土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

粉河寺、三番札所の御朱印ゲット。

2015年02月10日 | 和歌山の古寺巡り


(2015.02.07訪問)


観音霊場第二番札所紀三井寺の次は、ヤッパリ三番でしょう。
と云うことで、
この日も迷車大和路号は紀州路を走り三番札所粉河寺を目指しております。我が家から約80キロ、1時間弱
のドライブですが数年前訪ねたときから道路状況はすっかり変わり、おぼろ記憶は何の役にも立たずナビの
偉大さを改めて再認識、偉いやっちゃナビゲーション。



▼大門 (重文)。堂々とした朱塗りの山門です。初層両脇に金剛力士が金網に守られています。
 重層楼門、三間一戸、十二脚門、入母屋造、本瓦葺。宝永四年 (1706年) 建立。総欅造り。





[ 粉河寺 ]
●山号 風猛山 (ふうもうざん)
●寺号 粉河寺 (こかわでら)
●開基 伝 大伴孔子古 (おおとものくじこ)
●開創 伝 宝亀元年 (770年)
●宗派 粉河観音宗総本山
●本尊 千手千眼観世音菩薩(絶対秘仏)
●西国三十三カ所観音霊場第三番札所
▲拝観料 境内自由 朱印 300円
▲拝観時間 8:00~17:00
▲和歌山県紀の川市粉河2787 Tel.0736-73-4830
▲http://www.kokawadera.org
▲JR和歌山線「粉河駅」下車 門前町徒歩15分
 JR阪和線「熊取駅」下車 和歌山バス粉河行乗車45分


粉河寺縁起 (粉河寺HPから抄出)
宝亀元年(770年)の開創。当時、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古は、いつも幽谷の樹幹に足場を定め
て、夜ごと猪や 鹿を狙っていたが、ある晩、光明輝く地を発見、発心してその場所に柴の庵を建てた。後日、
一夜を泊めてもらった童行者は、孔子古の願い (庵に仏像を安置すること) をかなえてやろうと、七日七夜、
庵にこもり、等身の千手観音像を刻み立ち去った。童男大士が去ると、その仏像は金色に輝く観世音菩薩に、
孔子古は童男大士こそ観世音の化身と考え、以後狩猟をやめその観音像を供養礼拝したといわれ、これが粉
河寺の創始と伝えられている。




         ▼寺号標。





▼大門扁額。





▼きれいな境内マップ。





▼童男堂。本尊童男大士 (本尊千手観音の化身) を祀っています。
 桁裄三間、梁間三間の正堂に前方桁裄五間、梁間二間の礼堂。
 入母屋造、本瓦葺、屋根上部に千鳥破風、一間向拝付。
 江戸期の廟建築を模した作りだそうです。





▼出現池。千手観音の化身童男大士が白馬に乗ってこの池より出現したと寺伝は伝えます。





▼出現池正面に童男大士の石像が祀られています。





▼念仏堂 (光明殿)。桁裄五間、入母屋造、本瓦葺、千鳥破風、唐派風一間向拝付、総欅造江戸後期建立。
 小さいお堂ですが実に堂々とした佇いです。





         ▼露座の阿弥陀如来坐像。像高144cm、鋳物製。文久二年 (1862年) 鋳造。





▼変な剪定の木。それにしても見事な舟形。





▼太子堂。聖徳太子をお祀りしています。桁裄三間、梁間三間、寄せ棟造、本瓦葺、一間向拝付き。





▼手水舎。





▼中門 (重文)。重層楼門、三間一戸、十二脚門、入母屋造、本瓦葺。天保三年 (1832年) 建立。





▼山号が書かれた扁額は紀州藩十代藩主徳川治宝の直筆。





▼中門左右前後の四天王。

正面左多聞天。                  正面右広目天。



背面左増長天。                  背面右持国天。



▼木鼻獅子に玉眼、初めて見ました。何となく愛嬌が。





▼中門から本堂への参道。





▼中門を潜るとすぐ左に若山牧水の歌碑。
 粉河寺 遍路の衆の 打ち鳴らす 鉦々きこゆ 秋の樹の間に





▼本堂前庭に国指定名勝粉河寺庭園。
 中門から高台本堂への両翼法面に高低差を利用した石垣を兼ねた石組庭園。
 写真では判りませんが横長シネマスコープ庭園ですよ。





▼庭園もこんな写真では石の捨て場にしか見えませんネ。





▼丸く刈り込まれたツツジが咲けば庭園らしくなるんでしょう。





▼丈六堂。





▼定印を結んだ本尊阿弥陀如来坐像。





▼滅多にお目にかかれない珍しい連子窓。





▼本堂 (重文)。本尊千手千眼観世音菩薩(絶対秘仏)
 西国三十三カ所中最大の御堂。一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂とが結合した構成を持つ複合仏堂。
 礼堂、正堂ともに入母屋造、本瓦葺。享保五年 (1720年) 再建。





         ▼各札所で販売してますお札型秘仏本尊の御影。


 
どこかで読みましたが、本尊は本堂の内々陣の素焼きの入れ物に収められて真下に埋められているそうで
大きさは一寸八分、誰も見たことがない。
誰も見たことがないものが何故大きさが判るの?



▼本堂正面の外縁です。






▼大提灯。





         ▼絶対秘仏本尊の身代わり御正体懸仏でしょうか。





▼本堂内陣。格子ガラスにレンズをくっつけて撮った割にはなんとか。





         ▼前面扉には千社札が貼りたい放題!





▼向拝垂木の手鋏み、見事な彫刻です。





▼本堂梁側から見ると礼堂と正堂の様子が、分かります? 複雑ですネ。





▼本堂左に千手堂。本尊千手観音。三間四方の宝形造、本瓦葺、一間向拝付。宝暦十年 (1760年) 建立。





▼千手堂の裏にこんなものがさり気なく。





▼鐘楼。





▼六角堂。





▼金ぴかの三十三観音が祀られています。





▼薬師堂。





         ▼薬師堂前に立つ、どなたかをモデルにしたようなお地蔵さん。
          像高210cm、砂岩製、永禄七年 (1564年) 造立。





▼西国三十三カ所観音霊場第三番札所の御朱印です。





紀の川市はここ数日、酷い惨い事件が報じられている町です。大阪泉南市や泉佐野市と境を接する田園都市
で、とてもあんな惨劇が起ころうとは思えない静かな町の印象です。森田君への鎮魂の想いに馳せながら粉
河寺を目指しました。 合掌





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紀三井寺、二番札所の御朱印やっとゲット。

2015年02月05日 | 和歌山の古寺巡り



(2015.01.31訪問)


日高川町から和歌山市へ、
相変わらず迷車大和路号快調に紀州路を走ってます。
道成寺から紀三井寺を目指しています。
が、
和歌山市内に近づくほどクルマが増えてきます。
皆さんユックリユックリ走ってます。
大阪ではキット喧嘩になります。
やれやれやっとお寺に着きました。


▼多宝塔。





[ 紀三井寺 ]
●山号 紀三井山 (きみいさん)
●院号 護国院 (ごこくいん)
●寺号 金剛宝寺 (こんごうほうじ) 紀三井寺は通称
●開基 伝 為光上人 (いこうしょうにん)
●開創 伝 宝亀元年 (812年)
●宗派 救世観音宗総本山
●本尊 十一面観世音菩薩(秘仏)
●西国三十三カ所観音霊場第二番札所
▲拝観料 200円 朱印 300円
▲拝観時間 8:00~17:00
▲和歌山県和歌山市紀三井寺1201 Tel.073-444-1002
▲http://www.kimiidera.com/
▲JR線和歌山駅より紀勢本線(きのくに線)乗り継ぎ、普通電車南方面へ2駅目紀三井寺駅下車徒歩10分
 南海電鉄和歌山市駅より和歌山バス海南方面行き乗車、紀三井寺バス停下車、徒歩10分



▼変な天気とこの寒さ、天下の札所も参道に人影ありません。





紀三井寺縁起 (紀三井寺HPから抄出)
宝亀元年 (770年) 唐僧為光上人によって開基された霊刹です。
為光上人は、伝教の志篤く身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って唐国より到来されました。そして
諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められました。行脚の途次、
たまたまこの地に至り、夜半名草山山頂あたりに霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像
をご感得になりました。上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりとお歓びになり、十一面
観世音菩薩像を、自ら一刀三札のもとに刻み、一字を建立して安置されました。それが紀三井寺の起こりと
されています。



         ▼寺号標。





▼山門 (重文)。重層楼門、三間一戸、入母屋造、本瓦葺、十二脚門。永正六年(1509年) 建立。





▼阿形仁王さんが右に、大きな目ん玉グリグリ、吸い込まれそう。





▼左吽形仁王さん。





▼仁王門くぐるとスグ石段。結縁坂と呼ばれ、231段あり相当急です。
 いやでも上らんことには境内へ行けません。





▼石段の中途法面に咲く水仙。





▼石段テッペン、目の前に六角堂。西国三十三カ所本尊を祀っています。寛延年間 (1750) 建立。





▼右に眼をやると新仏殿の勇姿、ユニークな伽藍デザインです。納骨壇を兼ねてます。
 堂高33m、平成十四年 (2002年) 竣工、鉄筋コンクリート造。





         ▼本尊十一面千手観音立像。像高11m、寄木造総漆金箔、
          平成二十年 (2008年) 落慶。
          京仏師松本明慶さん作。
          とにかくデカくてピカピカ、よく光ってます。





▼仏殿三階廻廊から右手山裾和歌浦方面、中央のグリーン帯は片男波海水浴場。





▼北側は境内が見渡せます。





▼鐘楼 (重文)。入母屋造、本瓦葺き、袴腰。天正十六年(1588年)建立。





         ▼幸福観音石像。
          大陸殉難の霊の追善と冥福を祈念し立てられたと碑は語っています。合掌。





▼大師堂。





▼本堂前の手水舎。





▼本堂です。桁裄梁間とも九間、入母屋造、本瓦葺、総欅造。正面唐破風と千鳥破風。
 宝歴九年 (1759年) 建立。





▼見てください、この入り組んだ複雑な屋根の構造。左が本堂正面です。それにしても枯れ木め。





▼本堂向拝。花も葉もない桜って邪魔ですねぇ~。格調高き紀三井寺の桜に対してこの発言取り消し!





▼本堂扁額。





▼大提灯。





▼結構大きい鰐口と奉納額。





▼玉眼に睨まれ、思い切り喝を入れてもらいました。恐れ多くて触れません。





▼境内から高台に多宝塔が見えます、行ってみましょう。





▼本堂横の石段を上ると開山堂。桁行三間、梁行三間、宝形造、本瓦葺。





         ▼その前に多宝塔です (重文)。
          三間四方、本瓦葺。文安六年 (1449年) 建立。
          五智如来が祀られているそうで、お寺一古い建物。





▼西国三十三カ所観音霊場第二番札所の御朱印です。





本堂拝観の感想。
内陣相変わらず暗くて中がなにも見えないので感想なし。
内、外陣境の格子の下のガラス窓これがまたどうしょうもない、ガラス窓を通してしか中が窺えず、外景の
映り込みが邪魔。参拝者は何に手を合わせばいいんだろう。信心深き方々はそんなの気にしないのかねぇ。





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道成寺、奈良平安仏のオンパレード。

2015年02月03日 | 和歌山の古寺巡り


(2015.01.31訪問)

迷車大和路号、今日は紀州路を快調に走っております。変な天気で不愉快ですが……。
絵解きを聞く訳ではありませんが、安珍清姫悲恋物語のお寺、道成寺を目指しています。
何を隠そうこのお寺、仏像では和歌山一を誇る素晴らしい国宝仏、重文仏が宝物館で待ってます。これは是
非ともと云う訳で、大和路号は一路日高川町を目指して走っています。


▼本堂。





[ 道成寺 ]
●山号 天音山 (てんのんざん)
●寺号 道成寺 (どうじょうじ)
●勅願 伝 文武天皇 (もんむてんのう)
●開基 伝 義淵僧正 (ぎえんそうじょう)
●開創 伝 大宝元年 (701年)
●宗派 天台宗
●本尊 千手観音立像 (重文)
▲拝観料 境内自由 宝物館 縁起堂 600円 朱印 300円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738 Tel.0738-22-0543
▲http://www.dojoji.com
▲JR紀勢本線「道場寺駅」下車徒歩7分


道成寺縁起
文武天皇夫人、藤原宮子 (聖武天皇の母) の願いで文武天皇の勅願により大宝元年 (701年) の開創と伝わり、
建立は紀大臣道成によって道成寺と名付けたと寺伝は伝える。本尊千手観音は義淵僧正造像と云われ開山は
義淵僧正とされている。奈良時代末に衰退したが平安中期に再興、その後江戸期に諸堂が完成し現在に至っ
ている。


▼六十二段の参道石段。





         ▼山門手前に寺歴の深さを、歴史の重みを……。





▼仁王門 (重文)。三間一戸、重層楼門、十二脚門、入母屋造、本瓦葺。元禄四年 (1691年) 再建。





▼達者な書で揮毫されている仁王門扁額。





▼阿形仁王さんが右に。





▼吽形仁王さんが左で入山者に睨みを。





▼仁王門から一直線、本堂が見えます。





▼本堂参道左、物静かなお地蔵さんが、無言で迎えてくれました。





▼安珍と釣り鐘をこの地に葬った安珍塚。後ろの古木右は二代目榁の木樹齢400年で枯れ、左は三代目と聞
 きました。





▼本堂 (重文)。桁行七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。承平十二年 (1357年) 建立。





▼本堂周を巡る小堀に掛かる石橋。





▼本堂外陣から見る内陣。





▼本尊 千手観音立像 (重文)。像高2.4m、木心乾漆造、造像奈良時代後期。
 切れ長の眼にいくらか微笑みが感じられる上品なお顔、お体は彩色のあとが僅かに残っています。残念な
 がら御手先が無い腕が見受けられるのは惜しい!

 



         ▼三重塔。塔高20m、総桧造。宝暦十三年 (1763年) 再建。
          本尊大日如来。





▼十王堂 (閻魔堂)。桁行三間、梁間三間、寄棟造、本瓦葺。宝永四年 (1707年) 建立。





▼なんと個性的な!閻魔さん。





▼広~い境内。





▼常念仏堂。桁行五間、梁間二間、寄棟造、本瓦葺。平成十七年 (2005年) 建立。





▼常念仏堂扁額。





▼本尊 五劫思惟阿弥陀如来坐像。像高120cm、木造漆箔、造像江戸期。





▼折上げ格天井に円形天蓋。中心蓮華から放射状に光条。





▼チョット不貞腐れ気味、五劫は長過ぎて、螺髪は重すぎるんでしょう、お察しします。





▼あまりにきれいなので、も一度常念仏堂。





▼護摩堂。三間四方宝形造、本瓦葺。弘化四年 (1847年) 建造。本尊不動明王。





▼鎮守三社。中央弁天さん、左住吉さん、右天神さんをお祀り。





▼お堂三方に絵馬がこれでもか。





         ▼なにかの供養塔です。





▼縁起堂。安珍清姫の歌舞伎、能、文楽など芸能資料を展示し、ここで住職が絵解き説法をします。





▼鐘に隠れた安珍を焼き殺す図(道成寺縁起絵巻) 写真はネットから



安珍清姫悲恋物語。
延長六年 (928年) 熊野参拝の途中、一夜の宿を求めた僧安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られた
と知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという「安珍清姫の物
語」の悲恋は「法華験記」に記され、「道成寺物」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でもよく知られている
お話です。


女人に逆らったらえらい目に、お~コワ。男性諸氏、誠心誠意ですよ!


▼ほとんどが清姫の歌舞伎絵や写真です。





▼大寳殿。国宝、重文級の仏像二十数体が祀られている超豪華仏像ジェネレーション。
 昭和五十三年(1978年) 建立。
 旧本堂本尊 千手観音菩薩立像 (国宝)。像高3.2m、檜一木造、漆箔、平安初期造像。
 右脇侍 日光菩薩立像 (国宝)。像高2.52m、檜一木造、漆箔、平安初期造像。 
 左脇侍 月光菩薩立像 (国宝)。像高2.42m、榧一木造、漆箔、平安初期造像。



久々見応えのある仏像群、特に四天王像、中でも兜跋毘沙門天立像 (重文) は出色 ! 
写真をお見せ出来ないのはなんとしても残念!
写真は道成寺HPからお借りしました。



▼御朱印です。





和歌山の片田舎の小さな町と云ったら失礼なんですが、道成寺はワンダフルな超豪華仏像のオンパレード!
往復250kmの道程はなんのその、天気は不愉快 ! 気持ちは愉快! な道成寺でした。
帰りは紀三井寺に寄ります。西国霊場札所の御朱印を戴きに。 





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