鳥取県境港市で55年前に出土し、2万~5万年前(後期旧石器時代)の女性の顎と発表
された後に行方不明となっていた「夜見ヶ浜人」の人骨が4月に、早稲田大の考古
学研究室から見つかった。今後、年代測定などが進められる予定という。
人骨の年代は縄文時代とする説もあり、18
年前から追跡調査していた同市の元教育長の
“根平さん”は「鑑定結果を期待して待ちたい」
と話している。人骨は1969年に境港市の
建設現場で発見され、半年後には早大の“故・
直良教授”が鑑定し、付近のかつての地名に
ちなんで夜見ヶ浜人と名付けた。
72年以降東大に再鑑定を依頼。 85年に直良教授が死去したため、早大に返還
されたとみられるが、行方不明だった。
根平さんは2006年の講演会で、夜見ヶ浜人の骨の存在と、行方不明になってい
ることを知り追跡を開始。 文献調査や早大、東大、国立科学博物館の研究者を
訪ね、早大にも出向いて人骨の捜索を手伝ったが、見つけられずにいた。
しかし4月16日、早大の“長崎教授(旧石器考古学)”から「段ボール箱の整理をして
いたら、プラスチックケースがあり、その中に下顎骨が入っていた」とメールが
あった。 ケースには夜見ヶ浜人の文献のコピーなども入っていた。
された後に行方不明となっていた「夜見ヶ浜人」の人骨が4月に、早稲田大の考古
学研究室から見つかった。今後、年代測定などが進められる予定という。
人骨の年代は縄文時代とする説もあり、18
年前から追跡調査していた同市の元教育長の
“根平さん”は「鑑定結果を期待して待ちたい」
と話している。人骨は1969年に境港市の
建設現場で発見され、半年後には早大の“故・
直良教授”が鑑定し、付近のかつての地名に
ちなんで夜見ヶ浜人と名付けた。
72年以降東大に再鑑定を依頼。 85年に直良教授が死去したため、早大に返還
されたとみられるが、行方不明だった。
根平さんは2006年の講演会で、夜見ヶ浜人の骨の存在と、行方不明になってい
ることを知り追跡を開始。 文献調査や早大、東大、国立科学博物館の研究者を
訪ね、早大にも出向いて人骨の捜索を手伝ったが、見つけられずにいた。
しかし4月16日、早大の“長崎教授(旧石器考古学)”から「段ボール箱の整理をして
いたら、プラスチックケースがあり、その中に下顎骨が入っていた」とメールが
あった。 ケースには夜見ヶ浜人の文献のコピーなども入っていた。