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森羅万象 ~ 歩く印象派

浅川マキさん ホテルで急死 67歳 名古屋公演で滞在中

2010年01月18日 20時26分08秒 | Rock 音故知新
1月18日14時6分配信 毎日新聞

 黒装束に身を包んだ独特のライブ活動で知られた歌手の浅川マキ(あさかわ・まき)さんが17日午後8時、心不全のため公演先の名古屋市内の病院で亡くなった。67歳だった。所属レコード会社などによると、同日夜、滞在していたホテルで倒れているところを発見されたという。葬儀は近親者で行う。
 石川県白山市出身。高校卒業後に一度就職したものの、その後、歌手を目指して上京。1967年に「東京挽歌(ばんか)/アーメン・ジロー」を発表。68 年に詩人で劇作家の故寺山修司氏が演出した東京・新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍(さそり)座」のワンマン公演が評判となり、その後はステージを主体とした音楽活動を続けた。中でも東京の池袋文芸坐ル・ピリエで毎年大みそかに開催した公演は大きな話題を呼んだ。
 代表曲に「夜が明けたら」など。 

以下は朝日COM(1月18日15時3分)

 情念のこもった独特の歌唱スタイルで知られる歌手の浅川マキ(あさかわ・まき)さんが死去した。67歳だった。公演のため滞在していた名古屋市のホテルで倒れているのが17日夜、見つかった。愛知県警中署によると、死因は急性心不全とみられるという。

 石川県出身。キャバレーや米軍キャンプで黒人霊歌を歌い、1968年に故寺山修司さん演出によるひとり舞台に出演。70年に「かもめ」「夜が明けたら」などを収録したアルバム「浅川マキの世界」を発表した。

 寺山さん、北山修さんらが詞を提供した曲だけでなく、ビリー・ホリデーの曲など自身による作詞・訳詞も高い文学性が支持された。アンダーグラウンドを中心に活躍し、山下洋輔さん、坂田明さん、坂本龍一さんら多くのミュージシャンと共演した。

 85年に網膜剥離(はくり)で一時活動を中断したが、東京の新宿ピットインなどで積極的にライブを行っていた。15、16日にも名古屋市のライブハウスでピアニストの渋谷毅さんらと公演。最終日の17日に姿を見せなかったことから関係者がホテルを訪ね、浴室に倒れているのを見つけた。

     ◇

 ピアニスト・山下洋輔さんの話 詩と音楽をあれほど完璧(かんぺき)に自分の中で一体化させて表現した人はいない。あの魔力に取り付かれると他の歌手が聞けなくなる。彼女は、南里文雄さんから坂本龍一さんまで気に入ったミュージシャンとは必ず共演を実現させ、私もアルバムで伴奏させてもらった。声がかかるのは一種の勲章だった。


荷崩れ トレーラーの生サバ、路上に散乱 大分自動車道

2010年01月18日 20時25分45秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
1月18日13時57分配信 毎日新聞

 18日午前8時45分ごろ、大分県別府市の大分自動車道下り線・別府インターチェンジ(IC)付近で、貨物トレーラーが走行中に荷崩れを起こし、積んでいた箱(幅、奥行き、高さ各1.5メートル)14個が片側2車線の路上に落下、中の生サバが一面に散乱した。トレーラーはその後、前方を走っていたトラックに追突したが、けが人などはいなかった。

 県警高速隊などによると、荷崩れの原因は、トレーラーの運転手が前方の道路わきで工事をしていたのに気付き、急ハンドルを切ったためらしい。

 大分道の湯布院-別府間などが一時通行止めとなり、業者らがサバを回収した。【梅山崇】

引きこもりに男性が多い理由

2010年01月18日 00時41分35秒 | 歩く印象派
東京都の2008年調査によると、“引きこもり”の71.4%が男性なんだそうです。なぜ男性は引きこもるのか? なぜ女性は引きこもらないのか?

 「男子は生まれつき“引きこもり遺伝子”を持っているのだ」という方向にいくと議論にならないので、ここでは環境要因を考えてみましょう。

●「外の世界」は男性に厳しい

 引きこもる人にとっては、「引きこもらない日常生活」は苦しくつらいものであり、それよりは「引きこもる生活」の方がまだマシ(よりポジティブ)なのでしょう。

 まず、男性にとってはこの「引きこもらない日常生活」が、女性よりも圧倒的に困難なのだと想像されます。なぜなら社会生活から受けるプレッシャーは、男女同権とされる今でも男性の方がかなり大きいからです。

 「フリーターのままだと結婚できない」と思う女性は少ないですが、男性はほぼ全員がそう感じる(思わされる)でしょう。この「男は稼いで当たり前」という社会通念だけでも、男性に大きなプレッシャーをかけていると思います。

 仕事だけではなく個人生活においても、社会は常に男性にリーダーシップを期待します。「プロポーズはやっぱり男性がすべき」であり、「いざという時には男性が主導権を取るべき」「何かの時には、女子どもを先に保護すべき」といった感じです。

 人前でうまくしゃべれない女性は「奥ゆかしい」「おとなしい」と言われますが、男だと「頼りない」「しっかりしていない」です。

 つまり、「外の世界」はまだまだ圧倒的に男性に厳しい。引きこもりたくなる男性が女性より多いのは当然と思えます。

 また、女性は「家事手伝いをする」ことで擬似的に「引きこもりつつ、引きこもりと呼ばれない」という逃げ道を持っていますが、男性の場合、“主夫”ならともかく、未婚で親の家に住んでいて「家事手伝いです」はちょっと厳しいですよね。「外で戦わないなら、引きこもるしか道がない」のが男性のつらいところです。

●「引きこもる能力」が高い男性

 同時に、「引きこもる能力」も男性の方が高いように思います。

 引きこもった人が何をやっているかというと、今ならPC、少し前はテレビゲーム、その前の時代がマンガでしょう。どれも圧倒的に男性ファン比率が高い娯楽です。そして、これらはどれも「引きこもって楽しめる」趣味ばかりです。

 一方、女性が好きな「ショッピング」「おしゃれ」「ケーキの食べ歩き」などは引きこもっていては楽しめません。つまり、引きこもった状態を「そこそこ楽しくすごす」ための趣味が男性には多くあり、女性には少ないんです。言い換えれば「男性の引きこもり能力は、女性より圧倒的に高い」のです。

 女性でも「人間関係も社会生活も苦手」な人はいるでしょうが、引きこもったとしても楽しく過ごせないので、「どっちもどっち」となり、そうなるとあえて引きこもる意味がない。男性とはちょっと事情が違います。

 男女差の話とは違いますが、昔は引きこもりなんていなかったのではないでしょうか。鍵のかかる個室が確保されていた子どもは少ないでしょうし、子ども部屋にPCはもちろんテレビさえ置いていない。すると「引きこもる生活」が不可能、もしくはあまりに退屈になるので、物理的に「引きこもる」という選択肢がなくなりますよね。

 「引きこもるかどうか」は、「引きこもらない日常のつらさ」と「引きこもる生活の快適度」の比較で決まります。男性は日常生活が女性よりつらく、引きこもる快適さの方は女性より高い、ということではないかと思います。

●一人遊びの能力

 「引きこもり生活の快適さ」を高める能力として、ほかに「一人遊びの能力」があります。

 一人遊びの能力とは、一種の“空想力”です。漫画やゲーム、Webの世界、もしくは自分の思考の中に作り上げた仮想世界に生きる能力が、長期間の引きこもり生活(=他者との関わりを最小化した生活)には不可欠で、これが苦手な人は引きこもれません。空想力が低いと、上記の女性の場合と同様、引きこもる生活の相対的な快適度が小さくなるからです。

 興味深いのは、この“空想力”が実は社会やビジネスの現場でも重要だということです。「自分がこう言えば、相手(顧客や競合)はどう思うか、どう行動するか」「こんな商品やサービスが実現したら消費者や社会はどう反応するか?」を事前に空想する能力は、仕事に不可欠です。ビジネスや社会生活に有用な能力が、一方で社会と隔絶した生活を送るためにも役立つというのは皮肉なことです。

 さらに言えば、この“空想する力が強すぎる人たち”は敏感で繊細で傷つきやすい。実際の世の中では、人は平気で他者を傷つけます。いちいち傷ついていたら心が持ちません。しかし、想像力の強い人たちは、相手が何気なく言ったことも必要以上にいろいろ妄想して傷ついてしまいます。それを避ける究極の方法が「部屋にこもって想像だけの世界に生きる」という選択肢なのでしょう。

 ちきりんは「引きこもりが悪い」とも「減らすべき」とも強くは思っていません。大半の場合、生活費は親が出しているし、他人に迷惑をかけているわけでもないですから。ただ、引きこもっている当事者の多くは「この生活から抜け出したい」と思っているのではないでしょうか。もしそうならば、「何らかの支援をしてあげられたらいいよね」と思います。

●引きこもりにならないようにするための方法

 人が引きこもりにならないようにするための1つの方法は、こうしたとても傷つきやすい人たちが「傷つかない能力を身につけること」、もしくは「うまく傷つく方法を学ぶこと」だろうと思います。

 人は鈍感になれば傷つきません。感受性や想像力が強い性格を根本から“鈍感化”するのは難しくても、訓練によって“慣れる”か、もしくは最初から“期待値を下げる”工夫などは効果があるのではないかと思います。

 思えば昔は、子どものころから日常的に傷つく経験がありました。小学校の最初から◎○△ではなくて数字で成績が付けられていたし、運動会でも順位は明確でした。学芸会の主役はくじ引きや順番で“公平”に選ぶのではなく、“見かけがよくて明るいはきはきした子”を先生が選んでいました。親も自分の子どもを守るために学校にイチイチ介入してきませんでしたし、「がっかり」「悲しい」「大ショック!」な機会は昔の子どもの方が多かったと思います。

 すでに子どもではなく長きにわたって引きこもっている人で、「これから社会復帰をしよう」という場合は、“バッファー”として、少しずつ傷つくことに慣れながら働く経験ができる“訓練用職場”みたいな場所が必要かもしれません。そうではないと、“自室からいきなり社会”では今の現実はちょっと厳しすぎると思います。

 また、「一生の間に、人間は全員100万回傷つくものです」とか教えるのもいい方法かもしれません。ショックなことが起こったら“正の字”を書いて数えればいい。何かあっても「ああ、これは100万回の中の1回なんだな」と思えるように。

 ほかの方法でもよいのですが、とにかく「自分が傷つかない方法」をそれぞれの人が発見して身につけていかないと、人生ってのはつらすぎるし、現実ってのは厳しすぎる。そんな気がします。

 そんじゃーね。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2005年11月6日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。