土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

建仁寺、太っ腹の禅刹です。

2016年02月09日 | 京都の古寺巡り




(2016.02.06訪問)


京都五山第参位の「建仁寺」再訪問です。四年前訪ねた時は方丈屋根の葺き替え、建物修復中、覆い屋でスッポリでした。
ちょうど今「京冬の旅文化財特別公開」で建仁寺宗祖栄西禅師の御廟「開山堂」も公開されていますので、これ幸いと京阪電車に乗っ
たと思って下さい。




▼風神さん、雷神さん、相変わらず元気ですネ。
 レプリカではありますが本坊入り口の風雷さん専用部屋で見ることが出来ます。






[ 建仁寺 ]
●山号 東山(とうざん)
●寺号 建仁寺(けんにんじ)
●宗派 臨済宗建仁寺派大本山(りんざいしゅうけんにんじは)
●開基 源頼家(みなもとよりいえ)(三斎)
●開山 栄西禅師(えいさいぜんじ)
●開創 建仁二年(1202年)
●中興 安国寺恵瓊(あんこくじえけい)
▲拝観 500円 朱印 300円 
▲時間 9:00~16:30
▲http://www.kenninji.jp 
▲京都市東山区大和大路四条下がる小松町 電話075-561-6363
▲京阪電車「祇園四条駅」から徒歩7分
 阪急電鉄「河原町駅」から徒歩15分





▼勅使門です。建仁寺の正門ですが、門は通れません。
 脇門からの入山になりますが、こちらから入山の方は少ないようです。 







建仁寺縁起(建仁寺HPから抄出)
当寺は建仁二年、源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。創建時は真言、止観の二院を構え
天台、密教、禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。寛元、康元年間の火災で荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福
寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺、境内を復興、禅も盛んとなりました。正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道
隆(らんけいどうりゅう)が入寺し禅の作法、規矩が厳格に行われ禅の道場となりました。室町幕府により中国の制度にならった京都五山
が制定、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。天正年間(1573~1592年)安国
寺恵瓊が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。その後明治政
府の宗教政策で臨済宗建仁寺派としての分派独立、当寺はその大本山となります。また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合
が行われ、境内が半分近く縮小され現在に至ります。





           ▼ダイナミックな寺号石碑。







▼放生池。蓮池ですが今はサッパリ何もありません。







▼三門への参道ですが、石橋は進入禁止。







▼三門ですが通行禁止。







▼三門扁額。御所を望む楼閣という意味で「望闕楼」と名づけられたそうです。







▼三門。重層の楼門、三間三戸、入母屋造、本瓦葺。楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。






▼茶碑。
 建久二年(1191年)に栄西禅師は臨済禅とともに茶の実を持ち帰った。栄西禅師は明恵上人に茶の実を贈り、明恵は京都栂尾に
 植え、明恵が宇治に移植したものが今日の宇治茶と云われているそうです。栄西八百年大遠忌を記念して茶碑が建立された。







▼茶碑の後ろにささやかな茶畑があります。現代のお茶です。







▼七堂伽藍のひとつ浴室。寛永五年(1628年)建立。







▼陀羅尼の鐘。修行僧が亥の刻(午後10時)、観音慈救陀羅尼を返唱しながら撞くことからこの名があるそうです。







           ▼法堂の大双龍図公開ポスター看板。コスパ抜群、三年越しで使用されているポスターです。
             今日はこれも拝観に来たんです。







▼法堂参道。山門から一直線なんですが、一直線には歩けません。







▼法堂(はっとう)。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。重層に見えますが下屋根は裳階。







▼法堂正面。







▼堂々の姿をもうワンカット。







▼法堂の側面です。入る人、出る人三々五々。







▼法堂入堂です。床は禅宗仕様の全面瓦タイル敷きです。







▼三方階段の須弥壇下段、本尊は上段に祀られています。







           ▼須弥壇正面と天井の双龍。







▼本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者、阿難尊者。







           ▼本尊釈迦如来座像。







▼天井画「双龍図」見上げすぎると首が痛くなりますヨ。
 平成十四年(2002年)創建八百年を記念して制作。「小泉淳作画伯」が約二年の歳月をかけて制作。
 畳108畳相当の大きさだそうです。108、意味深ですね。小泉さんは平成二十四年にお亡くなりになりました。







           ▼チョット角度を変えて。







▼本坊。方丈へはここから入ります。

 





▼閉め切りの方丈唐門。







▼方丈玄関です。







▼大見得を切る。初の禅刹だもんネ。







▼花頭窓から方丈前庭。







▼方丈(重文)。桁裄九間、入母屋造、杮葺。
 慶長四年(1599年)安国寺恵瓊が安芸の安国寺から移築した優雅な建物。







▼方丈前庭は枯山水庭園「大雄苑(だいおうえん)」作庭、七代目小川治兵衛。







▼大雄苑。手前唐門、奥は法堂。







▼大雄苑。







▼座り込む人、立ち見の人、いろいろ。







▼方丈仏間。







▼方丈本尊十一面観音菩薩坐像。東福門院の寄進。







                ▼宗祖栄西禅師軸。







▼方丈礼の間の雲龍図襖。海北友松筆。もちろんレプリカです。







▼方丈西庭も枯山水庭園。皆さん何を感じますか? ボクは目が回りました。













▼方丈北庭の納骨堂。







▼手水鉢。







▼茶席東洋坊。
 天正十五年(1587年)に豊臣秀吉が催した北野大茶会で、利休の高弟真如堂東陽坊長盛が担当した草庵式二帖台目席。副席と伝えられ
 ています。







▼二帖台目の茶室。













▼茶席東洋坊。







           ▼安国寺恵瓊の首塚。



毛利家の軍師僧侶、交渉相手であった秀吉に信頼されて伊予二万三千石の大名に抜擢され、九州征伐や朝鮮の役にも出陣する。
関ヶ原の合戦では西軍につき敗北、捕らわれ西軍の首脳のひとりとして六条河原にて斬首される。享年六十三歳。





           ▼建仁寺方丈襖絵などで活躍した絵師、田村月樵遺愛の長さ三尺の大硯。







小書院と大書院、東西渡り廊下からいずれも正面と云われる潮音庭の風景。「四面正面」と云われる由縁です。

▼潮音庭。小書院と大書院との中庭でこの写真は大書院から見た潮音庭三尊石。
 思わず小書院廊下を行くお姉さん二人に釘付け、日本のおネーサンと思いますが、たぶん。






▼東渡り廊下からの潮音庭。







▼小書院西よりから見た潮音庭三尊石。







▼大書院。







▼小書院南、禅独特の意味を含む○△□乃庭。○□は分かるんですが、△が? 手前にあるのだそうなんですが。







                ▼きれいな建仁寺パンフレット。






京都に在っては珍しい太っ腹、大盤振る舞いそしてプロモーション抜群のお寺です。こんな気持ちのいいお寺は久しくお目にかかった
ことはありません。
べりーぐー! けんにんじ !




                ▼開山堂特別公開ポスター看板。




「京冬の旅文化財特別公開」ボクの第五弾として建仁寺「開山堂」訪問と思ったんですが、宗祖栄西禅師の「廟所」と云うことで山門
内一歩でも入れば総て写真御法度! と大きく告知されてました。これにはナットク!
 

さてどうしよう、そうだ! 東福寺へ行こう! 北門から花見小路の人波をかき分け、京阪「祇園四条」へ歩いて行ったと思って下さい。
つ づ く

 
 
 

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