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金沢文庫、乱世の闇に光

2016年10月05日 12時30分20秒 | 地域
 神奈川県立金沢文庫が保管する鎌倉時代から南北朝時代の古文書
   「称名寺聖教(しょうみょうじしょうぎょう)」「金沢文庫文書(もんじょ)」が8月、国宝指定を受けた。
  同県内の新たな国宝指定は50年ぶりなんだそうだ。
   計2万点あまりの資料は当時の政治・外交・宗教・文化の息吹を伝えているそうです。
         

   鎌倉幕府滅亡の原因となった蒙古襲来。 1297年に「大元皇帝」が「日本国王」に
   「朝貢をしたほうがい身のためだ」と伝え、3度目の襲来(実際はなかった)を予告した国書の写しが残る
   襲来におびえる人々に向け「仏に帰依すればよい報いが得られる」と説く僧侶の説教の台本もある

   鎌倉時代後半は世情が混乱し、生の資料がほとんど残っていないそうだ・・。
   「文書」には政権中枢の人達の声を伝える直筆の手紙も多く、歴史家の評価は高いんだそうです。

   仏教史の重要資料もある。奈良時代に日本に伝わった「華厳経問答」の古写本は長く所在不明
    だったが、2015年に「聖教」の中から発見されたと伝わった。
   墨や朱で書きこまれた訓点などを通して、新羅の文献を日本の僧侶がどう読み解いたかがわかる
    資料として、海外の専門家も注目しているんだそうです・・。

   「文書」も「聖教」も元は長く称名寺の書庫に埋もれていた紙の束そうで、ここ数十年の地道な
    調査・研究を経て世に出たそうだ。主任学芸員の“道津さん”によれば“紙は貴重だったので、
    武士が書いた手紙の裏をお坊さんが勉強用のノートに使ったものが多く、意図的に残した文書
    違って生々しい情報があるが、断片的で内容を把握するのが難しかった”と説明しています。

   勘違いしやすいが今回、国宝指定を受けた資料は歴史の教科書などに出てくる「金沢文庫」の
    蔵書ではないそうですョ!

   金沢文庫ができたのは1270年代、鎌倉幕府の重鎮“北条実時(さねとき)”が鎌倉の東の外れの
    金沢地区に別荘と文庫、先祖を弔う称名寺をつくった時だといわれている。
   実時の一族は4代にわたって論語や荘子などの中国の思想書・源氏物語の写し・農業・医学・
    天文学の実用書などを精力的に集めたそうです。京都や奈良からは仏典も取り寄せたとも・・。
   1333年の幕府滅亡後に文献は散逸してしまったといわれているが、教養を尊ぶ武士の間で
    金沢文庫の存在は語り継がれたんだそうです。

   明治時代になり、近くに別荘を建てた“伊藤博文”が関心を持ち、称名寺に「金沢文庫」を復活
    させた。 関東大震災で倒壊した後、1930年に県立博物館として再出発・・!
   鎌倉時代の資料や称名寺に伝わった絵画や美術品などを収蔵したそうです。

    国宝、国の重要文化財は2万点以上に及び、年間約5万人が訪れるという名所です。

      ○同文庫では10月2日(日)まで「国宝でよみとく神仏のすがた」を開催していました。
       普段は非公開の個人蔵の神仏像や仏画などを展示し、国宝の資料を使って時代背景を
        解説していたんだそうです。  今更ですが行けなくて残念に思っています
      ○鎌倉時代の金沢文庫の蔵書は後代「教養の証し」として有力武将が引き継いだそうです。
       現在は「宮内庁書陵部」「足利学校」「尾張徳川家ゆかり蓬左(ほうさ)文庫」
        などに「金沢文庫」の蔵書印のある書物が伝わってそうです。