土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

玉桂寺、狸をかきわけ訪ねた先は、取り取りの仏像で賑やかなお寺です。

2016年10月06日 | 滋賀の古寺巡り





(2016.10.01訪問)


両側に狸が並ぶ国道307号も一歩脇道に入ると山麓沿いの細い道に、行き違いもままになりません。やがて大戸川に沿う道の先に吊
り橋が見えます。日常見ることのない吊り橋、珍しさでシャッターを切っていたらいきなりブッブー!相手も軽だったのでなんとか
行き違い成功、山門はスグそこにありました。




▼門前を流れる大戸川、川向こうには信楽高原鉄道が走っています。






[ 玉桂寺 ]
●山号 秋葉山 (あきばさん)
●院号 十輪院 (じゅうりんいん)
●寺号 玉桂寺 (ぎょくけいじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 伝 淳仁天皇 (じゅんにんてんのう)
●創建 伝 奈良時代
●本尊 弘法大師像
▲滋賀県甲賀市信楽町勅旨891 TEL.0748-83-0716
▲拝観料 無料 朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲http://gyokukeiji.org/
▲琵琶湖百八霊場第八十八番札所 ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第五番札所 
▲信楽高原鉄道「玉桂寺前駅」下車吊り橋を渡り徒歩約5分
 新名神高速道路「信楽IC」から、信楽市街地方面へ約3km、約10分、国道307号線沿いに案内看板があります。




▼山門。






玉桂寺縁起 (玉桂寺HPから抄出)
一千二百年の昔、奈良朝の淳仁天皇が一時、都を平城京から滋賀に移された事があります。その時の保良宮、つまり奈良時代に、滋
賀の皇居を造られる間、仮御所として使われたのが玉桂寺の始まりであります。後に文徳、後花園帝の勅願寺として栄え、江戸時代
には三万石の格式を誇り藤丸の駕を認可されたる名刹で境内では、四丁四万、歴代尊崇のもと弘法大師を本尊と崇め、その信仰を一
山に蒐め、歴史の尊厳と規模の広大を天下に誇る寺院です。





            ▼山門脇に自然石に大きく寺号が刻された碑がドンと置かれています。






▼山門を直進すると本堂参道なんですが、大きな石灯籠が通せんぼ。






            ▼寺号木札。達者な字ですネ。






            ▼背の高い手水鉢も通せんぼ。






▼何やら賑やかそうな境内ですよ。奥に雛壇のようなのが見えます、近くに行ってみましょう。







▼お地蔵さんの集団です。







▼では本堂へ、短いですが参道石段。







▼空海さんがはためいています。







▼本堂です。ここも空海さんがはためいています。







▼本堂正面に引きがなく全景が撮れません、これが精一杯。







▼内陣全景、相当賑やかです。







▼内陣扁額。







▼内陣須弥壇のお厨子に秘仏本尊弘法大師像が祀られ、五十年に一度のご開帳です。







▼本堂後堂に回って見るとお釈迦さんが艶かしく就寝中、じゃなかった涅槃像でした。罰当たりなことを云いました反省!







▼大黒さんもいらっしゃいます。







▼後堂の横から地下道が設けられています。薄暗いです、怖そうです。







▼ジャジャ~ン! 大デリゲーション、細い細い約20mの地下通路両側にギッシリ観音さんが並んでいます。







▼通路中央付近に盟主、足腰神経痛除けの使命を帯びたお薬師さんがおられます。
 最近ボクも壊れかけなんで足腰だけでなく首から上もお加護ありますようにとお願いしときました。







▼グリーン一色のこんな観音さんが並んでます。見ようによっては異様です。







▼反対側からの本堂です。







▼弘法大師お手植の高野槙 (天然記念物)。
 約千二百年前頃弘法大師空海が中国より帰国後いっとき九州に留め置かれた時期に諸国を巡拝の折当山に聖武天皇其の他皇族一族
 供養の為中国より持ち帰りし高野槙の苗を植えられて皇族一族の霊を慰められたと伝えられています。(玉桂寺HPから抄出)







▼本堂トナリの護摩堂。空海さんが堂前にお立ちです。







▼本尊は大日不動明王坐像。右にお立ちはぼけ封じ観音立像。ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第五番札所の本尊です。







▼阿弥陀堂。







▼阿弥陀堂内陣の須弥壇。中央本尊阿弥陀如来坐像。右五劫思惟阿弥陀如来坐像、左お釈迦さんかな、不祥です。






            ▼本尊阿弥陀如来坐像。像高142cm、漆箔、木造、彫眼、平安時代。






▼こんなお顔です。






            ▼右の五劫思惟阿弥陀如来坐像。像高99.3cm、木造、彫眼、室町時代。
             五劫思惟像は東大寺のお像でお馴染みですネ。






            ▼左の如来坐像。印相から多分釈迦如来坐像と思われますが、
             相当酷いことになってます。詳細不祥。






▼阿弥陀堂。







▼阿弥陀堂と護摩堂を結ぶ通路に観音さんの団体こちらは雛壇にギッシリ。







▼地下道の像と同じグリーン一色の観音さん、像高は違うようです。







▼鐘楼。







▼梵鐘は完全ガード、楼内に鉄骨が組み込まれ超安全、落ちることはないでしょう。







▼毘沙門堂。







▼これでもかと云うぐらいの毘沙門天がいらっしゃいます。右端に吉祥天がお一人。







▼毘沙門堂を斜めから。







▼ここにもお地蔵さん雛壇。足元にナンバーが書かれていますが、初めと終わりが何処にあるか確認出来ませんでした。






▼大不動明王が境内を睥睨。






            ▼足元からのお不動さん。






            ▼こんなお不動さんです。一願成就大不動明王。像高13m、金銅像。とにかくデカイ。






▼墓石のように基壇上に観音立像が整然と並んでいます。基壇には家名、個人名記されています。
 ボクはてっきり墓石だろうと思ってこのエリア全体をを撮らなかったんですが……、

        





▼庫裡。こちらで御朱印を戴きます。







▼ご朱印です。大不動明王の基壇に置いて撮りました。







▼山門右手、大戸川にかかる吊り橋。信楽高原鉄道「玉桂寺前駅」からこの吊り橋を渡るとお寺はスグ。







「信楽の弘法さん」として親しまれているお寺なんですが、ボクの感じる空海さんの印象は「さて何処へ行かれたんでしょうか」
余りに観音さんの団体とお地蔵さんの団体が異様なくらい境内を占めています。

ご住職に大小観音さんの多さとまるで墓石のような観音さんの並ぶエリアがある疑問をお聞きしたトコロ……、
「私はつい最近この寺の住職を拝命したんですが、前住職との引き継ぎがなく現状がどうなっているのかハッキリ言って分かりません。
ただ墓石のような観音さんのエリア、あれはお墓ではありません、前住職も奥様も僧侶で拝み系の経営をされていたみたいで……、」

拝み系とは、どうも裏に曰く因縁がありそうで「なんでお参りの方に理由を聞かないのですか」とは云えませんでした。
難しいですネ、引き継ぎは。





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