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森羅万象 ~ 歩く印象派

南極のお年玉、隕石4個発見

2010年01月05日 12時56分15秒 | 地球の不思議・宇宙の不思議
2010年1月5日11時32分朝日COM

隕石(いんせき)は、淡く青く光る氷の上にぽつんと落ちていた=4日午後5時11分、南極・セールロンダーネ山地のバルヒェン、中山写す

南極・セールロンダーネ山地のバルヒェンでみつかった隕石(いんせき)。淡く青く光る氷の上にぽつんと落ちていた=4日午後5時8分、中山写す

 【南極・セールロンダーネ山地=中山由美】51次南極観測隊のセールロンダーネ山地(セルロン)調査隊が4日、バルヒェン山塊で隕石(いんせき)探査を始め、初日に4個を発見した。日本の観測隊による発見は9年ぶり、セルロンでは19年ぶり。みつかった隕石は、いずれも1センチ前後の黒いコンドライト(始原隕石)で、地球には存在しない成分が含まれている。隕石隊の小島秀康リーダー(国立極地研究所教授)は「本当にうれしい」と笑顔を見せた。

追加記事
【出たーっ隕石! 雪まみれの取材】

 晴れ -8℃

 抜けるような青空が広がっているのに、ゴーゴー風の音が響き、氷の上を雪がはうように流れていきます。

 「地吹雪でこれじゃ探査は厳しい。天気が良くなるのを待とう」と隕石隊リーダーの小島秀康さん。

 ベースキャンプを作ったばかりなので、午前中は荷物を整理して過ごし、午後はレスキューの復習のため、氷の斜面に出ました。強風が肌を突き刺す寒さ。空からは降っていないのに舞い上がる雪で、カメラも何もかも雪まみれ。そんな中でのザイルワーク、厚い手袋をはめて不器用にまごまご、昨春、十勝岳で訓練したはずなのに結構忘れています。

 「おーいそんなんじゃ、遭難者冷たくなっちゃうぞ。早く引き揚げろ!」とザイルの向こうは、山岳ガイドで野外観測支援の隊員・佐々木大輔さん。マズイマズイ(**;

 2時間ほど訓練し、帰る前に「少し予行練習で裸氷の上を見てみようか」と小島さん。

 ガリガリ、ゴトゴト、7人がスノーモービルに乗り、氷の上を横一列になって走り、隕石を探します。時々、1センチほどの黒い小さな石を見つけるのですが……やっぱり違います。

 佐々木さんが「これもしかして隕石ですか?」。

 氷の上にはいつくばるように、のぞき込んだ小島さんが「そうです!」。

 「やったぁ!」と佐々木さん大喜び。

 なんと最初の1個発見! 撮影しなくてはと、風と雪と闘いながら、ビデオとカメラの両方を抱えてあたふたする私は……あっ! 雪に隠れたクレバスに片足がはまって、ずぼっ!(*0*;

 一人でパニくりながら、それでも「なんで隕石だってわかったんですか?」と質問。

 「地質隊や地形隊と南極の石を見てきたから、今まで見たのとちょっと違って、表面がつるっとしているなぁって」。隕石隊より先に南極入りして、これまで地質や地形を調査する人たちを支えてきたからこそ見つけられたんだなぁと感心していると、「中山さん、立っているそこクレバスですよ! 取材もいいけれど、足元ちゃんと見て下さい。落ちますよ」

(中山由美)

北アルプス 遭難の58歳男性死亡 2人なお不明

2010年01月05日 12時54分37秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)
2010年1月4日22時27分朝日COM

 岐阜県高山市の北アルプス・奥穂高岳(3190メートル)を目指していた神戸市の東灘勤労者山岳会の男女3人が遭難した事故で、岐阜県警は4日早朝、捜索を再開して男性1人の遺体を収容し、神戸市東灘区向洋町中、会社員本庄充さん(58)と確認したと発表した。死因は凍死という。

 県警は、行方が分からないままの同区魚崎北町、無職銭谷美喜雄さん(52)、同市長田区前原町、看護師入江愛子さん(58)の捜索を続けるが、5日は悪天候が予想されるため、再開は6日以降の見通しだ。

 高山署によると、遺体が発見されたのは、奥穂高岳への冬季ルートにあたる蒲田(がまだ)富士(2742メートル)から涸沢(からさわ)岳方向へ約300メートル進んだ尾根。積雪は約2メートルあり、遺体は50~60センチの深さから見つかったという。

 4日の捜索は午前7時45分ごろに開始。「遺体のようなものが埋もれている」と連絡した登山者と一緒に、山岳警備隊員がヘリコプターでその近くに降り、発見した。

 その後の上空からの捜索では、遺体のあった尾根から、涸沢岳方向へ約150メートルのトレース(踏み跡)がうっすらとあったが、その先が途絶えていることを確認。残る2人は沢に転落した恐れもあるとみられている。

 東灘勤労者山岳会の事務局長梅本知則さん(61)によると、昨年末の31日以降は冬型の気圧配置が強まるとの予報を受け、3人は、当初の予定を1日早めて29日から山に入ったという。30日に奥穂高岳のピークに登り、山が荒れる翌31日には下山する計画だった。

 梅本さんは、依然として行方不明でパーティーのリーダーだった銭谷さんと、登山前に電話で話した。「1日早めてワンチャンスで行きたい。ぎりぎり行けるかな」と銭谷さんが話していたという。