土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

高桐院、「楓の庭」今は冬枯れ、されど雅趣で風雅なんです。

2016年02月05日 | 京都の古寺巡り



(2016.01.31訪問)

ダメダメ尽くしの本山から塔頭の高桐院に向かいます。こちらのお寺は常時拝観寺院です。




▼山門への参道。前方鍵の手、曲がった所が、





[ 高桐院 ]
●寺号 高桐院(こうとういん)
●宗派 臨済宗大徳寺派(りんざいしゅうだいとくじは) 大徳寺塔頭
●開基 細川忠興(ほそかわただおき)(三斎)
●開山 玉甫紹和尚(ぎょくほじょうそう)
●開創 慶長六年(1601年)
▲拝観 400円 朱印 300円 
▲時間 9:00~16:30 
▲京都市北区紫野大徳寺町73-1 電話075-492-0068
▲市バス59,92,204,205,206番系統で「建勲神社前」下車 徒歩5分。





▼山門です。 





高桐院縁起
戦国武将細川藤孝(幽斎)の息、細川忠興(三斎)が父の弟、玉甫紹を開祖として建立した大徳寺の塔頭で細川氏の菩薩所である。
三斎は茶人としては利休七哲の一人といわれ、書院は利休の邸宅を移築したものといわれる。書院に続く茶室松向軒は三斎好みの二帖
台目で、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名である。境内にある三斎の墓標の石灯籠も利休が三斎に贈ったも
のと伝えられている。書院の庭は江戸初期の作庭、本堂の前庭は楓の樹を巧みに配しているのが特色である。境内には三斎とその夫人
ガラシャの墓、出雲阿国の墓がある。





▼切妻、桟瓦葺のなんと立派な山門、袖塀の黄色漆喰が何ともいい落ち着き。
 正面参道が鍵の手に曲がってますネ……、







▼出ました定番参道です。がなんとなく淋しい景観、緑や赤いトンネルの頃が懐かしい冬枯れ参道でした。







▼前方は唐門。入口へは鍵の手を右へ、中門潜り鍵の手を左へ、入り口になります。







            ▼受付を済ませ有名な南庭「楓の庭」に向かう途中にこんな襖が……。







▼客殿の諸間から西庭が見えます。







                   ▼こんな達者なダルマさんと賛の掛け軸が。







▼本堂でもある客殿の仏間です。







▼独り占めの「楓の庭」と思ったんですが……、お二人さんが座ったまま動いてくれません。







▼待ったかいがありました。定番「楓の庭」です。よく考えて見ると「紅葉」があってこその名ですよネ。







▼写真機畳置きの図。







▼南庭。







            ▼裸木が寒々しい釣灯籠。







▼客殿の寺号扁額。







▼客殿と南庭。







▼西庭へ下りてみましょう。こんな踏み石の散策、いいですヨ。







▼朽ち寸前、まさに釣瓶落とし。







▼飛び石に石塔、これを「雅趣」と云わずなんという。







▼利休灯籠。実は細川忠興とガラシャ夫人の墓標です。







▼お隣には細川家歴代のお墓、正面が細川藤孝(幽斎)の墓標。







            ▼万両。







▼加藤清正が忠興に贈ったという袈裟型蹲踞。







            ▼さり気なく立つ苔の灯籠。







▼こんな蹲踞も。







            ▼こんな石塔も。寄せ集め感も様になってますネ。







▼書院への小径。

 





▼利休の邸を移築した書院。現在の建物は再建されたものだそうです。







▼書院前庭の丸い刈り込み。何の木でしょうか? もの凄く目立ってます。







▼書院の意北軒。床軸の「関」は、大徳寺開山の大燈国師(宗峰妙超)の筆。襖絵は狩野探幽の弟、狩野永眞の筆。








▼書院前庭の景。余り広くないお庭です。右客殿、正面渡り廊下。







▼書院はずれに茶席松向軒。忠興建立の二帖台目の茶室。幽玄の雅趣、侘びと寂びですなァ。







▼さてもと来た山門の内側です。







▼外へ出るとこの光景、黄色漆喰塀に冬の日差しが作る松の影、ダイナミックな影絵を見ることができました。













▼竹林のこぼれ陽も……。







▼大徳寺西参道を今宮参道へ出て北大路通を駐車場へ戻ります。







▼今宮参道沿い高桐院のアートな外塀。なんで般若かは分りませんが。







▼御朱印です。余りにも酷いですネ、裏移り! もう少し良質な朱印帳買おうかなァ。






殆ど独り占めの高桐院さん、久々ユックリと見せて戴きました。先ほどのお二人さんもいつの間にか帰られ、外人さんのファミリー
(あの喧しい何処やらの国の人ではありません) が居られたのが唯一のお客さん?でした。
高桐院の錦繍織りなす頃のあの喧噪、今はありません。裸の楓が寂寞を誘う冬枯れも又一興、お寺好きには絶好のシーズンと云うもの
の、ヤッパリ淋しいですネ。





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大徳寺、「お寺の克って」なお寺です。

2016年02月02日 | 京都の古寺巡り




(2016.01.31訪問)

先週に続いて「京冬の旅文化財特別公開」の臨済宗「大徳寺」とその塔頭「芳春院」を訪ねたのですが……、



▼総門。こちらから入山します。






[ 大徳寺 ]
●山号 龍寳山(りゅうほうざん)
●寺号 大徳寺(だいとくじ)
●宗派 臨済宗大徳寺派大本山(りんざいしゅうだいとくじはだいほんざん)
●開基 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)(大燈国師)
●開創 正中二年(1325年)
●中興 一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
●本尊 釈迦如来坐像
▲拝観 境内自由 特別拝観 法堂、方丈 600円 朱印 300円 
▲時間 10:00~16:00 
▲京都市北区紫野大徳寺町53 電話075-491-0019
▲http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/index.html
▲市バス59,92,204,205,206番系統で「大徳寺前」下車 徒歩すぐ。




▼境内マップ見ると多くの塔頭が甍を並べていますネ。
 今日訪ねるのは、中央右端、緑に囲まれた伽藍の絵が描かれている所と右上の一角です。 






大徳寺縁起 (臨黄ネット大徳寺HPから抄出)
鎌倉時代末期の正和四年に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉
が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛
を極めた。勅使門から山門、仏殿、法堂、方丈と南北に並び、七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休によって増築され、
金毛閣と称し、利休の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園は江戸時代初期を代
表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門がある。方丈内の襖絵八十余面はすべて狩野探幽筆。境内には、別院二ヵ寺、塔
頭二十二ヵ寺が甍を連ね、それぞれに建築、庭園、美術工芸品が多数残されている。




▼勅使門(重文)。前後唐破風、左右切妻、桧皮葺、四脚門。後水尾天皇より拝領したと伝えるそうです。







▼唐破風貫の蛙股と彫刻。







▼三門(金毛閣)(重文)。立派な楼門ですが、近寄ること出来ません。モチロン通れません。
 重層楼門、桁裄五間、梁間二間、五間三戸、入母屋造、本瓦葺。大永六年(1526年)建立。両脇に山廊付。  
 応仁の乱後、一休禅師の参徒で宗長が一階部分を寄進、後に千利休により二階部分が設けられ「金毛閣」と名づけられ
 た。楼上には釈迦三尊像、十二羅漢像が安置されている。応仁の乱後、一休禅師の参徒宗長等が一階部分を寄進、のち
 千利休により二階部分が設けられ「金毛閣」と名づけられた。







▼その扁額。金毛とは金毛の獅子(優れた禅僧)の意味だそうです。







▼内側からの三門。閂ロックされてます。







▼仏殿(重文)。
 桁裄五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、重層観がありますが下層は裳階、禅宗様。一世大現国師により創建。応仁の乱で焼
 失、文明十一年(1479年)再建。寛文五年(1665年)再建造。







▼仏殿正面。







▼祈祷と書かれた扁額。







▼仏殿須弥壇。床は瓦敷き、広い堂内中央に本尊釈迦如来がお坐りです。







▼本尊釈迦如来坐像。詳細伝承不祥。







▼天井を見上げると、







▼龍の絵らしきものが描かれています。狩野元信の雲龍図らしいのですが判別不可能、分りません。







▼よく判分らん写真ですが、仏殿と法堂を結ぶ渡り廊下なんです。







▼法堂(重文)。
 入母屋造、本瓦葺、重層ですが下層は裳階、寛永十三年(1636年)再建。天井には龍が描かれ狩野探幽の筆だそうです。







▼境内参道。







▼立派な鐘楼です。入母屋造、本瓦葺、漆喰袴腰。慶長四年(1599年)建立。







▼軒と廂、勾欄の組み物の複雑さ、鐘楼にしては相当手が込んでます。






                  それでは特別公開の本坊、方丈の拝観に行きましょう。

                  ▼特別公開の案内ポスター看板です。







▼本坊山門。







            ▼本坊木札。







▼庫裡です。



ここから入場になりますが、写真はここまで! 建物、内部、お庭すべて写真御法度!



以下方丈の四点の写真はすべてネットから貰ってきたものです。



▼方丈(国宝)。桁行九十八尺六寸(29.9m)、梁間五十六尺二寸(17m)。単層、入母屋造、桟瓦葺。八部屋構成。
 ともかく長~い廊下です。







▼襖絵(重文)。襖絵はすべて狩野探幽画、八十四面あります。







▼方丈前庭。正面に唐門(国宝)、白砂枯山水の広~いお庭です。







▼方丈東庭。作庭は小堀遠州と伝わり、白砂に石と刈込が一列に、七五三石組、十六羅漢石組と云うそうです。







            ▼境内参道。







▼三門の横に石仏が集められていました。







▼帰りは総門から出ず南門から辞しました。本来の正門だと思いますが定かにあらず。







            ▼寺号石柱ですが塀で隠れて全刻字が見えません。







▼御朱印です。






伽藍拝観も仏殿以外は近寄ることさえ出来ず、通せん坊だらけ、ダメダメ尽くしの大徳寺でした。
「お寺の克って」と理解しておきましょうか。


本山と共に今回特別公開の塔頭「芳春院」を訪ね、念のため受付で「写真はOKですか?」「ダメです!」なので敢然とスルー。
同じ大徳寺塔頭の「高桐院」を訪ねることにしました。





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