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『ツバメ号の伝書バト』

2006年07月02日 | 読書日記ー英米
アーサー・ランサム 神宮輝夫訳(「アーサー・ランサム全集6」岩波書店)


《あらすじ》
夏休みになり、ツバメ号のウォーカー兄妹、ドロシアとディックのDきょうだいは湖へやってきてアマゾン海賊のブラケット姉妹と合流した。フリント船長が不在の間、8人の子供たちは丘陵地帯へ遠征し、強力な土人タイソンおばさんとたたかい、ライバルの謎の男「つぶれソフト」を偵察しつつ、日照りで水不足のハイ・トップスを掘り進む金鉱探しという新しい冒険を開始した。


《この一文》
”「どうしようもないわよ。」と、スーザンがいった。「ティティの性質は知ってるでしょ。あの子は物事にとっても敏感なのよ。わたし、きのうの晩、あの子が病気になるかと思ったわ。」 ”



さて、とうとう六作目です。やっぱりいつものメンバーが揃うと安心します。私の好きなDきょうだいは、優しくて大らかで彼らの才能を十分に評価しているウォーカーとブラケットの子供たちと一緒にいるほうが、活躍の場を多く与えられるようなので嬉しいです。特に、今回のディックは皆から信頼を受けて学者や技術者として大活躍していました。よかった。よかった。

これまでのシリーズでも、子供なら誰でも一度はやってみたいと思うことを次々と実現してきた一同ですが、今回はついに金鉱探しです。いいなあ、ロマンだなあ。私も掘りたい。洞窟とか鉱山とかってロマンですよね。隠されたお宝を掘り当てたいと願うのは、子供だけではなく大人も、フリント船長じゃなくても思うところであります。ツバメ、アマゾン、Dきょうだいは新たに「SAD鉱山会社」を立ち上げて、金鉱を掘ろうと奮闘します。しかも今回の彼らは、ただの「ごっこ」をして遊ぶのではなく、鉱山のかわら屋ボブからの確からしい情報を得ています。いやが応にも盛り上がります。

さて、二作目『ツバメの谷』の時にも、ティティのオカルト資質が描かれていましたが、今回も彼女はそのたぐい稀な能力を発揮していました。それが、ジョンでもスーザンでもないというのは、とても納得です。やはりティティはどこか特別なところのある女の子です。一方、弟のロジャは、だいぶ大きくなってきたせいか、少しばかり生意気になってきました。行動力が増してきたので、手に負えなくなる日も近いでしょう。今回も、ロジャはとってもはじけていて、物語をぎりぎりのところまで盛り上げてくれます。スーザンは気の毒に……心労が絶えません。

物語は、金鉱探しというだけでも盛り上がりますが、例によって様々の要素が巧妙に組み立てられてラストまで一気に突っ走ります。そして、鉱物を題材にしているということもあり、化学の勉強にもなるなあという感触でした。ロマンが加わると、化学変化だって楽しく学べますよね。学生時代の私は、物質の化学反応をなかなか理解できませんでしたが、「王水は金をも溶かす」というところにはときめいたので覚えてました。ともかく、ディックが活躍するので、色々な科学的実験が次々と行われて、非常に興味深かったです。

ところで、このシリーズでは毎回なにかしらピンチの局面があるのですが、今回のは本当にピンチでした。子供たちが成長するとともに、冒険も少しずつ大がかりになり、乗り越えなければならない困難も深刻さを増しているのでしょうか。ロジャからは特に目が離せませんね。

それと、今までのシリーズでは、子供たちの周囲には好意的で親切で物わかりの良い大人しか登場しませんでしたが、かつてブラケット姉妹を悩ませた「大おばさん」のような人物はこの辺には住んでいないのだろうかと疑っていたら、今回ついに登場しました。タイソンおばさんです。何と言うか、土人の中の土人という感じでした。SAD鉱山会社にとっては、これもある意味で大ピンチです。

さらに、鉱山をうろつく謎の男が彼らの前に現れます。得体の知れぬ男、伝書バト(三羽のハトの名はホーマー、ソフォクレス、サッフォー。なんて素敵なんだろ)による秘密の通信、南米からの到着が待たれる未知の生物ティモシー、枯れた渓流、そして大昔の鉱夫によってうち捨てられた無数の鉱坑ーー。うーむ。こんなに面白要素が揃っていて、盛り上がらないわけがありません。そしてもちろんとっても面白かったのでした。もうシリーズの半分まできたので、勢いづいて後半も読んでしまいます。今年の夏は「ランサムまつり」です。

『オオバンクラブの無法者』

2006年07月01日 | 読書日記ー英米
アーサー・ランサム 岩田欣三訳(「アーサー・ランサム全集5」岩波書店)


《あらすじ》
春休み、ノーフォーク湖沼地方へやってきたドロシアとディックのDきょうだいは、川面に浮かぶティーゼル号へと乗り込んだ。いよいよ船の扱いを勉強できるという期待に胸を膨らませるふたりだが、船主のバラブル夫人には、船を動かすことはできずそれは浮かぶだけで動かせる望みは全くなかった。がっかりするDきょうだいの前に、土地の鳥を守る「オオバンクラブ」会員の少年トム・ダッジョンとその幼なじみの双子の姉妹ポートとスターボード(本名はネルとベス)が現れる。提督となったバラブル夫人に率いられ、ティーゼル号は提督の故郷を目指し出帆する。


《この一文》
”ウィリアムは、引き具をつけられることは、お菓子屋と文明にもどることを意味するのだと判断した。”



今回は、Dきょうだいが主役です。やったー! と思って読み始めたら、実は主役はトム・ダッジョンでした。湖沼地方に生まれ育った彼は、自分の船を持ち、川辺に棲む鳥たちを守る「オオバンクラブ」を結成しています。その土地へは船に乗るためによそから大勢の観光客が集まるため、もめごとを起こさないようにこどもたちにも「よそものとは関わるな」という教えが徹底的にしこまれています。ところが、トムは鳥を守るために「よそもの」ともめごとを起こし、湖沼地方を逃げ回ることになるのでした。

この物語では、トムの敵は、快速艇マーゴレッタ号を派手に乗り回し鳥の巣の平和をかき乱す礼儀知らずの「よそもの」の若者グループですが、Dきょうだいとバラブル夫人も同様に「よそもの」として扱われます。トムは、ティーゼル号の乗組員がいかに良い人々だとは言っても船の知識も潮の知識もない上、結局は「よそもの」だとして信用しません。そういう排他的な彼の性質は、物語の終盤まで、読んでいて楽しいものではありませんでした。私の個人的な感想ですけど。

トムの性質は私の好みではありませんでしたが、物語自体は今回も面白かったです。いつもと違うところと言えば、今回はこどもだけの冒険ではなくて、実際に対立する大人がいて、かれらとの追いかけっこに終始するために、冒険の夢が膨らまないところでしょうか。シビアな状況には、なかなか北極探検のようなロマンの入り込む余地がありません。ドロシアはそれでも頑張っていましたが、彼女の空想は、ティティやナンシイのものとはちょっと性質が違うようです。ティティが楽しい現実をもっと面白くするために空想するのに対し、ドロシアは、物語を面白くするために現実を切り取っているという気がします。ツバメ号やアマゾン号のこどもたちが、前作『長い冬休み』の中で、単調な作業の合間にドロシアの物語をせがんだのは、ドロシアの物語がある程度現実から切り離された純粋な空想の物語だからなのかもしれないと思いました。退屈も、大ピンチも、ドロシアの中ではいつも素敵な物語の断片に変換されてゆきます。逆に言うと、ドロシアにはリアルな危機感が不足気味です。ディックもしかり。もちろん、私はそういうDきょうだいが好きなのです。

人物に関して言えば、ティーゼル号の提督は、バラブルさんという気のいい老婦人で、お供にウィリアム(犬)を連れています。私はこのウィリアムがいなかったら、この船の冒険は面白味のかけらもなく終わってしまったのではないかという気さえしています。だって、トムがあんなんではねえ。まあ、彼が有能なのは分かるんですけども。面白味のある人物と言うには、残念ながら程遠い。双子もせっかく可愛いのに、あまりキャラが活かされてないような感じで、残念でした。Dきょうだいについては言わずもがな。ドロシアの空想力も、残念ながら船を走らせている間は、トムを苦々しくさせるばかりです。ディックは相変らず熱中し過ぎでうわの空。インドア派が船上で活躍する日は遠いのかーー。

ぱっとしない人間たちに対し救世主ウィリアムは、チンという犬種で愛嬌のある風貌をしています。とってもお利口で、威厳さえ感じられる魅力的な犬です。少なくとも私は、このお話ではほとんど出番のなかったDきょうだいの穴埋めを、ウィリアムが十分に果してくれたと思います。というわけで、私の一番のお気に入りは「ウィリアムのはたらき」という章です。一番盛り上がる場面だったと思います。トムのおかげで重く暗雲が垂れ込めていた全編は、これで救われたと思いました。
*****
川をボートで帆走すると言えば、ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」を思い出します。あれにも犬が乗ってました。テリアのモンモランシーです。やはりボートでの旅には犬がよく似合います。これも非常に愉快なお話でした。おすすめです。
*****

ウィリアムの他に私が気に入ったのは、「オオバンクラブ」のメンバーの船大工の3兄弟の「死と栄光(デス・アンド・グローリー)号」という船の名前。格好いい! 兄弟もトムに比べると、かなり素直でいい奴らなので、とてもすがすがしいです(←ひどい。一応弁護もしてやると、トムも素直な少年なんですよ。でもクヨクヨし過ぎなんです。考え方が現実的過ぎてつまらないんです。あ、弁護にならないわ)。

ところで、物語全体を通して、私がどうしても気になったのは、邦訳です。主に翻訳ものしか読まない私は、普段はいちいち訳のことを気にしたりしませんが、今回の文体に関しては気になってしかたがありませんでした。というのも、登場人物の台詞において、助詞が省略されすぎているように思われたからです。なにか意図があってこのようになっているのでしょうか。それとも訳者の方のくせでしょうか。あるいは訛りの表現でしょうか。「どのみちぼくはあの船使うことできないんですから」とか。今までは全く気にならなかったのと、大人の発言にはほとんどみられないことを考えると、やはり訛り、もしくは子供らしい口調を表現しているのでしょうか。気になる……。


さて、トムと助詞の省略は気に入りませんでしたが、そして、いつもとは違う味わいでしたが、今回もハラハラさせる展開でとても面白かったです。なんと言ってもウィリアム(犬)のおかげ。おお、英雄よ。

『長い冬休み』

2006年06月27日 | 読書日記ー英米
アーサー・ランサム 神宮輝夫訳(「アーサー・ランサム全集4」岩波書店)

《あらすじ》
お母さんが出かけてしまったので、冬休みにもハリ・ハウへ滞在することとなったウォーカー兄妹はアマゾン海賊のブラケット姉妹とともに、冬の間は北極探検家となって極地を目指すことにした。同じ頃ディクソン農場に滞在していたドロシアとディックのカラム姉弟(=Dきょうだい)を仲間に加え、冬の冒険がはじまる。

《この一文》
”ドロシアは、きょうだけは物語をつくっていなかった。物語の中にいたからだった。”



 今回は、冬の物語です。いつもの連中に、Dきょうだいという町育ちのインドア派ふたりが加わります。と言うより、今回の物語はこのDきょうだいが主に中心となって展開してゆきます。
 ドロシアは物語を作るのが好きな女の子でいつも何か起こるごとに新しい物語の一節と素敵なタイトルを思い付き、ディックは天文学者を自称しあらゆる物事に科学的な興味を感じ、それに熱中しては他のことをすっかり忘れてしまいます。夢とロマンに溢れた精神生活を送るかれらではありますが、ボートを漕いだこともなければ、たき火をおこしたこともないので、極地探検家たちにずいぶんと気後れを感じます。しかし逆にふたりにも探検家たちよりも優れたところがあることにも気が付いたりもします。そうして、探検家たちとは違った資質を持つかれらは、次第に受け入れられてゆくのでした。
 私もかなりのインドア派なので、実際にウォーカー兄妹やブラケット姉妹に遭遇したら、こんな感じなんだろうなあと思いました。スーザンが怖い。「分別がない」と私も言われそうです。確かにそうなんですけど…。もちろん、スーザンは役柄的にそう言わざるを得ない人で、彼女がいなければきっとロジャが大変なことになります。そう言えば、ロジャはさり気なく今回も変なことばっかり言ってて面白かったなあ。

 タイトルにも関わらず冬休み終了まであと数日というところから始まるので、どういうわけなのだろうと思ったらそういうことだったのですか。ナンシーはまたしても災難です。でも、やっぱりナンシーは素敵な女の子ですね。大らかです。Dきょうだいのことをいつもちゃんと評価しているあたりがいいです。妹のペギイも今回はがんばってました。なので、ウォーカー兄妹はあまり目立ちませんでしたね。スーザンは怖かったけど(まだ言う)。あと、Dきょうだいが泊まっていたディクソンさん家の寡黙なディクソンおじさんが、実はかなり燃える男だったのは驚きでした。意外と負けず嫌いなんだわね…。

 というわけで、このお話は家の中に引きこもりがちな性質の人間にこそリアルに楽しめる物語なのではないでしょうか。私もボートを漕いだこともなければたきぎにちゃんと火をつける術もよくわかりません。高校時代に山でバーベキューをしたときに、突然の雨にも慌てずに、ささっとシートをテントのように張り、他の班の人々が雨が止むのをぼんやりと待っている間に、我々の班だけはそのままバーベキューを続行することを可能にしてくれたクラスメートのH君を思い出しました。あの時は(←あえて限定することもないですが)格好よかったなあ。めちゃくちゃアウトドア派だったんだなあ。水を入れるための専用タンクも持参してたし。スーザンは怖かったけど、やっぱり人間はいざというときの判断力と知識ですね。彼もやっぱりランサムを読んでいたのかしら。いつかまた会ったら聞いてみよう。

『ヤマネコ号の冒険』

2006年06月19日 | 読書日記ー英米
アーサー・ランサム 岩田欣三訳(「アーサー・ランサム全集3」岩波書店)


《あらすじ》
ローストフトの港にやってきたウォーカー兄妹を待っていたのは、小さな緑色の美しいスクーナー「ヤマネコ号」だった。ツバメ号の乗組員とアマゾン海賊、フリント船長の面々は、新たに老練な水夫ピーター・ダックを仲間に加え、今度は海を帆走する。

《この一文》
”どんなときでもいつもと変わらないことはあるのだ。どこにいても、船首で漕いでいた者がオールで背中を打ったら「ごめんね。」というだろうし、なにかほかのことを考えていたために、たまたま調子を狂わせたら、「わたしが悪かった。」というだろう。 ”



シリーズの3冊目です。

さて、これから読もうという方がもしかしたらこの記事をご覧になるかもしれないので、なるべく物語の内容については書かないでおこうと思います。この手のお話は、予備知識なしで読むのが一番です。そういう訳で、なるべく本筋が分からないように、私の感想を述べてみたいと思います。

物語は、なんというか、とにかく派手です。思いっきりエンターテイメントです。あまりに派手なので、私はひょっとしてティティの夢オチで終わるんじゃないかと、はらはらしながら読みました。いつもだったら、釣った魚が美味しそうとか、ママレードを塗ったブドウ入りパンが美味しそうとか、私も途中でリンゴとチョコレートが食べたいとか思うのですが、今回はそんなことを考える暇もありませんでした。あ、でもアイスクリームを食べ放題の場面はうらやましかったな。それと、ついつい焼き蟹がもったいねーとも思ってしまいました。私なら食べますよ。多分。

ともかく今回のは大冒険です。しかも誰もが憧れるような。まるで映画のように鮮やかでスリリングな展開には目が釘付けになります。

そしてまた、この胸の踊るような大冒険はとても楽しかったのですが、私の心を打ったものと言えば、ヤマネコ号の乗組員たちは、どういう状況でも節度をわきまえて決して卑怯なことはしないということです。1作目から思っていたことですが、それは彼らの育ちが良い(どう見ても経済的にかなり恵まれた家の子供のようです)というのもあるだろうとは思いますが、つまり「育ちが良い」というのはそういうことなんだろうなーと考えさせられます。生まれつきの性質というのがどれほど影響力を持つものかは分かりませんが、やはり世の中の大人がみんな公平さと分別を持っていれば、子供だってずるいことをする理由なんてないのかもしれません。ウォーカー兄妹やブラケット姉妹の周囲は幸運なことに立派な大人ばかりのようですが、可哀相なことに親のいない子供だとしても周りの大人がきちんとしていれば大丈夫なのではないでしょうか。誰かの親であるかどうかは、社会の一員として生きる以上問題ではありません。少しでも先んじて生きる人間は、後に続く全ての人のために常に襟を正さなければなりますまい。いかに現実が厳しかろうとも。と、本編とはあまり関係がないような気のするところで、ちょっと真剣に反省してしまいました。

とにかく、面白かったです。またいずれは読み直したい1冊です。

『ツバメの谷』

2006年06月13日 | 読書日記ー英米
アーサー・ランサム 神宮輝夫訳(「アーサー・ランサム全集2」岩波書店)


《あらすじ》
ツバメ号でのはじめてのヤマネコ島への航海から1年が過ぎ、ウォーカー家の子供たちは再びハリ・ハウ農場へやってきた。しかし、兄妹たちを待ち受けているはずのアマゾン海賊もフリント船長も姿を現さない。ツバメ渓谷とピーター・ダックの洞窟の発見、カンチェンジュンガ登頂などなど、この夏には、兄妹たちが予想していたのとは違う展開が待っていた。

《この一文》
”「うむ。」と、フリント船長がいった。「きみは今までだって、きょうとおなじくらいノロマだったことがきっと何度もあったんだよ。ただ、今まではなにごともおこらなかっただけさ。われわれはみんな、ときどきノロマになる。しかし、それに気づくことがたまにしかないんだよ。」  ”



ツバメ号シリーズの2冊目です。前回からちょうど1年経った夏休み、ツバメ号の乗組員であるウォーカー兄妹の冒険が再び始まります。しかし、冒頭からなにやら雲行きが怪しく、どことなく重苦しい雰囲気が漂います。アマゾン海賊であるブラケット姉妹も、その叔父のフリント船長も「土人のごたごた」に巻き込まれているらしく、なかなか現れません。そんな中、普段は冷静なジョン船長は、冒険を始めたばかりの船員たちを難破水夫の身の上にさせる大きなミスを犯してしまうのでした。

うーん、今回も非常に面白かったです。イベントも、新しい登場人物も多いので、前回よりも物語を長いように感じました。そして、私のお気に入りのAB船員ティティは、今回も期待以上の大活躍です。アマゾン海賊とフリント船長を苦しめる暗黒女王を追いやるための、思わぬオカルト的展開に目が離せません。可愛いなあ。ボーイのロジャも去年より注意力の散漫さに拍車がかかっています。末っ子っぽくてよろしい(しかし、実際にはロジャはもう末っ子ではありません。下に赤ちゃんのブリジットがいます。前回ヴィッキイとして登場した赤ちゃんですが、それはヴィクトリア女王にそっくりだったためにつけられたあだ名だったんですね)。

登場人物たちは、誰もが前作よりもさらに性格が強く特徴付けられているように思えます。そして、前の年には優秀に見えた彼らも、予想外の出来事が起きたり、思ったように事が運ばなかったりしてひどく落ち込んだり心配したりします。しっかりものの航海士スーザンでさえ、自分の判断が甘かったのだと言って激しく落ち込んだりします。もちろん、子供たちはそんな状況の中でも自分たちに出来る最大のことをやろうとし、周囲の大人は彼らをそれとなく支え、失敗しても決して責めたりはしません。引用したのは、大失敗をやらかして落ち込むジョン船長に対してフリント船長が言った言葉です。確かに、誰でもいずれはやることになる失敗です。それでも初めて経験する失敗というのは、子供には大きな衝撃です。それを単純に叱りつけてしまわないで、被害の状況と正しく照らし合わせて反省させるのが大事なのかもしれないと思います。大人たちから信頼と責任を与えられた子供たちは、失敗を踏まえて成長してゆくのでありました。

子供たちの冒険のところどころに挟み込まれた大人の物語も面白いです。スウェンソン農場のきれいな娘さんメアリー・スウェンソンにはどうやらきこりの恋人がいる(ひょっとしたらまだきこりの片思いなのかも)ようなのですが、その若者のことを子供たちが「メアリー・スウェンソンのきこり」と呼ぶのに、私はやたらにときめいてしまいました。スウェンソン農場の、歌をうたいだしたら止まらないおじいさんや、その傍らでいつもキルトを縫っているおばあさん。前回も登場した炭焼き小屋の「年よりのビリー」と「若いビリー」親子とそのマムシ、ロジャが炭焼き小屋で1晩泊まった時に若いと言っても相当年をとっている「若いビリー」が話してくれる昔の思い出。アマゾン海賊のナンシイとペギイの両親は、どうやら幼なじみだったらしいこととか。で、お父さんのほうは今はいないらしいことなども分かります。こうした細かい物語が、あちらこちらに散らばっていて、その土地の人間関係を、とてもさりげなく語っています。


それにしても、今回も食べ物はおいしそうでした。ニジマスのバター焼き、マーマレードを塗ったぶどう入りパン、りんご、チョコレート……あー、腹減った。

『ツバメ号とアマゾン号』

2006年05月06日 | 読書日記ー英米
アーサー・ランサム作 岩田欣三/神宮輝夫訳(「アーサー・ランサム全集1」岩波書店)


《あらすじ》
夏休みにハリ・ハウ農場へやってきたウォーカー家の4人の子供たち(ジョン、スーザン、ティティ、ロジャ)は、まだ赤ちゃんで末っ子のヴィッキイとお母さんを農場へ残し、湖に浮かぶ島でキャンプをすることを許された。帆船ツバメ号に乗って自分達だけの島での生活がはじまった。


《この一文》
”今、この島では、人間のいとなむことはなにもおこなわれていない。ティティ自身がそれをしないかぎりは、いつまでもおこなわれないだろう。それは、まるでじぶんがこの世に生きているただひとりの人間のような感じだった。”


夏休みの湖でキャンプ。しかも自分で帆船を操って湖上を走り回る。それだけでも十分楽しそうですが、兄妹の冒険には、謎の海賊や屋形船の不審な男、強盗事件や夜のあらしなどなど、盛り上がる事件が次々と巻き起こるのでした。
彼等は自分達でちゃんと役を決めて、ジョンは船長、スーザンは航海士、ティティはAB船員で、ロジャはボーイとそれぞれの役割に奮闘します。本土に住む人々はたとえお母さんであっても「土人」呼ばわり(しかし、このお母さんという人も、土人役を普通に引き受けて、謎の言葉で話し出したりする愉快な人です)で、自分達の冒険に関わるようなことは注意深く話さないようにしています。兄妹はキャンプを許されましたが、そのかわり毎朝農場のおばさんのところへ牛乳をもらいに行かねばなりません。そのとき一緒にもらうお菓子が異常においしそうです。あと、湖で釣った魚を自分達でバターで焼いて食べたりするのですが、それもまた異常においしそう。読んでいると、とにかく腹が減ってきます。しかも何か自分で作ったものを食べたくなるのでした。魚、釣ってみたい。

私がウォーカー家の兄妹の中で最も好きになったのは、次女のティティ。冒険が大好きで、想像力豊か、ちょっと荒っぽくて頑固な性格も素敵です。もう彼女の一挙手一投足に夢中です。上に引用したのは、海賊(アマゾン号のナンシイ(海賊の時の名前。本名はルース。この人も相当面白い)とペギイの姉妹)との戦争のため、兄妹が二手に分かれて他の三人は船で島を離れている間、ティティがひとりで見張りと留守番をしている場面です。彼女はすっかりロビンソン・クルーソーになってます。もちろんこの後も大活躍です。可愛いなあ。

こんな子供時代を送ったら、きっと楽しいでしょうね。私はもう子供には戻れませんけれど、田舎に帰ったら甥と真剣に遊んでやりたくなりました。土人の役でもいいですよ。いや、やっぱ「フリント船長」役がいいかな。じゃなきゃ楽しくないですよ。肩にオウムは乗せられないかもしれないけど;

「ごっこ」はちょっとでも真剣にやらなかったら、全く面白味を失ってしまいますけれど、真剣にやったならばついには「ごっこ」を越えて本当の冒険になりそうではないですか。なんだか夏が楽しみになってきた気がします。

続きも読まなくては!

『ボートの三人男』

2005年02月27日 | 読書日記ー英米
ジェローム・K・ジェローム 丸谷才一訳(中公文庫)



《あらすじ》

気鬱にとりつかれた三人の紳士が
犬をお伴に、テムズ河をボートで
漕ぎだした。歴史を秘めた町や村、
城や森をたどりつつ、抱腹絶倒の
珍事続出、愉快で滑稽、皮肉で珍
妙な河の旅がつづく。イギリス独
特の深い味わいをもつ、代表的な
傑作ユーモア小説。


《この一文》

”--人はモンモランシーを見るとき、これは人間の理解を絶したある理由のもとに、フォックステリアの形を借りて地上へと派遣された天使なのだと想像するであろう。モンモランシーの顔つきには、一種、ああこれは何という邪悪な世界だろう、これを改良し上品にできたらいいのだが、といった感じが漂っている。これは敬虔な紳士淑女の眼に涙を浮べさせるものである。
 彼が最初、ぼくの出費のもとに生きるようになったとき、実を言うとぼくは、まあ長いことはないだろうな、と考えた。ぼくは椅子に腰をおろして、彼が敷物の上から見あげるのを眺め、
 「ああ、この犬は長生きしないだろう。やがて天国へと迎えられるだろう」
 と考えたものだ。ところが、彼が殺した約1ダースのひよっこの代を払わせられ、百四十七回目の壮烈な市街戦から、彼を、吠えられたり蹴られたりしながら首根っこをつかまえて引離し、カンカンになっている女から彼が噛み殺した猫の死体をつきつけられ、その女に猫殺しよばわりされ、一軒おいて隣りの男に、こういう猛犬を放し飼いにしておくもんだからこの寒空に二時間も物置小屋に監禁されたと文句を言われ、果ては、ぼくの会ったこともないどこかの庭番がこいつに鼠を捕らせ、一定時間内に何匹つかまえるかを見事に当てて三十シリング稼いだという話を耳にするようになって、ぼくは始めて愁眉を開き、結局こいつはかなり長生きするだろうと考えたのである。        ”



楽しいです。
犬のモンモランシーが可愛い。
猫と湯沸かしに負ける犬。
私はイギリスの文学はあまり読んだことがないのですが、こういうユーモアというのはいかにもイギリスらしいという感じは受けました。
なんとなく。
ゆく先々でその土地に関する説明も述べられているので、真剣に読めば、イギリスの歴史の勉強にもなるかもしれません。

『西瓜糖の日々』

2005年02月20日 | 読書日記ー英米
リチャード・ブローティガン 藤本和子訳(河出文庫)


《あらすじ》

コミューン的な場所、アイデス
<iDeath>と、<忘れられた世
界>、そして私たちとおんなじ
言葉を話すことができる虎たち。
西瓜糖の甘くて残酷な世界が夢
見る幸福とは何だろうか・・・。
澄明で静かな西瓜糖世界の人々
の平和・愛・暴力・流血を描き、
現代社会をあざやかに映して若
者たちを熱狂させた詩的幻想小
説。



《この一文》

” 月曜日 赤い西瓜
  火曜日 黄金色の西瓜
  水曜日 灰色の西瓜
  木曜日 黒色の、無音の西瓜
  金曜日 白い西瓜
  土曜日 青い西瓜
  日曜日 褐色の西瓜

 きょうは灰色の西瓜の日だ。わたしは明日がいちばん好きだ。黒色の、無音の西瓜の日。その西瓜を切っても音がしない、食べると、とても甘い。
 そういう西瓜は音を立てないものを作るのにとてもいい。以前に、黒い、無音の西瓜で時計を作る男がいたが、かれの時計は音を立てなかった。       ”


「読書日記」をはじめてからずっと、この本を取り上げたかったのに、しばらく行方不明でした。
というのも、本棚は、ブラッドベリの『ウは宇宙船のウ』の隣に『小川未明童話集』その隣に
『中国の故事・ことわざ』という無法地帯。夏目漱石の『夢十夜』も消えた。
久しぶりに「第一夜」が読みたい。
関連性から考えると、私のお宝『内田百間集成』のコーナー(これだけはまとめてある)にまぎれていそうと考えて、捜索(まとめて押し込んであるだけなので)を開始しました。
本屋さんでかけてくれるカバーがついているのとついていないのが混ざっているので、カバーつきの中身を透視していると、何故か『西瓜糖の日々』の背表紙が透けて見えました。
「こ、こんなところにあった! めでたい! しかし何故?」
諦めてもう一冊買うところでした。良かった。
(『夢十夜』は結局見つからなかった・・・)

さて、物語ははじめから終わりまで極めて静かに展開していきます。
この淡々とした感じは、ひょっとしたら村上春樹と通じるかもしれないと思い付きましたが、私は『ノルウェーの森』しか読んだことがないので、今度村上通の人に聞いてみたいです。
どのへんが特にどうとはっきり言えないのですが、私はとても感銘を受けてしまいました。
和訳の「西瓜糖」という響きも美しいです。
ほかに『東京日記』という詩集もあって、少し前に書店で立ち読みしたところ、詩のひとつひとつに日付けがふってあって、それがちょうど私が存在を始めようとしていた年のようでした。
とは言え当時、私は生れてもいなければ、東京とも何の関わりもありませんでしたが。
ともかく、そんな訳のわかるようなわからないような理由で、私はブローティガンに対して何か特別なつながりを感じています。
勝手に。
物語と出会って起こるこういう片思いというのは、片思いで当たり前とは分かっていますが、今日は何故だか不思議に思えます。

『対訳 ブレイク詩集』

2005年02月10日 | 読書日記ー英米
松島正一編(岩波文庫)



《内容》

「虎よ、虎よ、輝き燃える/
夜の森のなかで・・・」(「虎」)
--彫版師、画家、預言者
・・・と多面的な顔をもつイ
ギリスの詩人ウィリアム・
q`1827)。『無
垢と経験の歌』『セルの書』
『天国と地獄の結婚』『私的
素描』など、イギリス・ロ
マン派のさきがけとなった詩人
の神秘的な幻想詩のエッセンス
を対訳形式で収録。


《この一節》

”Truth can never be told so as to be understood,and not be believ'd.
 Enough! or Too much.

 理解されるように語られても信じられない真理というものはありえない。
 十分に! または十分以上に。

            --『天国と地獄の結婚』「地獄の格言」より ”

” Arise, and drink your bliss, for every thing that lives is holy!

 起きなさい、おまえの至福を飲みなさい。なぜなら生けるものはすべて神聖なのです!

            --『アルビヨンの娘たちの幻覚』より ”

”  Auguries of innocence

 To see a World in a Grain of Sand
 And a Heaven in a Wild Flower,
 Hold Infinity in the palm of your hand
 And Eternity in an hour.

   無垢の予兆

 一粒の砂にも世界を
 一輪の野の花にも天国を見、
 君の掌のうちに無限を
 一時のうちに永遠を握る。          
             --『ピカリング稿本』より”


ウィリアム・ブレイクのことを長らく知らずにいた私ですが、勉強はしなければならないものですね。
そんな苦い記憶と結びついているブレイク--。
それはともかく、この人の詩は読めば読む程知りたくなるような魅力があります。
特に『天国と地獄の結婚』に興味があるのでした。
岩波文庫に収められている部分からはわかりませんが、《青空文庫》にて訳されているのを読んだ時は、凄く衝撃を受けました。
う~む、面白い。
いくつかの詩に何度か登場する「生けるすべてのものは神聖である」という宣言は、常に私の心に響き続けています。

『一人の男が飛行機から飛び降りる』

2005年01月30日 | 読書日記ー英米
バリー・ユアグロー 柴田元幸訳(新潮文庫)


《あらすじ》

一人の男が飛行機から飛び降りる。
涙を流しながら、靴箱いっぱいのラ
ブレターを空中に投げ捨て・・・/魚
を先祖にもつ女の逸話/世界で最後
の煙草を持った男が、ブロンド女か
らマッチを手に入れようと苦労した
物語/サルタンのハーレムを警備し
ていた私が、テントの中を覗き込ん
で見たものとは・・・などなど、あな
たが昨夜見たかもしれない、リアル
でたのしい悪夢、149本の超短編。


《この一文》

” その晩、私は眠れぬまま横になり、耳を澄ます。彼女の泣き声が聞こえる。私はベッドを離れて、ドアのところまで行って立ちどまる。それから暗い廊下に出て、彼女の部屋の前まで行く。ふたたび耳を澄ます。そしてそっとドアの把手を回してみる。
  彼女は青いトランクの前にひざまずいている。トランクの蓋は開いている。彼女は裸足で、白いナイトガウンを着ている。私が名前を呼ぶと、彼女はふり向く。月光を浴びた彼女の顔に涙が流れ落ちる。私には彼女がたまらなく美しく思える。「君、大丈夫?」と私はささやく。彼女は私を見て、こっくりうなずき、優しい声で「花に水をやっているだけ」と言う。    
      --「庭」より     ”



本当に短い物語ばかりで読みやすいです。
こういう夢のような物語は楽しいです。
沢山あってすぐに忘れてしまうので、何度でも繰り返し楽しめそうです。
その中で、忘れられない程素敵だったのが、引用した「庭」。
とても美しいです。
たまにこのように美しい物語がまじっているので、探すと面白いかもしれません。