ちょい不良ゴーシュの豪酒録

何年やってもビギナーチェリストの日記

小松うどん@小松うどん道場・つるっと

2013年02月04日 22時25分57秒 | B級グルメ
こまフィルの定期演奏会のお昼休みに「小松うどん道場・つるっと」へ行く.
うどん道場は,こまフィル定演会場「うらら」のすぐそば.
「うどん」なのに,そばナノダ?



小松うどんとは何?
定義八か条によると

一.小松市内で製造された麺であるべし.
一.手打ち,手打ち風のものであるべし.
一.加水量は,小麦粉重量に対して35%以上52%未満を基準とするべし.
一.食塩水濃度10%未満を基準とすべし.
一.白山水系の水で仕込むべし.
一.出汁は,うるめ・むろあじ・さば節などを主に用い,昆布をふんだんに使いひくべし.
一.具材は“じのもん”をできる限り使うべし.
一.小松の発展を願い,茹で上げるべし.


と言うことらしい.
街のあちらこちらに小松うどんのノボリが立っている.



小松うどんのHPにも,その由来が綴られている.

「加賀藩の名物は何か」
 「はっ、小松のうどんでございます」
と、そんな会話が実際にあったかどうか知らないが、幕府の巡見使に名物を聞かれたら、金沢の象眼鐙(ぞうがんあぶみ)と染手綱(そめたづな)、小松の長機二重堅絹(ふたえかたぎぬ)と干饂飩(かんうどん)などを答えることになっていたらしい。江戸時代宝暦5年(1755)の『御国御目付衆江御答帳(おんくにおんめつけしゅうへおんこたえちょう)』という書物にそう書かれている。

 それより前、小松のうどんは、あの松尾芭蕉にも贈られていた。元禄2年(1689)、奥の細道の旅の途中、小松の俳人・塵生(じんせい)が乾うどん二箱を届けたのに対し、芭蕉が「殊に珍敷(めずらしき)乾うどん」をありがとうと書いた返書が残されている。
 さらに元禄7年(1694)の『小松旧記』でも、小松町奉行から加賀藩の台所奉行にあてた返書『干饂飩のこと』の中に、細かい注文と、製造者として八日市町の亀屋徳右衛門の名が記されている。
徳右衛門は、注文どおり小麦の二番粉を使い、普通は足で踏んで練るところを特別に手で練り、炭火で乾燥して仕上げたという。でき上がったうどんは、藍で「亀」と印を押し、墨で「干うどん」と書いた紙に包んで贈られたらしい。


天ぷらうどんに挑戦.
うどんと天ぷらが別皿で登場.



うどんの汁は薄い醤油色.
ダシは昆布と節系の香りが高い.

麺は透明感のあるツルツルな麺.
腰が強く,かみごたえがある.

小松市のマスコット「カブッキー」のかまぼこも入っている.
ご当地グルメっぽいデス.



さくさくの天ぷらも上品な味わい.



この日の演奏会は,天ぷらうどんパワーでエネルギー充填して頑張ったのでした.