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啄木鳥の詩

里山の自然と山野草・高山植物、低山歩きと野鳥観察

箱根「磨崖仏」

2011-08-31 10:06:31 | 旅行

箱根葉数回訪ねているが、ここを目的に出かけたのは初めて。正月の大学駅伝でお馴染みの国道1号線を元箱根方面に上がる。峠を越した辺りに精進池。この辺りにある、鎌倉時代後期に作られた「磨崖仏」が印象に残った。

昔の峠越えは厳しい気候や盗賊、火山性の荒涼とした景観などから地獄の地、賽の河原とされていた。鎌倉と西国との交易など往来が盛んになる中で、頼れば誰でも救ってくれる“お地蔵さん”を作り、旅の安全を祈ったのだろう。

「磨崖仏」は言うまでもなく岩に刻み込まれた(彫られた)仏像のこと。同じ「マガイ」でも“紛い(擬い)”となると、見分けがつかなくなるほど似せること。“紛える”となると、間違えるように似せるという意味。マガイモノという言い方もある。

大観光地の箱根は、夏休み最後とあって平日でも賑わっていた。原発事故の影響で海外からの観光客が減っているというが、中国語を使う団体客も多かった。磨崖仏が観光のコースに入っているかどうか知らないが、中国人が見たら、中国経由で伝わった日本の仏教や仏像は“マガイモノ”に見えることは無いのだろうか。

芦ノ湖に立つ箱根神社の大鳥居をバックに、名物の遊覧船(海賊船?)を入れて大騒ぎで記念撮影。似たようでチョコッと違う遊覧船が中国の湖でも走っていそうな気がしてきた。

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上高地「明神池」

2011-08-03 08:52:13 | 旅行

登山ではなく、バス旅行で上高地を訪ねた。標高は1500メートルほどだが、高山植物など豊富で楽しめた。夏の山小屋の混雑を考えるとためらうが、一度は穂高岳に登りたいものだ。明神から徳沢を経て横尾へ。そして涸沢を経て穂高や槍へ。ガイド本や小説の中でしか経験したことが無い。

上高地では大正池でバスを降りた。穂高橋で梓川の右岸に渡り、ウエストン碑などを経て河童橋。更に梓川右岸道を明神池まで。明神橋で左岸に渡り再び河童橋・バスターミナルまで戻る。時間にして約3時間。同行者のカミさんの携帯万歩計で約2万5千歩のコース。

大きなザックを背負い早足で追い抜いていく人。山から下りてほっとした感じの人。圧倒的に多いのが私たち観光客。ウォーキングスタイル、旅行仕様など様々だが平日にも関わらず賑わっている。大雨の後だが梓川は清く流れ、所々で岩魚やヤマメの姿があった。植物も多彩。遊歩道の脇に今年まだ出会っていない花が次々と飛び込んできた。

明神池がやや幻滅?穂高神社奥宮の参拝料として300円取るのには驚いた。40年ほど前だが、学生の頃に訪ねた時はこんなことは無かったような気がする。神社の神域を見せてもらうための拝観料だという。ふざけるな!!環境保護への協力金などであれば理解できるが・・。

家を出る時、雨が降っていたが、碓氷峠を越すと天気が良くなり、上高地でも穂高の中腹まで見えるまずまずの天気。明神池辺りで小雨の降られたが天候もまずまず。植物の豊かさ、清々しい空気などまずまずの小旅行でした。
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阿修羅の像

2011-04-02 08:24:37 | 旅行

佐渡高校の甲子園出場は、心残りだった“奈良の仏像”に出会うチャンスを与えてくれた。興福寺の「阿修羅増」中宮寺の「如意輪観世音」にも会うことができた。念のため、写真はパンフレットから撮ったものと本堂から出た植え込みの外から撮ったものです。

興福寺には「東金堂」「五重塔」の建屋、薬師如来像や阿修羅像など多数の仏像がある。国宝館が建っており、数々の仏像を目の前で見ることができる。十二神将立像、阿修羅の像は深く心に刻まれた。

「阿修羅」は中学生の頃に人気だった週間漫画誌の「アシュラ」が一番印象に残っていたが、この仏像を間近で実際に見て想いが全く変わった。阿修羅は帝釈天と戦を続け負け続ける存在。その悲惨な状況を“修羅場”とさえ言う。漫画と同じイメージだ。

サンスクリット語で「ASU」は命。「RA]は与える(ウィキペディア)という意味がある。帝釈天以降、不遇な存在(?)だったようだが、本来は命を与える神様(私=?)。強い意思表示を示しているように見える正面の顔は、どこかにいそうな人に見える。3人が別の人だとは思わなかった。


五重の塔も東金堂も国宝。

法隆寺の隣(中?)にあるのが中宮寺。3月の旅行でガイドの”ミスガイド”で寄れなかったところ。カミさんの強力なプッシュで、一時間近くかけて路線バスで立ち寄った。聖徳太子の母の願いで立てられたというこの寺。変遷はあったが、創建の飛鳥時代から約1300年にわたり尼寺として存在するところはほかにないという。

本尊で国宝の如意輪観世音菩薩はスフインクス、モナリザと並び「世界の3つの微笑像」とされるという。指先を柔らかに頬に添え、折り曲げた右足を抱える姿を「東洋の考える像」とすることもあるようだ。本道から離れた構外から撮った写真でよく判らないのが残念。智いざなお仏像さまである。



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敗戦の記「佐渡高校」

2011-03-27 10:47:54 | 旅行

「頑張りました!!!佐渡高校ナイン」-私たちを良くぞ甲子園まで連れて行ってくれました。26日、私たち高校時代の友人5人とカミさんを加えた6人は、甲子園球場の3塁側アルプススタンドで、ブルーのジャンバー、メガホンを片手に大声を出して応援しました。

対戦相手は強豪の智弁和歌山高校。21世紀枠選抜チームとして出場を果たしたものの、甲子園など夢の、また夢だった佐渡。相手は春夏合計28回出場の強豪校。“あわよくば善戦して!”とか“強豪でも毎年強いわけではない”などと、無責任な応援団としては夢が広がっていった。


初回に2点取られたものの踏ん張り、4回には2塁打で1点を返す。5回までは僅差で夢はさらに膨らんだ。6回表に3塁打で6点目が入り、力の差を見せ付けられた。応援団は歯が立たなくとも、健気に踏ん張る“佐高ナイン”に声援を送り続けた。甲子園のアルプススタンドで、母校のチームを応援することなど考えたこともなかった。夢のような2時間を与えてくれた選手たち皆さんにに感謝したい。



試合終了後、応援団に挨拶するナイン。夢中になって応援しており、カメラを準備するのが間に合わなかった。ファインダー越しに泣いている選手が見えた。もう一度、夏を目指して頑張るチャンスかある。ガンバレ!!そして“夢を有難う”。
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二月堂の「お水取り」

2011-03-06 09:54:10 | 旅行

奈良県の東大寺・二月堂で行われる“修二会”=“お水取り”の行事を観て感動した。今更、この行事の由来など説明しても仕方がない。バスのガイドさんに聞いてみたら「国の平和や人々の健康など祈って行われる・・」と言うような説明でした。まあ、いいか・・・

もう少し調べてみると・・本尊(十一面観音)様に対し、罪の懺悔や告白を行うことで、その結果としてガイドさんのはなすような帰結を願うと言うことのようだ。知らなかった。

撮影に使ったカメラは、昨年カミさんから「毎日遅くまで、よく働きました」と記念にいただいた、国宝級のカメラ。今回の旅行は同様に私から「仕事に、子育てに、家事に・・頑張ってくれました」のお礼。

懺悔する間もないくらいに一生懸命撮った写真だが、これを見た奥様曰く「二月堂が“火事”になったみたい!」と一言。約20分間のお水取りの行われている間に、30枚近い写真を撮ったが、無残な結果。三脚、ストロボ禁止のせい?撮影技術?それともカメラ?

翌日の午前中、二月堂にあがった。松明がかけ登った階段、十一面観音、火花が飛び交った舞台など昨晩の幻想的な場面を思い出しながら歩いた。

途中では、行(3月1日から2週間程続く)のための準備が進んでいた

駆けあがる階段の上り口には、今晩の行に使う松明10本(12日には11本を使う)が既に準備完了。本物だと言う。何と、激しく火花を散らす先の部分には、松ではなく“杉”の葉が括り付けられていた。

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万座スキー場と朝日山

2011-03-01 08:02:07 | 旅行

何だか、久し振りに大声でしゃべり、笑い、気持ち良く飲んだ。もう何年続いているのだろう、万座温泉への一泊スキー旅行。吹雪の大露天風呂から見えるオリオン座、マイナス15度Cのゲレンデで見るダイヤモンドダスト。吹雪でゲレンデに出るのをためらうのは良くあることだ。“秘湯の宿”の「給食並みのご飯」、お湯が胸の辺りまでくる深くて広い大露天風呂。湯治客の多い旅館だけに、持ち込みも大目に見て?くれる。

初めて行ったのは20年以上も前。長野県の須坂方面出身の愉快なおじさん(温泉宿の従業員)がいた。志賀高原から万座温泉スキー場へのスキーツアーガイドだったが、ツアー客がいなくなり従業員として働いていた。仲良くしていただいていたが、もう亡くなられたと聞いた(合掌)。大手のpホテルの真下にある小さな旅館(豊国館)のお風呂がお勧めだ(日帰り入浴可能)。日本秘湯の会の会員。

2月最後の週末。初日の午後、二日目の午後2時頃まで快晴で、1800メートルほどの山では無風と言って良いほどの絶好のコンディション。快晴でも風が強く吹雪くのがこのスキー場の特徴。寒いだけにパウダスノウー(雪質の良さ)は保障する。朝日山ゲレンデのリフトを降りた場所(写真)からは、浅間山の大展望から西側には北アルプスの山々。北側には草津白根山、その東に本白根山と大展望が広がっていた。
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旅Ⅱ「天城越え」

2010-12-20 08:42:50 | 旅行
三島から土肥温泉に向かうR136号線の途中に、天城方面への分岐点があり何だか気に掛かった。翌日、ルートを少し変更し天城トンネルへ方面へ。道の駅「天城越え」の看板が惹きつけられた。恥ずかしながら「伊豆の踊り子」は読んでいない。石川さゆりの演歌の歌詞も良く知らない程度なのだが・・。映画の宣伝か何かで何となくイメージは残っている。

ネット情報だが、伊豆の踊り子のモデルとなった旅芸人の「たみ」は下田や北伊豆などのほか、栃木県の足尾に住んでいたことがあるそうだ。そして「足尾のあとぷっつりと消息が途絶えている」。

天城トンネルに着いた。駐車スペースはわずか。カミさん曰く「トンネルを越しましょう」。意味は直ぐ判った「♪あなたと~越えたーイ 天城越え」だ。下田側に短いトンネルを越えた辺りはさらに何も無かった。
  写真の左側に旧道の案内がある。古い隋道か天城峠かは確認しなかったが距離で800メートルとなっていた。時間があったら、峠まで行ったのだが・・。「浄蓮の滝」は石川さゆりの独断場。茶屋から外に唄が流れていなかったのが幸いだった。恥ずかしついでに「情念の滝」と思い違いしていたぐらいのもの。あの熱唱から類推してしまう。

箱根では正月の「箱根駅伝」の準備が進んでいた。12月中旬の平日で人出は多くない。中国系の人が目立つ。中国語が聞こえてこない平川美術館の窓越しに富士山が綺麗だった。

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小田原城

2010-12-19 17:12:23 | 旅行

いきなりお城の写真で、いつもご覧いただいている方はびっくりされたかもしれない。ひょんなことから西伊豆に小旅行することとなり、最初に立ち寄ったのがこのお城なのである。群馬と比べ、神奈川は辺りは温かいようで、車窓からの風景は紅葉が残っていたりみかんが黄色に実っていたりする。群馬に無い山野草がまだ残っているのではと言う期待を込めた旅だったが・・・・。

電車を降りて小田原城に向かう。レンタカーの予約時間と昼食の時間を考え、お城見学とした。新幹線の窓越しには見たことがあるような気がするが、実際に行くのは初めて。自然の探索に比べ気が乗らないが・・仕方が無い。

戦国時代に北条早雲を初代に5代に渡り関東を席捲してきた北条氏。私達が住んでいる北関東に影響は及んでおり、最北では沼田市の沼田城まで支配したと説明されていた。秀吉に攻略された北条氏。その後、徳川家康の家来の大久保忠世が城主となったそうな。

私が散歩コースとしている里山は上杉、武田、北条の3氏が覇を競った山城が置かれていた戦場が多い。関東管領が置かれた事もある平井城(藤岡市)。周辺の金井、山名、根小屋、寺尾などの城跡は、石垣跡ぐらいしか残っていないが、何となく当時を偲ばせるものがあるる。寄居町の鉢形城あたりから、当時の情報通信網だった「狼煙台」などがずっと続いていた形跡も残っている。

北条の居城だった小田原では、勢力を拡大して行った北条氏の足跡が強調されていたのが印象的。群馬の城跡では、上杉景勝が北条方の城を破り入場したなど劣勢の場面を説明しているものが多い。

※当ブログのコンテンツに「旅」と言うのがあったので?初めてチャレンジしてみました。
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