「フヨウ」 アオイ科
お稽古で活躍してくれたお茶筅に、感謝の気持ちを込め、お焚き上げをし、供養する、いわゆる”茶筅供養”が、今年も成田山(高崎)で行われた。茶筅がなかったら、お茶を点てることができないのだから、傷んで使えないからと言って、ぞんざいに扱うことはできない。したがって、それらに感謝し、供養するのだ。住職の読経をききながら、改めて、伝統ある日本の文化を再確認した。
境内に咲いていたフヨウ。2mほどの丈はあっただろうか。花の径は10Cmほどで、やや大きなピンク色。上品で気品のある美しい花。葉は、ところどころ虫に喰われ、哀れな気がした。昔から、その花の姿から、美しい人のたとえに用いられる花。そういえば、新田次郎の小説”芙蓉の人”。数年前、ドラマになったので、記憶に新しいが、明治の女性の感動的な物語。夫は、新田次郎の小説の愛読者で、彼の作品はほとんど持っている。改めて、棚を見れば、”芙蓉の人”おさまっていました。
お稽古で活躍してくれたお茶筅に、感謝の気持ちを込め、お焚き上げをし、供養する、いわゆる”茶筅供養”が、今年も成田山(高崎)で行われた。茶筅がなかったら、お茶を点てることができないのだから、傷んで使えないからと言って、ぞんざいに扱うことはできない。したがって、それらに感謝し、供養するのだ。住職の読経をききながら、改めて、伝統ある日本の文化を再確認した。
境内に咲いていたフヨウ。2mほどの丈はあっただろうか。花の径は10Cmほどで、やや大きなピンク色。上品で気品のある美しい花。葉は、ところどころ虫に喰われ、哀れな気がした。昔から、その花の姿から、美しい人のたとえに用いられる花。そういえば、新田次郎の小説”芙蓉の人”。数年前、ドラマになったので、記憶に新しいが、明治の女性の感動的な物語。夫は、新田次郎の小説の愛読者で、彼の作品はほとんど持っている。改めて、棚を見れば、”芙蓉の人”おさまっていました。
まだ、暑い日がありそうです。どうぞお身体、大事になさってくださいませ。