今日は、アタテュルクの説明のところからお伝えします。
◆ アンカラからカッパドキアのホテル
<Mugio>
おっと、そいつはおいらの専売特許だ!
彼の本名は、スタファ・ケマルで、時はオスマン朝の第一次世界大戦の時代だね。
トルコ(オスマン帝国)が加わったドイツ、オーストリア側は、イギリス、フランス、イタリア、ギリシャの連合国に敗れて、オスマン帝国は、シリア、アラビア、などの広大な領土を失い、そのうえ、連合国側はアナトリアやエーゲ海地域の分割をもくろんでいたという時代の話だね。
その時に反撃を始めたのが北部方面軍総司令官だったスタファ・ケマルという将軍で、彼は多くの功績によって「共和国の父」という意味の「アタテュルク」という称号で呼ばれるようになったということだ。
<Mugiko>
彼が将軍になると、連合国を蹴散らして領土を奪回した?
<Mugio>
簡単に言うとそういうことになるが、彼は、1919年5月19日にサムスンというところに上陸して人民軍を率いて反撃を開始したそうだ。だから、この日は祝日になっているそうだよ。
<Mugiko>
そして、1921年にはギリシャが西アナトリアの大部分を占領したが、ギリシャ軍を押し返し、スメルナ(イズミル)に追い詰めて撤退させたそうね。
<Mugio>
その後、1922年にはスルタン制度を廃止させ、メフメット6世は亡命、ローザンヌ条約によってほぼ現在の領土を回復させたうえに、トルコのギリシャ系住民とトルコ系住民の交換を行うなど大きな功績があったそうだ。
そして、1923年10月にトルコ共和国が成立し、彼が初代大統領に選ばれたのさ。
<Mugiko>
これで「めでたし、めでたし」ではなく、その後、近代化のための数々の改革を行ったというから本当に素晴らしい人物だわ。
<Mugio>
トルコ共和国が成立するまでの功績を称して「ムスタファ・ケマル」が出なかったら、彼の強烈な意思と指導力がなかったら、トルコという国は滅亡していたかも知れない。」とさえいわれているのだから驚きだね。
<アンカラ市街地>
<高速道路?>
<バスに揺られて1時間>
<Mugiko>
などとアタテュルクの話をしながらバスに揺られていると、旅心も楽しく揺らぐわね。
<Mugio>
ところで、カッパドキアに行く途中にトゥズ湖に寄る予定になっているけれど、何か有名な者でもあるのかね?
<Mugiko>
トゥズ湖は、トルコのウユニ塩湖といわれているところで、「真っ青な空に真っ白な太陽」と表現される絶景の湖だそうね。
<Mugio>
話をアタテュルクに戻すけれど、共和国成立後のムスタファ・ケマルは、君が言うように数々の大胆な改革を実施していったそうだ。
イスラム教を国境から廃止する政教分離、一夫多妻制の廃止、男女供の教育の義務化、女性参政権の実現、太陽暦の採用、メートル法の導入、ローマ字の採用、男性のフェス(鉢形のトルコ帽)と女性のペチェ(顔を覆うヴェール)の直用禁止などの近代化を一挙に進めたというから凄いね。
<Mugiko>
なるほどね!端的に言えば、イスラム教の縛りからの解放と西洋風の政治、経済、文化の導入ということかしら?
<塩の塊、販売所>
<遠方のトゥズ湖>
<Mugio>
話をまたまた戻してトゥズ湖だけれど、天気が良くないことと時刻が夕方だったことから、残念ながら、君が先ほど言ったような絶景は見られなかったな。
<Mugiko>
トィズ湖は、アンカラは南南東に約150㎞で、カッパドキアに向かう途中にあり、「車窓に突然現れる広大な白い光景に驚く!」という話だけれど、「これは凄い!}という感じはしなかったわ。
ボリビアのウユニ塩湖と比較するような話があるみたいだけれど、ウユニ塩湖にも行ってないので何とも言えないわ。
<Mugio>
ここから3時間近くバスに揺られるのだから「おやすみ」にしましょう。
<ホテル テメンニ・エヴィ>
<<暖かい雰囲気のホテル>
<Mugiko>
カッパドキアのホテルには19時40分過ぎに到着して、部屋に入らずに、まず、夕食をいただくことになっていたわ。
<Mugio>
このホテルは、西洋風の大きなホテルではなく、まさに「洞窟風」のホテルだったので「ワクワク」したね。
<スープ>
<テスティ・ケバブ>
<サラダ>
<デザート>
<Mugiko>
会社からいただいたメニューには、夕食のメインディッシュは「テスティ・ケバブ(壺に野菜と肉を入れた蒸し焼き料理)」となっているけれど、<サラダ>と表示したものがケバブではないの?
<Mugio>
その通りなのさ!僕のメモには「メインディッシュの鶏肉と炒めご飯は×」となっている。さらに、「詰め物にした挽肉は香りは良いが、柔らかすぎて「ふにゃふにゃ」した食感で、「昼食のナス料理と同じ」とある。また、ついでに申し上げると「スープはまずまず。」、「デザートは小生が最も嫌いな味。」なのさ。
<Mugiko>
そんなことを言ったら世界三大料理に失礼じゃないの?
<113号室の様子>
<Mugio>
それでも、ホテルの部屋は、独立しているような造りで、大きなベッドがあるなど広くて使いやすいものだったね。
<Mugiko>
そうかしら?
私たちの部屋は、中庭があるところで、別棟の独立したような造りの部屋だけれど、外から簡単に入れそうで不安だったわ。
<以上で本日の記事は終了です。次回は旅行3日目の「カッパドキア観光」をお伝えします。>
◆ アンカラからカッパドキアのホテル
<Mugio>
おっと、そいつはおいらの専売特許だ!
彼の本名は、スタファ・ケマルで、時はオスマン朝の第一次世界大戦の時代だね。
トルコ(オスマン帝国)が加わったドイツ、オーストリア側は、イギリス、フランス、イタリア、ギリシャの連合国に敗れて、オスマン帝国は、シリア、アラビア、などの広大な領土を失い、そのうえ、連合国側はアナトリアやエーゲ海地域の分割をもくろんでいたという時代の話だね。
その時に反撃を始めたのが北部方面軍総司令官だったスタファ・ケマルという将軍で、彼は多くの功績によって「共和国の父」という意味の「アタテュルク」という称号で呼ばれるようになったということだ。
<Mugiko>
彼が将軍になると、連合国を蹴散らして領土を奪回した?
<Mugio>
簡単に言うとそういうことになるが、彼は、1919年5月19日にサムスンというところに上陸して人民軍を率いて反撃を開始したそうだ。だから、この日は祝日になっているそうだよ。
<Mugiko>
そして、1921年にはギリシャが西アナトリアの大部分を占領したが、ギリシャ軍を押し返し、スメルナ(イズミル)に追い詰めて撤退させたそうね。
<Mugio>
その後、1922年にはスルタン制度を廃止させ、メフメット6世は亡命、ローザンヌ条約によってほぼ現在の領土を回復させたうえに、トルコのギリシャ系住民とトルコ系住民の交換を行うなど大きな功績があったそうだ。
そして、1923年10月にトルコ共和国が成立し、彼が初代大統領に選ばれたのさ。
<Mugiko>
これで「めでたし、めでたし」ではなく、その後、近代化のための数々の改革を行ったというから本当に素晴らしい人物だわ。
<Mugio>
トルコ共和国が成立するまでの功績を称して「ムスタファ・ケマル」が出なかったら、彼の強烈な意思と指導力がなかったら、トルコという国は滅亡していたかも知れない。」とさえいわれているのだから驚きだね。
<アンカラ市街地>
<高速道路?>
<バスに揺られて1時間>
<Mugiko>
などとアタテュルクの話をしながらバスに揺られていると、旅心も楽しく揺らぐわね。
<Mugio>
ところで、カッパドキアに行く途中にトゥズ湖に寄る予定になっているけれど、何か有名な者でもあるのかね?
<Mugiko>
トゥズ湖は、トルコのウユニ塩湖といわれているところで、「真っ青な空に真っ白な太陽」と表現される絶景の湖だそうね。
<Mugio>
話をアタテュルクに戻すけれど、共和国成立後のムスタファ・ケマルは、君が言うように数々の大胆な改革を実施していったそうだ。
イスラム教を国境から廃止する政教分離、一夫多妻制の廃止、男女供の教育の義務化、女性参政権の実現、太陽暦の採用、メートル法の導入、ローマ字の採用、男性のフェス(鉢形のトルコ帽)と女性のペチェ(顔を覆うヴェール)の直用禁止などの近代化を一挙に進めたというから凄いね。
<Mugiko>
なるほどね!端的に言えば、イスラム教の縛りからの解放と西洋風の政治、経済、文化の導入ということかしら?
<塩の塊、販売所>
<遠方のトゥズ湖>
<Mugio>
話をまたまた戻してトゥズ湖だけれど、天気が良くないことと時刻が夕方だったことから、残念ながら、君が先ほど言ったような絶景は見られなかったな。
<Mugiko>
トィズ湖は、アンカラは南南東に約150㎞で、カッパドキアに向かう途中にあり、「車窓に突然現れる広大な白い光景に驚く!」という話だけれど、「これは凄い!}という感じはしなかったわ。
ボリビアのウユニ塩湖と比較するような話があるみたいだけれど、ウユニ塩湖にも行ってないので何とも言えないわ。
<Mugio>
ここから3時間近くバスに揺られるのだから「おやすみ」にしましょう。
<ホテル テメンニ・エヴィ>
<<暖かい雰囲気のホテル>
<Mugiko>
カッパドキアのホテルには19時40分過ぎに到着して、部屋に入らずに、まず、夕食をいただくことになっていたわ。
<Mugio>
このホテルは、西洋風の大きなホテルではなく、まさに「洞窟風」のホテルだったので「ワクワク」したね。
<スープ>
<テスティ・ケバブ>
<サラダ>
<デザート>
<Mugiko>
会社からいただいたメニューには、夕食のメインディッシュは「テスティ・ケバブ(壺に野菜と肉を入れた蒸し焼き料理)」となっているけれど、<サラダ>と表示したものがケバブではないの?
<Mugio>
その通りなのさ!僕のメモには「メインディッシュの鶏肉と炒めご飯は×」となっている。さらに、「詰め物にした挽肉は香りは良いが、柔らかすぎて「ふにゃふにゃ」した食感で、「昼食のナス料理と同じ」とある。また、ついでに申し上げると「スープはまずまず。」、「デザートは小生が最も嫌いな味。」なのさ。
<Mugiko>
そんなことを言ったら世界三大料理に失礼じゃないの?
<113号室の様子>
<Mugio>
それでも、ホテルの部屋は、独立しているような造りで、大きなベッドがあるなど広くて使いやすいものだったね。
<Mugiko>
そうかしら?
私たちの部屋は、中庭があるところで、別棟の独立したような造りの部屋だけれど、外から簡単に入れそうで不安だったわ。
<以上で本日の記事は終了です。次回は旅行3日目の「カッパドキア観光」をお伝えします。>
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