(2016.09.17訪問)
なんと云っても秋篠寺の天下一品は、技芸天立像ですネ。
端正な顔立ちとプロポーション、顔を左に傾げ伏し目の表情と半開きの口元は女性そのもの、ビーナスの薫り馥郁と流れる柔らかな
天衣のドレープ、間違いなく大和のビーナス。そんなベッピンにまたまた会いにきました。
▼東門。南門が正門と思うんですが、駐車場がこの隣にあるもんでついこちらからの入山になります。
[ 秋篠寺 ]
●寺号 秋篠寺 (あきしのでら)
●宗派 単立
●勅願 光仁天皇 (こうにんてんのう)
●開山 善珠僧正 (ぜんしゅそうじょう)
●創建 宝亀七年 (776年)
●本尊 薬師如来坐像
▲奈良県奈良市秋篠町757 電話0742-45-4600
▲拝観料 500円
▲奈良交通バス「近鉄西大寺北口」から押熊行き、「秋篠寺」下車スグ。
「近鉄大和西大寺駅」または「平城駅」から徒歩15分
▲通常御朱印はやっていません。大元帥明王立像開扉の6月6日のみ書くそうです。
▼東門からの参道。突き当たりを左へ。
秋篠寺縁起 (秋篠寺パンフより抄出)
奈良時代末期宝亀七年 (776年) 光仁天皇の勅願で善珠僧正が薬師如来を本尊とする寺を造営したのが始まりとされ、平安遷都とと
もに桓武天皇の時に完成を見た。以後真言密教道場として隆盛を極めるも保延元年 (1135年) の兵火で、伽藍の大部分を焼失。鎌倉
以降、復興造営の甲斐もなく明治の廃仏毀釈によって寺域の大半を失い本堂を中心にわずかの堂宇が佇む現在の姿を呈するに至って
いる。
▼きれいな参道でしょう。
▼参道途中左に香水閣という霊水井戸。
江戸期この井戸で汲まれた水が宮中行事に使われていたとのこと。日頃は門が閉じられていますが毎年6月6日には公開されます。
▼参道のイメージが変わります。
▼右に折れると、両側に緑の絨毯。
木立のなか一帯は青々とした苔が覆っています。まさに緑の絨毯で荘厳された何とも贅沢で清々しい。金堂跡の礎石が残ってます。
▼本堂 (国宝)。桁行5間、梁間4間、本瓦葺、寄せ棟造。
創建当初は講堂として建立。金堂が保延元年 (1135年) の兵火で焼失し、鎌倉時代の修理後本堂と称されています。
本当に美しいお堂です。屋根形状こそ違いますが新薬師寺の本堂と双璧ではないでしょうか。
▼本尊 薬師如来坐像 (重文)。像高139.0cm、檜の寄せ木造、目と唇以外は素地仕上げ、鎌倉後期。
お顔は目尻がやや吊り上がり螺髪は大きめ、少しばかりご機嫌斜めの感じを受けます。
素地の木肌が見事に出てます。
(写真はネットからもらってきました)
▼技芸天立像 (重文)。本堂左端にお立ちです。
仏像と云う印象は全くなく、人間味豊かな像形と伏し目がちの目の表情は何とも云い難いものがあります。
写真がないのは説得力がありませんネ。
像高205.6cm。頭部のみが奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の寄木造による補作とはいえ、
見事な補修テクです。伎芸天彫像は国内ではこの像以外にないそうです。
(数年前に描きましたペン画です)
▼基壇が濡れ縁を兼ねているようです。
▼いい堂形でしょう。
▼大元堂。本尊 大元帥明王立像 (重文)。秘仏で毎年6月6日に開扉されます。
桁行三間、梁間三間、桟瓦葺、妻が正面の入母屋造。一間向拝付。向拝は銅板葺きの唐破風屋根ですが、へんな後補ではな
いかと思うほど見た目シックリ来ません。
▼境内。
▼開山堂。開山善珠僧正を祀っています。
▼川田順歌碑。タイトルキャッチはこの歌です
諸々の み仏の中の 技芸天 何のえにしぞ われを見たまふ
▼境内所々に彼岸花が咲き始めています。
▼鐘楼。
▼かみなり石。
鐘楼横にへんな石があります。昔々秋篠の里には雷がよく落ちたようで、村人は落ちてきた雷さまをこの石に閉じ込めへそを取っ
てしまったので二度と秋篠寺には雷が落ちなくなったとか。それにしても、へそを隠すのは下界の人間たちのほうと違ったかな?
雷さまがへそを取られたという話は珍しいと思いません?
▼緑の絨毯に一瞬陽が当たりました。
▼東塔跡の礎石です。
▼南参道。
▼南門。ここから南に行くと西大寺へと続いています。
秋篠寺 オ シ マ イ
続いては西大寺ではありません、あの著名な尼門跡です。
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