” アシマーリンはまどろんでいた。そして、アライドの白雪の頂上
 に立って、青い空に見入っているような感じでいた。時々、それを
 見上げることができ、その空は青く、驚くほど地球的な空である。
 その下へ、帰って行く空である。              ”




とうとうこういうレアものにまで手を出すほど、深みにはまってきました。
中毒ですね。
さて、この作品は1961年『黄金のハス』というソ連SF作品集に収録された
兄弟の初期短篇だそうです。
びっくりするくらい普通のSF小説でした。
本当に普通っぽい。
このころはまだ、ストルガツキイ特有の、あの不可思議な感じは備わって
いなかったのでしょうか。
ともかく、非常に読みやすいものの、分量の短さも手伝って、
まあぼちぼちといった感想です。
しかし、もう一度読み返してみたところ、やっぱ結構面白かったです。
その土地の環境に合わせて成長する機械の卵を孵す実験を千島列島で
行うのですが、上手くいくかと思われた矢先、卵は大爆発を起こします。
それは、地中に埋められていた人類の過去の愚かさを示す遺物によって
引き起こされたのでした。
人類の発展を妨げようとするふいに現れてくる力ーー、以後の作品にも
通じるといえば通じているような気もします。

ところで、この古雑誌は「現代ソ連SF最新傑作選」の特集を組んでいて、
私がまだ知らない他のソ連SF作家を勉強できそうです。
他に現段階で読み終えたものでは、ドニエプロフの「予言者」という話
は結構面白かったです。
描写も美的で、かなりロマン的でした。
磁気が人間の心理に影響を与えているのか否かーーという内容です。
この人の名前は忘れていたのですが、「カニが島を行く」という話を
読んでみたいと思っていたところで、同じ人の作品に思いがけず出会って
ちょっと感激でした。

『蟻塚の中のかぶと虫』

2005年04月23日 | 読書日記ーストルガツキイ
アルカジイ&ボリス・ストルガツキー 深見 弾訳(海外SFノヴェルズ 早川書房)



《あらすじ》

秘密調査員マクシム・カンメラーは、ある惑星から地球へ転属される途中で
失踪した進歩官アバルキンの捜査を命じられる。五日間のうちに極秘で任務
を遂行せねばならないが、当初は簡単と思われた捜査も、調査を進めるにつ
れ胡散臭さを増していく。マクシムはしだいに調査官としての権限を踏み越
え、やがてアバルキンの出生に関する驚くべき謎ーー地球の未来を脅かす事
実に直面することになるが・・・!?



《この一文》

” ドアのそばに
  けものがいたが
  鉄砲で射たれて
  死んじゃった
    ーー『童歌』   ”


はやく読みたい、という気持ちとは裏腹に、同じシリーズである『収容所惑星』の時に受けた衝撃の強さを思うと、なかなか手が出ませんでした。
が、勇気をふりしぼって読んでみると、読みやすい!
世界は、『収容所惑星』から25年ほど経った地球を舞台にしています。
20歳だったマクシムが45歳になり、語り手として物語を引っ張っていきます。
そして、今回はどうもミステリ調であることに、びっくり。
謎解きです、謎解き!
とは言うものの、これまでの経験からすると、最初の方の印象が最後まで続くとは限らないし・・・、と疑っていたのですが、予想外にちゃんと謎が解けていきました。
お兄さんのアルカジイ氏は、さすがに日本文学者だけあって、作品のところどころに日本に関係のあることが出てきたりして楽しいです。
芥川龍之介も出てきました。読みたくなるではないですか。

本作では『地獄から来た青年』に登場するコルネイの秘密にも触れられています。
なるほど、そういうことだったのか。
設定は『ストーカー』にも似ています。(ネタばれになりそうなのでここまでで自主規制)
本当なら読み終えて「すっきりした!」と思いたいところだったのですが、なんだかすっきりしません。
謎は解けても、何かそれだけでは済まないような気がして仕方ないのです。

とても面白かったのに、どこがどう面白かったと言うと、何と言って良いのやら・・・。
例によって分からないところが多々あります。
まずテーマがよく分からないです。
いや、分かるんですけど、あれこれと盛り沢山な感じで、他にも考えられそうです。
そして、何故あのような結末をむかえることになるのかも、全然分かりません。
でも、きっと意味があるに違いないです。
もやもやします、うお~。
テーマも結末の意味も分からずに何故面白いと言えるのか、しかし面白いのです。
これを「ストルガツキイ現象」と名付け、そのうち分析してみる事にします(と言って誤魔化す)。
どうもこの作品も1度読んだくらいでは、私の手に負える代物ではなさそうです。
とりあえず『波が風を消す』を読んだ後で、再び考え直す事にしましょう。

『ストーカー』

2005年04月13日 | 読書日記ーストルガツキイ
A&B・ストルガツキー/深見 弾訳(ハヤカワ文庫)



《あらすじ》

何が起こるか誰にも予測のできない謎の地
帯、ゾーンーーそれこそ、地球に来訪し地
球人と接触することなく去っていった異星
の超文明が残した痕跡である。ゾーンの謎
を探るべく、ただちに国際地球外文化研究
所が設立され、その管理と研究が始められ
た。だが警戒厳重なゾーンに不法侵入し、
異星文明が残していったさまざまな物品を
命がけで持ちだす者たち、ストーカーが現
われた。そのストーカーの一人、レドリッ
ク・シュハルトが案内するゾーンの実体と
は? 異星の超文明が来訪したその目的と
は? ソ連SFの巨匠が迫力ある筆致で描
くファースト・コンタクト・テーマの傑作



《この一文》

”(やりかたがきたないぞ、卑劣だ・・・おれはやつらのペテンにかかり、口がきけないままほっとかれたんだ、畜生・・・ごろつき・・・そうだ、おれはごろつきだったんだ・・・ごろつきのまんま年を取ってしまったのさ・・・そんなことがあってたまるか! おい、聞いているのか? これからは、断じてそんなことは許されんぞ! 人間は考えるために生れてくるんだ。そう、彼がそうだ、結局キリールがそうだったんだ!・・・ただし、おれは信じるもんか、そんなことを。これまでだって信じなかったし、今も信じちゃいない。人間がなんのために生れてくるのか、そんなことは知るもんか。おれを生むやつがいたから、こうして生れたんだ。人はそれぞれの才覚で暮しを立てている。おれたちがみな健康になるんであれば、それはそれでよし、やつらが全部くたばるんであれば、それはそれでいい。おれたちとはだれのことだ? やつらとはだれのことを言ってるんだ? ーーーー)      ”





最後の5頁は、髪の毛が逆立っていたと思います。
レドリックを他人とは思えず、つられて絶叫しそうになりました。
苦しい。
私たちは何を望むのかーー。
私は何を望むのかーー。
そのことばを知ったなら、私もきっと叫ぶでしょう。
でも、分かりません。
内圧が高まって、涙が出てきます。
どうしようもなく苦しいです。
読むたびにいちいち苦しくなっていたら、この先まだ読むべきものが沢山ひかえているのに、一体どうしたらよいのでしょうか。
とりあえず、映画『ストーカー』のために書かれたものの採用されなかったシナリオ『願望機』を読んでみるつもりです。
映画もそのうち参考に観ることにしましょう。

『収容所惑星』

2005年04月02日 | 読書日記ーストルガツキイ
アルカジイ&ボリス・ストルガツキー 深見 弾訳(海外SFノヴェルズ 早川書房)




《あらすじ》

二十歳になってもなんの能力もなく、自分の将来さえ決めることも出来ずに、宇宙に対するあこがれだけは人一倍のマクシム。彼は自由調査集団に入り、地球をあとにしたが、隕石事故に遭い未知の惑星に不時着する。そこは、河は放射能に汚染され、大地は荒廃し、住民たちは〈紅蓮創造者集団〉と称する謎の権力者たちに支配された世界だった。
社会体制とのコンタクトを中心テーマにして現代社会の歪みを鋭く風刺した問題作!



《この一文》

”「・・・それからもうひとつ覚えておかれるよう忠告します。
  つまり、あなたがたの世界ではどうなっているか知りませ
  んが、われわれの世界では、主人がいなければいかなる勢
  力といえども長くは存続しません。常に、それを手なずけ
  従わせようとする者がだれか要るのです。こっそりとかあ
  るいは立派な口実をつくってですが・・・わたしが申しあげ
  たかったことはこれで全部です」
  〈妖術使い〉は見かけによらず身がるに立ち上りーー鳥が
  肩の上でしゃがみこみ、羽根をひろげたーー壁ぞいに短い
  足を滑らし、ドアの外へ姿を消した。         ”




ストルガツキイの作品が多くなってきたので、カテゴリーを分けました。
お祭りも盛り上がっていることですし!

さて、私がこれまで読んで立ち直れなくなりそうになった小説は、ガルシア=マルケス『十二の遍歴の物語』の中の「雪の上に落ちたお前の血の跡」、アストゥリアス『大統領閣下』、そしてこの『収容所惑星』です。
『収容所惑星』は、前に読んだ『地獄から来た青年』と同じ世界を舞台としたシリーズのひとつということです。
なるほど、確かにそうでした。
『地獄から来た青年』のほうは、物語が短いせいもあり、割とあっさり読めたのですが、こちらはそうはいきませんでした。
まず分量が違います。
第一部だけ読んであったのですが、第二部から第五部までは一気に読みました。
途中で目を離したら、もう再び戻ることができないような気がして、お茶を飲むこともできずに必死で読みました。
というのも、大変に重いのです。
ストルガツキイのテーマはいつも重いのですが、今回は象徴や幻想性が少ないせいか、とても直接的に衝撃を受けてしまいます。
気が付いたら5時間経過していました。
読み終えた後で、さらに1時間も放心してしまいました。
物語の中では、ほとんど無意味な戦いのために絶望しながら人間が死んでいきます。
哀れで仕方がありません。
しかし、悲しいことには、それがただお話の中だけのことではなくて、私たちのこの世界においても十分起こりうるし、現在も起きているだろうということです。
主人公のマクシムは、そういう世界を受け入れることができず、自分が変えてやろう、と手を尽くしますが、なかなかうまくいきません。
世の中を変えようと思っても、情熱だけでは不足なのでした。

この作品は1967-68年に書かれたようですが、十分に今日性があると言えるでしょう。
上に引用した部分を読んで、私はこの世界のある国を連想してしまいました。
他の部分では、他の国を思い起こさせます。
〈妖術使い〉のせりふには次のようなものもありました。

”「ーーーしかし、秩序というものにはそれな
  りに法則があります。それらの法則は大きな人間集団の渇
  望から生れたものであって、その渇望が変化してはじめて
  法則も変りうるのですーー」             ”

難しいです、しかしせめて考えるくらいはしなくてはなりません。

『みにくい白鳥』

2005年03月26日 | 読書日記ーストルガツキイ
A&B・ストルガツキイ 中沢敦夫訳(群像社)



《あらすじ》

その街では永遠の雨が続き全てを腐敗させていた。政治家は暗躍し大人は特殊病院の患者を追い立てる。だがやがて読書にふける早熟の子供たちが反乱を始めた!


《この一文》

”「それこそが問題なんです。問題は、僕たちが現実の生活を知っているかどうかなんてことじゃないんだ。問題は、あなたやあなたの本の中の人物がそんな未来をもろ手をあげて受け入れているのに、僕たちにとって、そんなものは墓にすぎないということなんです。それは、希望の終焉、人類の終焉、行き詰まりです。それだからこそ、僕たちはあなたの書く、安らぎに渇えたタイプ、頭のてっぺんから爪先まで汚れ切ったタイプの幸福のために力を費やすのはいやだと言っているんです。」     ”




いやはや、大変に難しかったです。
『滅びの都』のように突如「赤い館」のような異世界が出現するわけでもなく、物語は、雨が数年来降りやまない街を舞台として展開していき、結末に至ってはこれまでにない爽やかささえ感じられるのですが、終盤になって怒濤のように分からないことが続出してきてすっかり参りました。
”濡れ男”って? どうなったの??
なんで葡萄酒が水に変わってしまったの?
あれってどうして?
これは??
などなど、不思議なことが多過ぎて、なんだかよく分かりません。
まあ、そういう細かい点は置いておくとして、テーマは非常に重要です。
引用した部分は、ボル・クナツ君という早熟な少年のセリフなのですが、あまりにも核心に迫っていると感じました。
大人は子供の幸福を願いますが、それはあくまでも大人の価値観に基づく幸福であり、せいぜい十分に食べたり飲んだり出来るくらいで、あいもかわらず争い、虚偽にまみれて、子供は必ずしもそんな幸福観に価値を見いだすとは限りません。
子供たちが自分たちで理想の社会を建設しようとすること、それ自体は、喜ばしいことだと個人的には思います。
たとえそれが旧世代を排除してしまうことになったとしても。
ただ、何もかも新しく、すばらしい社会を作ったとしても、帰る道が必要であるというのは、来た道を忘れないように、間違いに気が付いた時にそこまで戻ることができるように、という意味なのかな・・・・、と私なりに理解しました。

読んだ後、随分と頭をひねりましたが、結局まだよく分かっていません。
まだまだ深く掘り下げるべきところでしょう。

『地獄から来た青年』

2005年03月22日 | 読書日記ーストルガツキイ
A&B・ストルガツキイ 深見弾訳(群像社)



《あらすじ》

はてしない戦争が続く惑星から瀕死の兵士を救い出したのは高度の文明をもつ惑星の地球人だった。戦うためだけに生きてきた若者の利用価値を探る目的は何か?


《この一文》

”「任務だと? おまえみたいな薄らトンカチにどんな任務があるというんだ?」
 「わたしにできることであれば、どんな任務でも遂行することです」
 「ふん!・・・ じゃあ人間の任務は何だと言うんだ?」
 「人間に任務はありません、マスター」
 「でめえは馬鹿か! この抜け作。本物の人間がどんなものなのかおまえにわかってたまるか!」
 「質問の意味がわかりません、マスター」
 「まだ何も聞いてない」
  ドランバは黙りこんだ。           ”




ひたすら戦争に明け暮れる世界と、平和で美しく高度に発達した技術に守られているものの、暇過ぎてよその世界の歴史に介入してゆく世界と、どちらもが地獄であるとするならば、天国はどこにあるのでしょう。
結局のところ私たちが求めるものは何なのか。
相変わらず色々と考えさせられてしまいました。

主人公のガークは、兵士として公爵に妄信的に仕えています。
異世界に連れてこられて、その世界の発達した機械などに出くわす度に、「ロケット弾でもかなわない」などと思ったりします。
驚いたり感心したりするガークの様子は割とユーモラスに描かれているのですが、そのうち、なんだかいたたまれない気持ちになりました。
ちょっとこれまで読んだストルガツキイの作品の主人公とは違った印象です。

次は『みにくい白鳥』です。

『世界終末十億年前 異常な状況で発見された手記』

2005年02月12日 | 読書日記ーストルガツキイ
A&B・ストルガツキイ 深見弾訳(群像社)


《あらすじ》

天才的な科学者たちを突如襲う超自然現象。おそるべき力を発揮する見えざる意志は正体を現さず、彼らが研究から手を引くように脅迫するが・・・・。


《この一文》

” するとまた、ぼくの腹の中を見透かしたかのように、彼女がいった。
 「それに、あなたがどんな結論を下すかなんてことは、ぜんぜん問題にならないわ。肝心なのは、そういう発見をする能力があなたにあるってことよ・・・なにが問題なのかということぐらい話してくれてもいいでしょ? それとも、それもいえないことなの?」  ”


うお~、面白い!
今年はファンタジー年間にする予定だったのですが、
「ストルガツキイ祭り」が大変な盛り上がりをみせています。
まあ、ファンタジーはファンタジーですよね。
なぜストルガツキイという名前がもっと有名にならないのか、とっても不思議です。
あるいは知らなかったのは私だけで、業界(多分SF業界)では有名なんでしょうか。

『滅びの都』『そろそろ登れカタツムリ』の2作品とは少し違った雰囲気でした。
前の2作品も滅茶苦茶面白いのですが、今回の『世界終末十億年前』は、テーマとしてはドーマルの『類推の山』、コリン・ウィルソンの『賢者の石』に通じるものがあるような気がします。

昨夜は混乱してなかなか寝つけませんでした。
真理をもとめるというのはどういう態度をいうのか。
真理って何だ?
破滅に至る道があるとして、それが真理ならば避けられない道であると思っていたけれど、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
真理って何だ?
気が遠くなってきました。
ストルガツキイ、次は何を読もう。

『そろそろ登れカタツムリ』

2005年02月08日 | 読書日記ーストルガツキイ
A&B・ストルガツキイ 深見弾訳(群像社)



《あらすじ》
偉大な力を持つ森の謎を究明する男と森を外から管理する男。
森のなかで子をはらみ森とともに生きる女たち。変態する「森」にもてあそばれる人間に未来はあるのか?
政治的圧力のなかで全貌が明らかにされるまで四半世紀を要した幻の作品のパラレル・ワールド。


《この一文》

”「あなたって人はまだ赤ん坊なのね。」彼女がいった。「この世には愛と食物と誇り以外にはなにもないということがどうしてわからないの。もちろん、なにもかももつれてしまって糸玉のようになっているのよ。でもどの糸をひっぱっても、かならず愛か権力か食物にいきつくはずだわ・・・」
 「いや」ペーレツがいった。「そんなのはごめんだ」
 「いいこと」彼女は静かにいった。「あなたが望むか望まないかなんてことはどうだっていいの・・・わたしはあなたに訊ねているのよ、ペールチク、なにを夢みているの? まだ他になにがいるのよ?」   ”



『滅びの都』(12月17日の記事を参照ください)に引き続き、2冊目のストルガツキイです。
相変わらず最初のほうは何だかよくわからなくて読むのが辛いのですが、少しずつ少しずつ、状況が把握できてくると、もう止まりません。
2冊読んでみて、ストルガツキイとはこのさきも長くつきあっていきそうな予感がします。
私にはやや難しい内容なのですが、そこがまた良いのでしょう。
いつかもっとわかるようになる日が来るかもしれないと思うと、また楽しくなります。

邦題の『そろそろ登れカタツムリ』というのは、この作品の最初に引用されている

かたつむり そろそろ登れ 富士の山   一茶

からとったそうです。原題を直訳すると『坂のうえのカタツムリ』となるところを、訳者の方の考えでこのようにされたとのこと。
私も『そろそろ登れカタツムリ』のほうが物語の内容にも合っていると思います。
それにしても妙にしっくりくる言葉の響きと思ったら、俳句だったのか、道理で。

すでに同じ人の『世界終末十億年前』を借りてきてあります。
はやく読まなくては。