「サッカーの街」と知られている? ‘さいたま市浦和’には、もう一つ有名なものがあります。
意外と知られていないんですが・・『芸術都市』という顔があります。
川端康成ら文学者が居を構えた鎌倉市と並び「鎌倉文士に浦和画家」という言葉が生まれた
(画家が浦和周辺に移り住んだのは関東大震災がきっかけだったとされています)
☆埼玉県立近代美術館の中村主任専門員の話によれば、
“地盤が固く安全。芸術が盛んな上野にも交通の便が良かったからでは・・”と解説
ある画家が浦和から上野まで荷車を引いて作品を運び、師匠に見せに行ったという逸話も・・
画家が住み始めると、さらに多くの芸術家が集まりコミュニティーを形成したそうだ
「浦和画家」は自然発生的に生まれた言葉だったようだと知らされています。
芸術家らが特に好んで住んだと言われているのが・・今の別所沼公園付近だそうです。
JR埼京線中浦和駅から東に歩いて5分ほど。 沼のほとりにたたずむ「ヒアシンス」は
詩人で建築家だった“立原道造氏”のゆかりの建物です。
1930年代に24歳で急逝する直前に“立原”はアトリエを構想・・。
2004年に有志の詩人から遺品のスケッチを参考にハウスを建築し立原の遺志を継いだ
周辺には「週刊朝日」で連載された“司馬遼太郎先生”の「街道をゆく」の挿絵を
約20年間“須田剋太氏”や「出獄の日のO氏」などを残した“林倭衛(はやし・しずえ)”も
住んだ時期があり「浦和アトリエ村」とも呼ばれていた。
画材店も点在する。 別所沼公園に面した「太田美術額縁」は1900~20年代に
東京・新橋で開業した老舗の額縁店。
45年に戦火から逃れるため、既に画家らが集まっていた別所沼公園に工房を移転した
51年に公園が整備される前までは「湿原のような素朴な風景が広がり、画家たちを
引きつけた!」そうです。 (同社の太田社長談)
他にも絵の道具の販売や美術学校を営む「彩光舎」・絵画教室を手掛ける「コバルト画房」など
この場所近くには数多くあります。
埼玉県などが主催する公募美術展「埼玉県美術展覧会」では、絵画や工芸・写真も含め
県内から4000点以上の出品があるそうですョ
自治体が主催する公募展では「全国でトップクラスの数」で、中でも浦和を含む
‘さいたま市’からが突出して多いんだそうです・・
浦和には今でも絵画をたしなむ住民が多いと言われ、
先人が築いた文化が今でも脈々と受け継がれてるようですネ
参考:○「うらわ美術館」には、さいたま市ゆかりの芸術家の作品を収集・保存しており、
年に数回コレクション展を開いています。
9月には新収蔵・未公開作品を中心に特別展を開くそうです
○浦和駅周辺には、地元出身の“高田誠氏”が描いた作品が残っているそうで
点描法を用いた風景画が特徴で、西口駅前の商業施設「浦和パルコ」の
建物外壁、さいたま市などで鑑賞できるそうです。
意外と知られていないんですが・・『芸術都市』という顔があります。
川端康成ら文学者が居を構えた鎌倉市と並び「鎌倉文士に浦和画家」という言葉が生まれた
(画家が浦和周辺に移り住んだのは関東大震災がきっかけだったとされています)
☆埼玉県立近代美術館の中村主任専門員の話によれば、
“地盤が固く安全。芸術が盛んな上野にも交通の便が良かったからでは・・”と解説
ある画家が浦和から上野まで荷車を引いて作品を運び、師匠に見せに行ったという逸話も・・
画家が住み始めると、さらに多くの芸術家が集まりコミュニティーを形成したそうだ
「浦和画家」は自然発生的に生まれた言葉だったようだと知らされています。
芸術家らが特に好んで住んだと言われているのが・・今の別所沼公園付近だそうです。
JR埼京線中浦和駅から東に歩いて5分ほど。 沼のほとりにたたずむ「ヒアシンス」は
詩人で建築家だった“立原道造氏”のゆかりの建物です。
1930年代に24歳で急逝する直前に“立原”はアトリエを構想・・。
2004年に有志の詩人から遺品のスケッチを参考にハウスを建築し立原の遺志を継いだ
周辺には「週刊朝日」で連載された“司馬遼太郎先生”の「街道をゆく」の挿絵を
約20年間“須田剋太氏”や「出獄の日のO氏」などを残した“林倭衛(はやし・しずえ)”も
住んだ時期があり「浦和アトリエ村」とも呼ばれていた。
画材店も点在する。 別所沼公園に面した「太田美術額縁」は1900~20年代に
東京・新橋で開業した老舗の額縁店。
45年に戦火から逃れるため、既に画家らが集まっていた別所沼公園に工房を移転した
51年に公園が整備される前までは「湿原のような素朴な風景が広がり、画家たちを
引きつけた!」そうです。 (同社の太田社長談)
他にも絵の道具の販売や美術学校を営む「彩光舎」・絵画教室を手掛ける「コバルト画房」など
この場所近くには数多くあります。
埼玉県などが主催する公募美術展「埼玉県美術展覧会」では、絵画や工芸・写真も含め
県内から4000点以上の出品があるそうですョ
自治体が主催する公募展では「全国でトップクラスの数」で、中でも浦和を含む
‘さいたま市’からが突出して多いんだそうです・・
浦和には今でも絵画をたしなむ住民が多いと言われ、
先人が築いた文化が今でも脈々と受け継がれてるようですネ
参考:○「うらわ美術館」には、さいたま市ゆかりの芸術家の作品を収集・保存しており、
年に数回コレクション展を開いています。
9月には新収蔵・未公開作品を中心に特別展を開くそうです
○浦和駅周辺には、地元出身の“高田誠氏”が描いた作品が残っているそうで
点描法を用いた風景画が特徴で、西口駅前の商業施設「浦和パルコ」の
建物外壁、さいたま市などで鑑賞できるそうです。